永遠の姉妹 最終話『永遠の姉妹』
手術中の赤いランプが光る手術室の前に置かれたベンチに、知永子と知香子は並んで座っていた。ともに、神に祈るように手を合わせている。
ガラスの破片に襲われた愛実がそこに運び込まれてから、すでに五時間近くが経過していた。
ふいに、手術中のランプが消える。中から、手術着を着た医師が姿を見せた。
「先生!愛実は助かったんですか!?」
ふたりは、声を揃えて医師に尋ねる。
「命に別状はありません。顔にも多少の傷はありましたが、後が残るほどの深いものではありませんでした。ただ…」
医師は、そこで一旦言葉を切った。
「ガラスの破片が、かなり深く角膜を傷つけており…治療による視力の回復は難しいでしょう」
残酷な医師の言葉に、知永子は泣き崩れる。知香子は、医師に掴みかかった。
「愛実の目は…もう見えないってことなの!?」
医師を問い詰める。
「角膜を移植すれば、視力の回復は可能です。ただ、現在多くの患者がその順番を待っている状態で、いつになるかは正直私にも…」
「じゃあ…あたしの目を使いなさいよ!あたしの角膜を…あの娘に移植してあげて!!」
知香子は、尚も医師に詰め寄った。医師は、力無く首を振る。
「まさか…生きた人間の角膜を、移植出来るはずがないでしょう」
医師の言葉に、知香子は手を緩めた。
「何だ…簡単なことじゃない」
小声で呟く。困惑する医師を置き去りに、その場から姿を消した。
「愛実…」
まだ麻酔から覚めない愛実を前に、知永子は立ち尽くしている。
今はまだ包帯に覆われているが、もう二度とその目が光を感じられないだなんて…。今でも、信じられない。いや、信じたくなどなかった。
「済まない。俺が不甲斐ないばかりに…」
明生が、言いながら知永子の肩を抱く。知永子は首を振った。
「明生さんの、せいなんかじゃないわ。わたしが、もっとしっかりしてさえいれば…」
そう言って、涙に頬を濡らす。
「まだ、十一才だって言うのに…。何で、こんなに辛い思いばかりしなきゃ行けないのかしら。愛実は…愛実は、何にも悪くないって言うのに…」
知永子は、明生の胸で泣き崩れた。明生に肩を抱かれながら、枯れることのない涙を流す。
<この時の知永子は、まだ知らずにいた。知香子が、ある決意を胸に秘めていることを。
それは娘を想う母の、究極の愛情表現に他ならなかった。>
東京に戻った知香子は、真っ先に『office C』に直行した。社長室に、専務を呼び出す。
「社長、何かご用でしょうか?」
「あなたに、この会社を譲りたいと思うの」
問いかける専務に、知香子はきっぱりと言い放った。専務は、戸惑う。
「仰る意味を、計りかねますが…」
知香子は、にやりと笑った。
「そうよね。でも、あなたはあたしが信頼する数少ない人間のひとりなの。あなた以外には…考えられないわ」
「…社長」
「お願いできないかしら。約五百人の『office C』の社員を、あなたに背負って行って欲しいの」
専務の手を握り、言い募る。専務は知香子の勢いに押され、手を握り返した。
「ありがとう」
知香子は、そう言って歩き始める。
「社長…どちらへ!?」
専務の言葉に、知香子は今まで誰もみたことないような穏やかな笑顔で振り返った。
「あたしは、もう社長じゃないわ。今この瞬間から、あなたが『office C』の社長よ」
専務の肩を叩き、颯爽と社長室を後にする。
以来、知香子はその消息を消した。知香子は煙のように、姿を眩ませてしまったのである。
一週間後。愛実の着替えを用意する為に、一旦家に帰っていた知永子は電話を受けた。妙な胸騒ぎを覚えながら、受話器を持ち上げる。
「もしもし…」
「あぁ…お姉ちゃん。ちゃんと出てくれて助かったわ」
受話器から聞こえるその声に、知永子は耳を疑った。
「…ち、知香子なのね!?」
