永遠の姉妹 第33話『貫く愛』
仕事を終え、家路を急いでいた知永子は、ふいに違和感を覚える。誰かに、後をつけられているような気がした。
後ろを振り返ってみたが、誰もいない。知香子のことを警戒するあまり、神経過敏になっているのだろうか。
そう思って前を向いた瞬間、知永子は何者かに羽交い締めにされた。ナイフを突きつけられる。
「なっ…」
必死に抵抗を試みたが、男の力は強く、知永子は引き摺られるようにして、暗がりに連れ込まれた。
「…な、何をするの!?」
男の腕から解放された知永子は、男に向かって言う。
「お前の顔を、切り裂くんだ…」
仁は両手でナイフを握り締め、知永子をフェンス際にまで追いやった。
「…ち、知香子ね。知香子に頼まれたのね」
「…あぁ、そうだ」
仁は、ゆっくりと近づいて来る。知永子は、息を飲んだ。
「やれるものなら、やって見なさいよ!」
仁が震えながらナイフを振り上げた刹那、知永子は思い切り叫んだ。仁の動きが止まる。
「そんなことされたって、わたしは負けない!たとえ、あなたがわたしに傷をつけたとしても…わたしは和彦との愛を貫いて行くわ。もし、わたしを止めたいと思うなら…息の根を止めてご覧なさい!!」
言いながら、男の手ごとナイフを掴み、自らの喉元に当てた。
「ほら、やって見なさいよ」
仁の顔を見上げながら、凄む。
知永子の瞳に、知香子の面影を見いだした仁は、思わずナイフを取り落とした。知永子を思い切り突き飛ばして、叫びながら走り去って行く。
知永子は、ほっとしてその場にへたり込んだ。自らの胸に手を当て、鼓動を確かめる。
今し方の自分の言動が、我ながら信じられなかった。何かに取り憑かれたかのように、毅然と暴漢を撃退した自分が。
ふと見ると、ストッキングが伝染していて、かすかに切り傷が出来ていた。知永子は、その傷口から血を拭い取り、ゆっくりと口に含む。
<知永子は、激しく動揺していた。しかし、それは知永子の中に潜む、もうひとりの知永子自身の姿に他ならなかった。
知永子と知香子は文字通り、血を分けた姉妹だったのである。>
「どうゆうこと!!失敗したですって!?」
知香子は、激しく仁を罵った。手近にあったものを、力任せに仁に投げつける。
「済まない…。でも、あの女の瞳に見つめられたら…何も出来なくなったんだ。あの女は…お前と同じ目をしていた。お前と同じ…全てを飲み込む修羅の目だ…」
「ふざけないで!!まさか…あんたがここまで使えない男だとは思わなかったわ。図体ばかり大きいだけで、とんだ木偶の坊ね!」
そう吐き捨てて部屋を出ようとした知香子の腕を、仁が掴んだ。そのまま、知香子を強引に抱きすくめる。
「な、何するのよ!!」
「…なあ、知香子」
「やめて!!離しなさいよ」
知香子は、仁の腕の中で暴れたが、仁は力を緩めなかった。後ろから、強く知香子の体を包み込む。
「俺じゃ、駄目なのか?お前も知っているだろう…。俺が、お前のことを…誰よりも愛していることを。俺なら…あの男のように、お前を裏切ったりしない。たとえ、どんなことがあったとしても…お前を幸せにして見せる」
「笑わせないでよ。あんたが、このあたしを幸せに出来るだなんて…思い上がりも甚だしいわ!それに…あたしが男に幸せにしてもらおうと思うような安っぽい女だなんて、見くびらないで。あたしは、自分の幸せくらい自分で掴んで見せるわ!!」
知香子は、仁を突き飛ばした。仁が、もんどり打って倒れ込む。
「あんたとの関係は、もう解消よ!二度と、あたしに関わって来たりしないで!!」
知香子は、力任せにドアを叩きつけ、部屋を出て行った。残された仁は倒れこんだまま、床に何度も拳を打ちつける。
「知香子…愛してるのに…」
知香子が出て行ったドアを見つめ、苦し気に呻いた。
「お帰りなさい」
知永子は、笑顔で和彦を出迎える。
「夕食の準備ももうすぐ出来るから、晩酌でもして待っていてちょうだい」
和彦から鞄を受け取り、キッチンへ向かった。
「知永子…どうしたんだ、その足?」
目敏く知永子の足に貼られた絆創膏に気づいた和彦が尋ねて来る。
「あぁ…これ?ちょっと帰り道で転んじゃったのよ」
知永子は、笑いながら答えた。
「知永子は、しっかりしているように見えて、割とドジなところがあるからな」
「えぇ…本当に」
ふいに、和彦に抱き締められる。
