はじめに
ココ・シャネルは言わずと知れた有名ブランド、CHANELの創業者です。
彼女が社会に送り出したアイテムが世界中で愛されてきたのはもちろん、生き方さえも女性の憧れです。
世界的なトップブランドであるCHANEL。彼女の言葉には経営者としての考え方や自立した女性の強い力を感じます。
今回はココ・シャネルの言葉を紹介します。写真も沢山掲載しているので是非最後までご覧ください!
私は流行を作ってるんじゃない、私が流行(モード)なの
ココ・シャネル(Coco Chanel)
ココ・シャネル人物紹介
ココ・シャネル(Coco Chanel)は1883年8月19日生まれでフランスのソミュール生まれのファッションデザイナー、企業家です。彼女が創設した『CHANEL』は世界有数のファッションブランドとして世界のいたるところで現在も展開しております。
ココ・シャネル(Coco Chanel)こと本名ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chasnel)は、幼少期に母親を亡くし、孤児院で育っています。18歳で社会に出た後は孤児院で習った裁縫を活かして針子として働きながら、キャバレーで歌を歌い、歌手になることを夢見ていました。
その時によく歌っていたのが「Qui q’ua vu coco dans le trocadero(トロカデロでココを見たのはだれ)」という曲です。そのことからタイトルの一部である『ココ』を愛称として呼ばれるようになったと言われています。
芸能での道も考えましたが付き合いのある男性アーサー・カペルのサポートも借り1910年にはカンボン通り21番地に帽子店、1912年にはドーヴィルにブティックをオープンしました。
ココ・シャネルはビジネスをスタートさせて成功しました。ヨーロッパ一の富豪をはじめ当時の著名人たちとも恋愛遍歴を重ね、友情をはぐくみながら7カ国にまたがるネットワークを築き上げました。
1920年代になるとこだわり抜いたフレグランス「シャネルN°5」を発表したのち、メイクアップコレクションやダイヤモンドジュエリーを発表するなど、精力的に活動し続けます。
女性の現実に即した革命的デザインによって、世界的なデザイナーとして成功しました。
第二次世界大戦中には多くのクチュールハウスを閉店しますが、戦後の15年ほどの亡命の期間を経て(大戦中には敵国のドイツ将校と愛人関係にあったので、戦後は身を隠す必要があった)、1954年に70歳で奇跡のカムバックを果たしました。
結婚はせず、女性の社会進出に影響を与え続け、1971年に87歳の生涯を閉じました。
生涯を終える直前まで最前線で仕事を続けました。
アメリカでは既に香水のN°5が知られており、マリリンモンローやジャクリーン・ケネディ(ジョン・エフ・ケネディー夫人)といった著名人がシャネル製品を愛用していたことなどもあって、一躍シャネルの人気は高まりました。
CHANEL N°5の香水
また女性らしいのに実用的で動きやすい、そんなシャネルのスーツは当時アメリカでは革命的であり、1955年にモード・オスカー賞を受賞する快挙を成し遂げました。
次の記事では【②ココ・シャネル魅力】について詳しく解説します!
目標達成やより良く生きるための参考になる部分が沢山あります!
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