思わず、声が震える。受話器越しに、知香子の笑い声が聞こえた。
「一体、今どこにいるって言うの!?」
「都内のホテルよ。ほら。昔、家族皆でよく泊まりに行ってた…」
「何で、今さらそんなところに。倉内のお母さんも、心配しているのよ!会社も人に譲ったって言うし…どうゆうつもりなの!?」
知永子は、知香子を問い詰める。
「あたし、末期癌なんですって…」
知香子は、乾いた声で笑った。突然の告白に、知永子は言葉を失う。
「それで…お姉ちゃんに、お願いがあるのよ」
「な…何、何だって言うのよ!?」
「あたし…これから自殺するから、警察に連絡して欲しいの」
「…知香子!?あなた、自分が何を言っているのか…解っているの!?」
「…もちろんよ。だから、あたしの角膜を、愛実に移植してあげてちょうだい」
知香子は、きっぱりと言い切った。
「あたしの角膜を使って…あの娘に、再び光を見せてあげて」
「そんな、死ぬだなんて…。知香子、お願いだから思い留まってちょうだい」
受話器を握り締め、知永子は必死に説得する。しかし、知香子の決意は固かった。
「もう…あたしにはこんなことぐらいしか、愛実の為にしてあげられないのよ。後は、お姉ちゃんに託すわ。あたしの分まで…愛実を愛し、幸せにしてあげてちょうだい」
「知香子…」
「…お姉ちゃん。今まで本当に色々あったけど…あたし、お姉ちゃんと姉妹になれて良かったわ。お姉ちゃんのお陰で、あたしは…愛実の母親になれたんだもの。お姉ちゃんの妹になれたことを…心から神様に感謝しているわ」
知香子は、照れ臭そうに笑う。
「…あたしもよ。知香子の姉になれて良かった。知香子と、姉妹として出会えて良かったわ…」
知永子は、涙で顔を汚しながら答えた。
「あたし達は、永遠の姉妹なのよね…」
そう言い残して、知香子は電話を切る。受話器を握り締め、知永子は知香子の名前を叫び続けた。
知永子の通報を受けて現場に駆けつけた警察は、手首を深く切ったまま浴槽に横たわり、息絶えていた知香子を発見する。その脇には遺書が残されており、自らの角膜を愛実に移植するよう書き記されていた。
知香子の遺志を受け、すぐさま愛実への角膜移植手術が行われる。
手術から二週間後。ついに愛実の包帯が、外されようとしていた。知永子は、固唾を飲んでその様子を見守る。
「見えるわ…ママ。愛実、目が見えるの…」
包帯が解かれた瞬間、愛実が言った。知永子は、泣きながら愛実を抱き締める。
「知香子の…ママのお陰よ」
言いながら、愛実の頭を撫でた。
「ママが、自分の命をかけてまで…愛実に光を取り戻してくれたのよ」
「…知香子ママが、愛実にもう一度光を与えてくれたのね」
「えぇ…」
母娘は、ひしと抱き合う。
夏の訪れを告げるかのような七月の強い陽射しの中、知永子は愛実の手を引き、駅に向かって歩いていた。
「知永子さん!」
知永子の背中を、明生が呼び止める。息を切らしながら、知永子達の元へと走り寄って来た。
知永子は、愛実に近くで待つように言い置き、明生とふたりきりになる。
「…行くのか?」
明生が問いかけた。
「…えぇ。愛実の体もだいぶ回復して来たし…東京に、戻ろうと思うの。この町の人間は皆、わたし達のことをよく知っているでしょう。愛実の為には、環境を変えた方がいいと思って…」
知永子は、気まずそうに明生から視線を逸らしながら語る。明生は頷いた。
「確かに…そうかも知れないな」
ふいに、知永子が明生の背中にしがみつく。
「…でも、あなたの顔を見たら、その決心が鈍ってしまいそうで怖かったの。だから…何も言わずに、あなたの前から姿を消すつもりだったのに…」
明生の背中を濡らしながら囁いた。明生は、自らの肩に置かれた知永子の手を握る。
「…俺は、あんたのことが好きだった…」
知永子に背を向けたまま呟いた。
