自殺とは生きようとすること
自傷とは健全に生きようとすること
僕はそんな風に思う。
穏やかな日常をお祈りするとともに、心より労いの意を捧げたい。
先週の水曜日。仕事終わりに京都の祇園祭、つまり前祭宵山に行こうと目論んでいたのだが、当日、地下鉄四つ橋線に不具合が生じたようで、西梅田駅で運転再開を待つ列車の中で、手持ち無沙汰な時を過ごしていた。別線の近くの駅まで歩くことを勧めるアナウンスが流れ、そんなに時間かかるのかと乾いた笑みがこぼれるも、暑いし疲れるしといった理由で、冷房だけは心地良く効いた列車内に留まることに。一緒に居た同僚の女性と祇園祭や森見さんの小説の話をしているうちに、祇園に行く動機が、単純に山鉾とかを見たいためとい う他に、祇園に居る自分を名目的な経験として確保しておきたいためであることに気づく。残すために行動する。ポーズで行動する。改めようと気をつけていたのに、何も変わっちゃいない。いつもの帰路に進路変更し、猛省した。
文庫化されたばかりの伊坂さんの「SOSの猿」を読み終えたところ、満足感の傍らに、今回はやけに読者に委ねてくるな、というか、解釈するには明らかに材料が足りないな、という印象が残り、年末の高速バスの車内で悶々としていた。たまらず、普段読まないあとがきをめくってみると、とある漫画と対になっていることが分かった。
五十嵐大介さんの「SARU」というその漫画を今日ようやく購入し、カフェに寄り読み切った。小説と漫画か。面白いことするよなぁ、とカフェで人知れずイく。素敵な栄養だ。
五十嵐大介さんの「SARU」というその漫画を今日ようやく購入し、カフェに寄り読み切った。小説と漫画か。面白いことするよなぁ、とカフェで人知れずイく。素敵な栄養だ。