「…和彦。わたし、お鍋を火にかけたままなの…」
和彦の胸の中、知永子は言った。
「ちょっとぐらいいいだろう。知永子…愛しているよ」
和彦が、知永子の耳元で囁く。知永子は、ふっと体から力を抜いた。和彦に身を任せる。
「わたしも…和彦を愛しているわ」
知永子は、和彦の背中に手を回しながら囁き返した。
「和彦を…愛しているわ」
知永子は、もう一度繰り返す。
キッチンから鍋が吹き零れる音が聞こえたが、ふたりはしばらくの間、抱き締め合った。
翌日、区役所の窓口には、知香子の姿があった。名前を呼ばれた知永子は、ゆっくりと立ち上がり窓口へと向かう。
「倉内知香子さんですね。妊娠おめでとうございます。こちらが、母子健康手帳になります」
初老の事務員が、窓口越しにいくつかの冊子を知香子に手渡した。
「妊娠・出産に対するガイドブックの方もご一緒に渡しておりますので、どうぞお読み下さい」
「えぇ…ありがとう」
「妊娠初期は特に気をつける必要がありますが、頑張って元気な赤ちゃんを産んで下さいね」
事務員は、微笑みながら知香子に語りかける。知永子は、ささくれ立ちそうになる心を抑え、笑顔を返した。
事務員に見送られた知香子は、母子手帳以外の冊子を、入り口にあるごみ箱の中に突っ込む。母子手帳さえ手に入れば、後はもう用なしだ。
もちろん、知香子は妊娠などしていない。十年前の流産が原因で、知香子はかなり妊娠するのが難しい体になっていた。全ては、和彦を繋ぎ止める為の手段である。
和彦の性格上、知香子が妊娠したと告げれば、和彦は自分を選ばざるを得ないだろう。和彦を手に入れた後で、流産したとでも言えば何の問題もないはずだ。
「初めから、こうすれば良かったのよ。そもそも、あんな腰抜け男を利用しようとしたあたしが馬鹿だったわ」
不適な笑みを浮かべながら、知香子は言った。
「…お姉ちゃん、あんたの幸せも…もうすぐ終わりよ。あたしが、あんたから全てを奪い取ってやるわ」
高らかな笑い声を上げながら、街中を颯爽と歩いて行く。
<ついに、知香子は禁じ手に打って出た。全ては、愛する男和彦を自らの手中に収める為である。しかし、この企みがあの惨劇の引き金になろうとは。
もはや、事態は引き返すことの出来ないところまで迫っていた。>
つづく
後ろを振り返ってみたが、誰もいない。知香子のことを警戒するあまり、神経過敏になっているのだろうか。
そう思って前を向いた瞬間、知永子は何者かに羽交い締めにされた。ナイフを突きつけられる。
「なっ…」
必死に抵抗を試みたが、男の力は強く、知永子は引き摺られるようにして、暗がりに連れ込まれた。
「…な、何をするの!?」
男の腕から解放された知永子は、男に向かって言う。
「お前の顔を、切り裂くんだ…」
仁は両手でナイフを握り締め、知永子をフェンス際にまで追いやった。
「…ち、知香子ね。知香子に頼まれたのね」
「…あぁ、そうだ」
仁は、ゆっくりと近づいて来る。知永子は、息を飲んだ。
「やれるものなら、やって見なさいよ!」
仁が震えながらナイフを振り上げた刹那、知永子は思い切り叫んだ。仁の動きが止まる。
「そんなことされたって、わたしは負けない!たとえ、あなたがわたしに傷をつけたとしても…わたしは和彦との愛を貫いて行くわ。もし、わたしを止めたいと思うなら…息の根を止めてご覧なさい!!」
言いながら、男の手ごとナイフを掴み、自らの喉元に当てた。
「ほら、やって見なさいよ」
仁の顔を見上げながら、凄む。
知永子の瞳に、知香子の面影を見いだした仁は、思わずナイフを取り落とした。知永子を思い切り突き飛ばして、叫びながら走り去って行く。
知永子は、ほっとしてその場にへたり込んだ。自らの胸に手を当て、鼓動を確かめる。
今し方の自分の言動が、我ながら信じられなかった。何かに取り憑かれたかのように、毅然と暴漢を撃退した自分が。
ふと見ると、ストッキングが伝染していて、かすかに切り傷が出来ていた。知永子は、その傷口から血を拭い取り、ゆっくりと口に含む。
<知永子は、激しく動揺していた。しかし、それは知永子の中に潜む、もうひとりの知永子自身の姿に他ならなかった。
知永子と知香子は文字通り、血を分けた姉妹だったのである。>
「どうゆうこと!!失敗したですって!?」
知香子は、激しく仁を罵った。手近にあったものを、力任せに仁に投げつける。