「わたしも…あなたのことが、好きよ。…でも、わたしはもう…ここにはいられないの。あなたと一緒には、生きていけないのよ。本当に…ごめんなさい」
知永子は、泣きながら詫びる。
明生は、知永子の手を握ったまま振り返った。明生の頬もまた、涙で濡れている。
「…解ってるよ。あんたは、決断したんだろう。俺は…ここで、あんた達母娘の幸せを願っているよ」
そう言って、必死に微笑んで見せた。
「明生さん!!」
知永子は、明生の胸に飛び込む。ふたりは、抱き合った。
「東京で…愛実と幸せになれよ」
明生が囁く。明生の胸の中、知永子は頷いた。
惹かれ合うように、最初で最後の口づけを交わす。
平成二十三年三月―
終業式を終えた愛実が、赤羽にある小料理屋『永香』の中へと駆け込んで来た。
「ただいま」
元気よく声をかける。
カウンターの中から、知永子と澄江が顔を覗かせた。
「お帰りなさい。寒かったでしょう。早く手を洗って、うがいして来なさい。おやつに、ショートケーキを用意してるから」
知永子は、愛実に向かって微笑みかける。
「やったぁ!」
言いながら、愛実は元気よく駆けて行った。
「ほら、愛実。女の子なんだから、もっとおしとやかになさい」
澄江は、愛実を窘める。その言葉に、愛実がぺろりと舌を出した。
知永子と澄江が微笑み合う。
実は、知香子の遺書には続きがあった。全ての遺産を愛実に継がせるとし、その後見人として知永子と澄江を指名したのである。
知永子は澄江を呼び寄せ、かつて『長谷倉』があったこの地に、自分と知香子の名前の一文字ずつを取った『永香』を開店させた。澄江とふたり、その店を切り盛りしている。
入り口のドアが開き、常連客が顔を覗かせた。
「いらっしゃいませ!」
知永子と澄江は声を揃える。
<幾多の修羅の季節を経て繰り返された、姉妹の骨肉の愛憎劇は、知香子の死によってついにその終焉を迎えた。しかし、知香子は知永子達遺された家族の胸に、そして何よりも愛実の瞳の中で生きている。
知永子と知香子は、永遠の姉妹だった。>
完
ガラスの破片に襲われた愛実がそこに運び込まれてから、すでに五時間近くが経過していた。
ふいに、手術中のランプが消える。中から、手術着を着た医師が姿を見せた。
「先生!愛実は助かったんですか!?」
ふたりは、声を揃えて医師に尋ねる。
「命に別状はありません。顔にも多少の傷はありましたが、後が残るほどの深いものではありませんでした。ただ…」
医師は、そこで一旦言葉を切った。
「ガラスの破片が、かなり深く角膜を傷つけており…治療による視力の回復は難しいでしょう」
残酷な医師の言葉に、知永子は泣き崩れる。知香子は、医師に掴みかかった。
「愛実の目は…もう見えないってことなの!?」
医師を問い詰める。
「角膜を移植すれば、視力の回復は可能です。ただ、現在多くの患者がその順番を待っている状態で、いつになるかは正直私にも…」
「じゃあ…あたしの目を使いなさいよ!あたしの角膜を…あの娘に移植してあげて!!」
知香子は、尚も医師に詰め寄った。医師は、力無く首を振る。
「まさか…生きた人間の角膜を、移植出来るはずがないでしょう」
医師の言葉に、知香子は手を緩めた。
「何だ…簡単なことじゃない」
小声で呟く。困惑する医師を置き去りに、その場から姿を消した。
「愛実…」
まだ麻酔から覚めない愛実を前に、知永子は立ち尽くしている。
今はまだ包帯に覆われているが、もう二度とその目が光を感じられないだなんて…。今でも、信じられない。いや、信じたくなどなかった。
「済まない。俺が不甲斐ないばかりに…」
明生が、言いながら知永子の肩を抱く。知永子は首を振った。
「明生さんの、せいなんかじゃないわ。わたしが、もっとしっかりしてさえいれば…」
そう言って、涙に頬を濡らす。
