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calm fabric

穏やかに、やわらかく。

【一番太鼓】

開演の時に叩く太鼓。

一人目の主人公の物語の始まり。





頬にキスをされて起きる、という夢を見て目が覚めた。


妻とは今でも少なくとも二週に一度程の間隔でセックスをするが、交際時や結婚当初はその他にも頬にキスをし合うノリが適宜あった。僕はこの瞬間がとても好きだった。セックスは、基礎的な愛情確認方法でありながらも、付き合いが長くなるほど、どこか家事の一環のように位置付けられ、語尾に「こなす」という動詞を付けてしまいがちだ。一方で頬にキスをする行為は、性行為とは切り離された、相手への高純度の愛おしさからくるもののように感じられ、一線をすでに超えた関係においては極めて高尚な営みのように思えていた。結婚して3年半経ち、そのようなノリはなくなってしまったが全然気にはしていない。子供こそなかなかできないが、仲良くやっているように思う。仕事終わり、最寄りのショッピングモールで待ち合わせ、買い出しをし、夕食の準備もどちらが言うでもなく自然と工程の分担がなされる。出来上がった品々や、ショッピングモールで買ってきた出来合いの惣菜、グラスに注がれたビールを並べて、食卓を囲む。休日は、明確な目的地を決めずに車を走らせて、その場でできること、食べられるものを共有する。


心地良いまどろみに後ろ髪を引かれながら寝室から脱出すると、ダイニングで妻が朝食の準備をしている。トーストとゆで卵、野菜果物ジュースが入る予定のコップが食卓を彩り始めていた。


朝と夜の二部制で昼間は休業しているという、風変わりな営業体制を敷いている近所のパン屋で、どちらかタイミングの合う方が食パンを買ってくる。トースターで2分半ほど、軽めの焼き目を付けて、マーガリンと蜂蜜をぬる。たまにお土産でジャムを貰い、蜂蜜の代わりとなるが、そういったときは、近所の商店街がイベントか何かで即興の出店や地物食材の露店で賑わって巨大な道の駅のような空間になっているくらい、心が踊る。そんな高揚感も3日目辺りからは冷め出し、今日は蜂蜜でいいか、となるのだが。卵は、沸騰した熱湯に弱火で10分程茹で、黄身は、固まりきれていない半熟の部分がほんの一部で、しっかり火を通して固める。塩をふりかけ口の中をパサつかせながら頬張り、うまいこと剥がせなかったシールの残りカスのように口内の側面にへばりついた黄身の残留組を、野菜果物ジュースで流し込むのが、夫婦統一のゆで卵の塩梅だった。美味しくて続けている面も勿論あるが、エッグカップ、という用途が限定されている食器としては右に出るものはないであろう代物を、有名食器ブランドのセールで買って以来、使命感に駆られて続けている面もある。ゆで卵を食べなくなればこのブランドもののエッグカップはこの家において存在意義をなくし、使い勝手の悪い小物入れに配置転換されるか、大掃除や引越しの際に希望退職を促される立場を余儀なくさせるか、いずれにせよ非常に暗い将来を与えてしまうことに違いはなく、その申し訳なさと、何より、そこそこの身銭をはたいて取り入れたのだから元は取りたいというくだらない費用対効果観念が働いてもいた。野菜果物ジュースは、そのときあった食材をジューサーにかけて作る。野菜は、人参、小松菜、ビーツ、果物はオレンジ、グレープフルーツ、バナナが基本で各々を組み合わせる。牛乳、すりおろし生姜、蜂蜜も気分で合わせる。いかにも健康的な営みであり、実際にどれほどの効果があるかは別として、多少の不摂生をしてもこれさえ飲んでおけば報われるという、プラシーボ効果にも似た感覚が、僕達を幻想めいた健康的生活に誘っている。使用後のジューサーを洗うのが面倒で、こればかりは手が空いてる方がするのでなく、ジュースの具材を準備していない方が担うという明確なルール付けがされていた。


人参とグレープフルーツ、すりおろし生姜のジュースがコップに注がれる光景をぼんやり眺める。容器のヘリや本体内部にへばりついた生姜と人参の残りカスを思い、洗うのが面倒そうだ、と考える。


ダイニングテーブルに腰掛け、食卓を囲む。ジュースを口に含み、一日の始まりを噛みしめる。

脇に設置しているテレビからは、朝のワイドショーが流れていた。昨夜、とあるファーストフード店で窃盗事件が起きたらしい。閉店後に侵入されて金銭を盗られたのではなく、夜11時の閉店時、レジ閉めをした際に、伝票に記録された売上に比べ現金有高が圧倒的に少ないことが発覚したことから、事件に発展したようだ。額にして約30万円であると報じられている。当然の流れとしてその日勤務していた従業員を詰問したが何も進展はない、とも。また、そのファーストフード店の閉店後12時間にかけて、近隣で、3040代の男性を中心に、バッグの中に不審な封筒が入れられる事件が起こっていた。シンプルな茶封筒の外側に「アゲル」と太字の油性マジックで書かれていて、中身は一万円札、一枚だった。警察に届けられた総額は20万円らしく、金額の不一致に関しては、黙って自分のものにしているか、気づいていないパターンもあると想定され、窃盗事件との関連性は高いとの見解のもと被害実態と犯人の捜査が行われているようだ。