「済まない…。でも、あの女の瞳に見つめられたら…何も出来なくなったんだ。あの女は…お前と同じ目をしていた。お前と同じ…全てを飲み込む修羅の目だ…」
「ふざけないで!!まさか…あんたがここまで使えない男だとは思わなかったわ。図体ばかり大きいだけで、とんだ木偶の坊ね!」
そう吐き捨てて部屋を出ようとした知香子の腕を、仁が掴んだ。そのまま、知香子を強引に抱きすくめる。
「な、何するのよ!!」
「…なあ、知香子」
「やめて!!離しなさいよ」
知香子は、仁の腕の中で暴れたが、仁は力を緩めなかった。後ろから、強く知香子の体を包み込む。
「俺じゃ、駄目なのか?お前も知っているだろう…。俺が、お前のことを…誰よりも愛していることを。俺なら…あの男のように、お前を裏切ったりしない。たとえ、どんなことがあったとしても…お前を幸せにして見せる」
「笑わせないでよ。あんたが、このあたしを幸せに出来るだなんて…思い上がりも甚だしいわ!それに…あたしが男に幸せにしてもらおうと思うような安っぽい女だなんて、見くびらないで。あたしは、自分の幸せくらい自分で掴んで見せるわ!!」
知香子は、仁を突き飛ばした。仁が、もんどり打って倒れ込む。
「あんたとの関係は、もう解消よ!二度と、あたしに関わって来たりしないで!!」
知香子は、力任せにドアを叩きつけ、部屋を出て行った。残された仁は倒れこんだまま、床に何度も拳を打ちつける。
「知香子…愛してるのに…」
知香子が出て行ったドアを見つめ、苦し気に呻いた。
「お帰りなさい」
知永子は、笑顔で和彦を出迎える。
「夕食の準備ももうすぐ出来るから、晩酌でもして待っていてちょうだい」
和彦から鞄を受け取り、キッチンへ向かった。
「知永子…どうしたんだ、その足?」
目敏く知永子の足に貼られた絆創膏に気づいた和彦が尋ねて来る。
「あぁ…これ?ちょっと帰り道で転んじゃったのよ」
知永子は、笑いながら答えた。
「知永子は、しっかりしているように見えて、割とドジなところがあるからな」
「えぇ…本当に」
ふいに、和彦に抱き締められる。
「…和彦。わたし、お鍋を火にかけたままなの…」
和彦の胸の中、知永子は言った。
「ちょっとぐらいいいだろう。知永子…愛しているよ」
和彦が、知永子の耳元で囁く。知永子は、ふっと体から力を抜いた。和彦に身を任せる。
「わたしも…和彦を愛しているわ」
知永子は、和彦の背中に手を回しながら囁き返した。
「和彦を…愛しているわ」
知永子は、もう一度繰り返す。
キッチンから鍋が吹き零れる音が聞こえたが、ふたりはしばらくの間、抱き締め合った。
翌日、区役所の窓口には、知香子の姿があった。名前を呼ばれた知永子は、ゆっくりと立ち上がり窓口へと向かう。
「倉内知香子さんですね。妊娠おめでとうございます。こちらが、母子健康手帳になります」
初老の事務員が、窓口越しにいくつかの冊子を知香子に手渡した。
「妊娠・出産に対するガイドブックの方もご一緒に渡しておりますので、どうぞお読み下さい」
「えぇ…ありがとう」
「妊娠初期は特に気をつける必要がありますが、頑張って元気な赤ちゃんを産んで下さいね」
事務員は、微笑みながら知香子に語りかける。知永子は、ささくれ立ちそうになる心を抑え、笑顔を返した。
事務員に見送られた知香子は、母子手帳以外の冊子を、入り口にあるごみ箱の中に突っ込む。母子手帳さえ手に入れば、後はもう用なしだ。
もちろん、知香子は妊娠などしていない。十年前の流産が原因で、知香子はかなり妊娠するのが難しい体になっていた。全ては、和彦を繋ぎ止める為の手段である。
和彦の性格上、知香子が妊娠したと告げれば、和彦は自分を選ばざるを得ないだろう。和彦を手に入れた後で、流産したとでも言えば何の問題もないはずだ。
「初めから、こうすれば良かったのよ。そもそも、あんな腰抜け男を利用しようとしたあたしが馬鹿だったわ」
不適な笑みを浮かべながら、知香子は言った。
「…お姉ちゃん、あんたの幸せも…もうすぐ終わりよ。あたしが、あんたから全てを奪い取ってやるわ」
高らかな笑い声を上げながら、街中を颯爽と歩いて行く。
<ついに、知香子は禁じ手に打って出た。全ては、愛する男和彦を自らの手中に収める為である。しかし、この企みがあの惨劇の引き金になろうとは。
もはや、事態は引き返すことの出来ないところまで迫っていた。>
つづく