「まだ、十一才だって言うのに…。何で、こんなに辛い思いばかりしなきゃ行けないのかしら。愛実は…愛実は、何にも悪くないって言うのに…」
知永子は、明生の胸で泣き崩れた。明生に肩を抱かれながら、枯れることのない涙を流す。
<この時の知永子は、まだ知らずにいた。知香子が、ある決意を胸に秘めていることを。
それは娘を想う母の、究極の愛情表現に他ならなかった。>
東京に戻った知香子は、真っ先に『office C』に直行した。社長室に、専務を呼び出す。
「社長、何かご用でしょうか?」
「あなたに、この会社を譲りたいと思うの」
問いかける専務に、知香子はきっぱりと言い放った。専務は、戸惑う。
「仰る意味を、計りかねますが…」
知香子は、にやりと笑った。
「そうよね。でも、あなたはあたしが信頼する数少ない人間のひとりなの。あなた以外には…考えられないわ」
「…社長」
「お願いできないかしら。約五百人の『office C』の社員を、あなたに背負って行って欲しいの」
専務の手を握り、言い募る。専務は知香子の勢いに押され、手を握り返した。
「ありがとう」
知香子は、そう言って歩き始める。
「社長…どちらへ!?」
専務の言葉に、知香子は今まで誰もみたことないような穏やかな笑顔で振り返った。
「あたしは、もう社長じゃないわ。今この瞬間から、あなたが『office C』の社長よ」
専務の肩を叩き、颯爽と社長室を後にする。
以来、知香子はその消息を消した。知香子は煙のように、姿を眩ませてしまったのである。
一週間後。愛実の着替えを用意する為に、一旦家に帰っていた知永子は電話を受けた。妙な胸騒ぎを覚えながら、受話器を持ち上げる。
「もしもし…」
「あぁ…お姉ちゃん。ちゃんと出てくれて助かったわ」
受話器から聞こえるその声に、知永子は耳を疑った。
「…ち、知香子なのね!?」
思わず、声が震える。受話器越しに、知香子の笑い声が聞こえた。
「一体、今どこにいるって言うの!?」
「都内のホテルよ。ほら。昔、家族皆でよく泊まりに行ってた…」
「何で、今さらそんなところに。倉内のお母さんも、心配しているのよ!会社も人に譲ったって言うし…どうゆうつもりなの!?」
知永子は、知香子を問い詰める。
「あたし、末期癌なんですって…」
知香子は、乾いた声で笑った。突然の告白に、知永子は言葉を失う。
「それで…お姉ちゃんに、お願いがあるのよ」
「な…何、何だって言うのよ!?」
「あたし…これから自殺するから、警察に連絡して欲しいの」
「…知香子!?あなた、自分が何を言っているのか…解っているの!?」
「…もちろんよ。だから、あたしの角膜を、愛実に移植してあげてちょうだい」
知香子は、きっぱりと言い切った。
「あたしの角膜を使って…あの娘に、再び光を見せてあげて」
「そんな、死ぬだなんて…。知香子、お願いだから思い留まってちょうだい」
受話器を握り締め、知永子は必死に説得する。しかし、知香子の決意は固かった。
「もう…あたしにはこんなことぐらいしか、愛実の為にしてあげられないのよ。後は、お姉ちゃんに託すわ。あたしの分まで…愛実を愛し、幸せにしてあげてちょうだい」
「知香子…」
「…お姉ちゃん。今まで本当に色々あったけど…あたし、お姉ちゃんと姉妹になれて良かったわ。お姉ちゃんのお陰で、あたしは…愛実の母親になれたんだもの。お姉ちゃんの妹になれたことを…心から神様に感謝しているわ」
知香子は、照れ臭そうに笑う。
「…あたしもよ。知香子の姉になれて良かった。知香子と、姉妹として出会えて良かったわ…」
知永子は、涙で顔を汚しながら答えた。
「あたし達は、永遠の姉妹なのよね…」
そう言い残して、知香子は電話を切る。受話器を握り締め、知永子は知香子の名前を叫び続けた。
知永子の通報を受けて現場に駆けつけた警察は、手首を深く切ったまま浴槽に横たわり、息絶えていた知香子を発見する。その脇には遺書が残されており、自らの角膜を愛実に移植するよう書き記されていた。
