それ自体は試験が終わった瞬間に、わかっていた。
その日の私は、何も機能していなかった。
自分らしいペースでもなく、
やり方もあり方も不安定だった。
ただ、なぜそうなったのか、
その本質はまだ言葉にできていなかった。
場に入った瞬間、何かを感じた。
もう数年前のこと、
その試験は2度目のチャレンジだった。
1度目は手応えがあった。
試験後のフィードバックも好感触で、
「あとちょっとで合格」という感触を持っていた。
だから2度目は、
その流れの中で次は大丈夫、
という自然な感覚で臨んでいた。
そして、
2度目の試験、
当日、会場に入ると、知っている顔が2つあった。
既に面識のある参加者と、
これまで関わりのあった講師。
その2人は私を見るとそれぞれ気さくに、
私の名前を呼び、自然に声をかけてきてくれた。
そして、あともう1人、
初対面の人がそこにいた。
何の反応もなかった。
声がけもなく、
私と目が合っても表情が動かない。
私と他の2人がやり取りしている中、
ただそこにいた。
私が最初に思ったのは、
「この人、なんか居心地悪くないかなぁ」
ということだった。
自分が傷ついたとか、
嫌な感じがした、ではなかった。
それより先に、
「あの人大丈夫かなぁ」
という心配する気持ちが大きかった。
開始まで、その感覚を抱えて待った。
2名の参加者が交互で実施の試験、私は後半だった。
なので、
一旦退席して1時間ほど待つことになった。
待ちながら、その人のことが頭にあった。
試験1度目とは違う環境、違う顔ぶれ。
その中で、あの無反応がずっと引っかかっていた。
そして、時間になり、
再度、試験の場に戻った。
もう一人の参加者がいないこと以外、
状態は何も変わっていなかった。
そして、
その人が私の相手役を担うことになった。
私は全く機能しなかった。
今思えば、
試験は始まる前に、
私はすでに崩れていた気がする。
本来は
「自分のパフォーマンスを発揮する場」
のはずが、私の意識は
「目の前の相手が大丈夫かどうか」
に向き続けていた。
心配で気掛かりな相手が、
評価者と同一人物になっていた。
既に自分が機能できる状態ではないことはわかっていた。
だから不合格の結果を知っても、特別な感情は何も起きなかった。
フィードバックを軽い気持ちで申し込んだ。
試験後の数日は、
気持ちを切り替えて次に備えていた。
そして、
「まあ、折角なので確認だけでも」
という軽い感覚で、
試験後の選択できる面談を申し込んだ。
不合格の事実も
その理由もすでに受け止め、
自分なりに咀嚼し、理解をしていた。
もしかしたら何か学べるものや
気づきがあるかも、という程度の気持ちで面談に向かった。
面談はフラットな状態で始まった。
まず私の認識を言葉にすることを相手に求められたので、
自分なりに、
できたこと、課題点、改善策など、
事前に振り返りしたことを話した。
できるだけ丁寧に、正直に。
でも、
そこから先が、想像を超えていた。
私が話した内容をただ繰り返すだけ。
私の振り返り説明後、
相手からの説明には、新しい視点が一切出てこなかった。
それだけではなく、
「もっと早く面談を申し込むべきだった」
「なぜこうしなかったのか」
責めたてる言葉がどんどん続いた。
そして、
「こんな感じじゃ、できるようになるのはかなり厳しい」
「次回までに一体何時間練習するつもりなのか」
「どうやって改善できると思っているのか」
など、批判とも否定とも捉えられる言葉と共に、
細部までの指示に及んだ。
まるで、
勉強できない子供に、
勉強しなさい!!
と親が子供に口うるさく躾ける口調で。
私の反応は、少しずつ消えていった。
そして、試験当日の無反応が頭をよぎった。
なるほど、この人は最初からこうだったんだ、
という感覚が静かに確定していった。
それは、怒りでも反論でもなく、
ただ、
「この人と話しても意味がない、対話が成立していない」
という感覚がどんどん湧き上がってきた。
その反応を見て相手は、
「わかりましたか?」
と、かなり強めの言葉で、
何度何度も説明後の確認が入った。
その確認のたびに、
相手との距離がどんどん開いた。
私は、早くその場が終わることを、静かに待っていた。
そして、ついにその瞬間がきた。
一通り伝え切ったのか、
「何かありますか?」
と、相手がようやく問いかけてきた。
そこで、
試験当日の最初に感じた違和感をふと思い出し、
ほんの少し言葉にした。
「当日、試験の場に入室した時、その場に馴染めていないように見えて、
心配になり、その後も気になっていました」
次の瞬間、
相手の声のトーンが一気に上がった。
「あなたは私が誰かに気にかけられなければ、
何もできない哀れな人間だと思っているのか!!」
そして、こう続いた。
「大事な試験なのに、そんなことを気にしている場合か!
最も大切にすべきことを、あなたはわかっているのか!
人はもともと、欠けるところのない存在。
相手を信じることが、全ての土台になる。
あなたはこれをどう理解しているのか!」
私は萎縮した。
戸惑いと共に、私は萎縮した。
「えっ・・・そんなつもりじゃないです。」
と、
荒げている相手をなんとか緩和しようとした。
ただ、その瞬間、
はっきりと見えたことがあった。
「人はもともと、欠けるところのない存在」
これは
コーチングでいうところのまなざし、
目の前の人を信じる、という姿勢の話だ。
その言葉を、
目の前の人は、今、
私への批判へ言葉、反論として声高に叫んでいた。
大切な理念を語りながら、
目の前の私の関わりでその理念を体現していなかった。
言っていること、
やっていることが一致していなかった。
ここが、
この体験の核心だった。
言葉を知っていること。
理念を語れること。
資格を持っていること。
これらと、
実際にすること。
とは、
まったく別次元の話だ。
やっていることと、
「人へのまなざし」が一致していない時、
それは絶対に本物ではない。
目の前で、
それを目撃してしまった。
辿り着いた答えは、シンプルだった。
それは、
目の前の人を、どう扱うか。
ただそれだけだ。
例えば、コーチング。
真のコーチは、コーチングをしない。
以前、そんなタイトルの記事を書いたことがある。
対話を生業にしている場合、
必要な時に、必要な関わりが、自然に立ち上がる。
それがコーチングである時も、
コンサルティングである時も、沈黙だけの時もある。
理念を語る人ではなく、理念を生きる人。
型を使う人ではなく、相手を信じ捉え続ける人。
何事も、その姿勢こそが真実だと思っている。
最後に一つだけ。
数年前のあの日、
試験はダメだった、これは事実である。
ただ同時に、
あの体験がなければ、
私は今の確信を持てていなかった。
言っていること、
やっていること、
それらがほんとうに一致しているのか。
それを、自分自身に問い続けること。
それが今でも、私の実践の根底にある。
あの日の体験が、大切な問いをくれた。
そのことは、深く感謝している。