知香子の遺志を受け、すぐさま愛実への角膜移植手術が行われる。
手術から二週間後。ついに愛実の包帯が、外されようとしていた。知永子は、固唾を飲んでその様子を見守る。
「見えるわ…ママ。愛実、目が見えるの…」
包帯が解かれた瞬間、愛実が言った。知永子は、泣きながら愛実を抱き締める。
「知香子の…ママのお陰よ」
言いながら、愛実の頭を撫でた。
「ママが、自分の命をかけてまで…愛実に光を取り戻してくれたのよ」
「…知香子ママが、愛実にもう一度光を与えてくれたのね」
「えぇ…」
母娘は、ひしと抱き合う。
夏の訪れを告げるかのような七月の強い陽射しの中、知永子は愛実の手を引き、駅に向かって歩いていた。
「知永子さん!」
知永子の背中を、明生が呼び止める。息を切らしながら、知永子達の元へと走り寄って来た。
知永子は、愛実に近くで待つように言い置き、明生とふたりきりになる。
「…行くのか?」
明生が問いかけた。
「…えぇ。愛実の体もだいぶ回復して来たし…東京に、戻ろうと思うの。この町の人間は皆、わたし達のことをよく知っているでしょう。愛実の為には、環境を変えた方がいいと思って…」
知永子は、気まずそうに明生から視線を逸らしながら語る。明生は頷いた。
「確かに…そうかも知れないな」
ふいに、知永子が明生の背中にしがみつく。
「…でも、あなたの顔を見たら、その決心が鈍ってしまいそうで怖かったの。だから…何も言わずに、あなたの前から姿を消すつもりだったのに…」
明生の背中を濡らしながら囁いた。明生は、自らの肩に置かれた知永子の手を握る。
「…俺は、あんたのことが好きだった…」
知永子に背を向けたまま呟いた。
「わたしも…あなたのことが、好きよ。…でも、わたしはもう…ここにはいられないの。あなたと一緒には、生きていけないのよ。本当に…ごめんなさい」
知永子は、泣きながら詫びる。
明生は、知永子の手を握ったまま振り返った。明生の頬もまた、涙で濡れている。
「…解ってるよ。あんたは、決断したんだろう。俺は…ここで、あんた達母娘の幸せを願っているよ」
そう言って、必死に微笑んで見せた。
「明生さん!!」
知永子は、明生の胸に飛び込む。ふたりは、抱き合った。
「東京で…愛実と幸せになれよ」
明生が囁く。明生の胸の中、知永子は頷いた。
惹かれ合うように、最初で最後の口づけを交わす。
平成二十三年三月―
終業式を終えた愛実が、赤羽にある小料理屋『永香』の中へと駆け込んで来た。
「ただいま」
元気よく声をかける。
カウンターの中から、知永子と澄江が顔を覗かせた。
「お帰りなさい。寒かったでしょう。早く手を洗って、うがいして来なさい。おやつに、ショートケーキを用意してるから」
知永子は、愛実に向かって微笑みかける。
「やったぁ!」
言いながら、愛実は元気よく駆けて行った。
「ほら、愛実。女の子なんだから、もっとおしとやかになさい」
澄江は、愛実を窘める。その言葉に、愛実がぺろりと舌を出した。
知永子と澄江が微笑み合う。
実は、知香子の遺書には続きがあった。全ての遺産を愛実に継がせるとし、その後見人として知永子と澄江を指名したのである。
知永子は澄江を呼び寄せ、かつて『長谷倉』があったこの地に、自分と知香子の名前の一文字ずつを取った『永香』を開店させた。澄江とふたり、その店を切り盛りしている。
入り口のドアが開き、常連客が顔を覗かせた。
「いらっしゃいませ!」
知永子と澄江は声を揃える。
<幾多の修羅の季節を経て繰り返された、姉妹の骨肉の愛憎劇は、知香子の死によってついにその終焉を迎えた。しかし、知香子は知永子達遺された家族の胸に、そして何よりも愛実の瞳の中で生きている。
知永子と知香子は、永遠の姉妹だった。>
完