一通りの概要が報じられた後、スタジオにいた人達がコメントを交わしている。快楽的な犯行とよく言うが、その快楽性が一般の感性を持つ人の理解の範疇を超えた場合、どう処理したらよいのか分からないのか、出演者は揃って複雑な表情をしている。その中の一人、おそらく芸人だろうか、あまりお笑いを知らない僕でも顔は分かるくらいなので人気者なのだろう彼が、「いやぁ、快楽のクセが凄い事件ですけどねぇ」と切り出していた。スタジオには乾いたような笑い声がふんわりと漂ったが、言った本人は決まりが悪そうに、真面目なコメントを重ね前言を撤回したいような素振りを見せている。目線をテレビから外し、お笑いに詳しい妻の様子の伺うと、微笑ましい表情でありながらも「今のはいらん」と辛辣にぼやいていた。


変な事件、と続けてぼやきながらトーストを頬張る妻の顔を眺める。

妻の顔が好きだ。

とある男性ミュージシャンの曲で、「君の顔が好きだ 君の髪が好きだ 性格なんてものは僕の頭で勝手に作りあげりゃいい」という歌詞がある。一見ろくでもない台詞だが、本質を捉えているように思う。中身の魅力や相性というものは勿論存在する。しかし、そういった魅力について伝え合ったり想いを巡らせたり、相性の良さについて確かめ合ったり実感したりするときは、大抵顔を合わせたり、側にいないときは表情を想像する。人の内面は、形を持たず、それだけに極めて流れやすく変化し易い。そういった内面における人と人との繋がりは、多くは顔を介して築かれる。極論かもしれないが、人を愛することは顔を愛することなのだと、妻の顔を眺めながら僕は感じていた。惜しむように。目に焼き付けるように。


朝食を終え、ジューサーを洗いながら、今日これからのことを考える。

ここ3日ほどかけて、軽い登山でも行けるくらいの大きめのリュックサックに荷造りをした。量販されている、ありふれたデザインのリュックサックだ。いつものブリーフケースでないことを妻に触れられたが、特別な仕事で荷物が多く必要だ、と誤魔化した。スーツの乱れがないことを確認し、リュックを背負う。玄関で革靴を履く。昨晩磨いたので、ほどよい光沢を放っており、履くだけで全身に力が湧く感覚がある。

「行ってきます」とリビングに居る妻に投げる。「行ってらっしゃい」と見えないところから返ってくる。珈琲か何かを口に含んでいたところなのだろうか、飲み込んだ後の吐息が語頭に含まれていた。ドアを閉め、「矢吹」と刻まれた表札を見上げ、行ってきます、と改めて呟いた。

これから、死ににいく。

【まくら】

:物語の本筋に入る前の話。導入部。

始めに当たり障りのない小噺を入れ、見る側、聞く側のご機嫌を伺う目的で使われがち。





「人生は長いコントや。楽しいことは楽しいまま、辛いことはいつか笑いに変わるさけぇ慌てんでええ。」子供の頃、近所の文具屋を夫婦で切り盛りしていたおやじに言われた台詞だ。

生成色なのか、元々茶色だったのが経年劣化や汚れのためにくすんでしまったのか、ノスタルジックな色合いのチノパンと、赤と黒の、これまた色あせた雰囲気のボーダーのポロシャツをいつも着ており、何故悪臭を放っていないのか不思議なくらい、くたびれていた。一方で、足元は綺麗に磨かれたストレートチップの革靴、といった具合で、お洒落は足元から、を地で行くタイプの男だった。後から聞けば、若い頃は商社マンとしてバリバリ働いていたらしく、その頃の習慣が抜けないんやね、と母がぼやいていた記憶がある。


そこは文具屋の他に、奥さん自家製のコロッケ屋を営んでいた。店の入り口脇に、橙と白のテント付きの売り場スペースを設けていて、簡易的な一段式ショーケース内のアルミ製のバットに、コロッケが無造作に並べられていた。このコロッケが近所の大人子供に何故か好評を得ていて、本業の文具屋より遥かに事業としての体をなしていた。塩茹でして潰したジャガイモと、炒めた玉ねぎと合挽き肉をこね、小麦粉、卵、パン粉の順にまとわせて揚げる。おそらく至極一般的な工程で、特別な具材を使ったりもしていないのだろうが、全身を包み込むような何とも形容し難い味わいがあった。

売り場スペースにフライヤーのような調理設備はなく、店の奥の自宅キッチンで作ったものを都度運んでいたようで、通り道となっているこじんまりとした文具屋スペースには、常にコロッケ特有の香ばしくも甘い匂いが充満していて、文具販売業の不採算ぶりに少なからず影響を与えていた。


そんなわけで、コロッケ販売業で忙しなく立ち回る奥さんをよそに、手が空きがちの文具販売担当のおやじは、通りかかる子供を捕まえては、格言めいたものをよく売りさばいていたのだ。

先日。地下鉄の改札近くにある緑色のガラス張りの掲示板。貼られている広告はない。その端辺りにこびりついたセロテープの跡を、高校生二人が爪で剥がしていた。制服で熱心に。自分達のケツをふいているのか、利他的な精神からか。横を通るとき、爪とセロテープの跡がこすれる音が聞こえた。不思議な光景だった。

たまに指パッチンをしながら歩く人を見かける。そういった人達に対して別に特別な思いはない。先日、そういった人が僕と進路を同じくして横を歩いていた。喧噪に紛れて横でずっとパチパチいっている。等間隔で額に水滴を垂らし精神の追い詰めていく拷問を思い出した。単発では毛ほどもないダメージでも、それを同じ秩序で与え続けることで正気を奪っていく。それに似た感覚を覚え、少し怖くなったところで、ようやく進路が別れた。右耳にだけパチパチの余韻が残っている居心地の悪さを中和するために、左耳のすぐそばで爪パッチンをした。左手なので上手く音が鳴らなかった。

帰宅。郵便受けに宅急便の不在届が入っていた。すぐ再配達依頼の連絡をした。その次に、何故か届いていなかった朝の日経新聞について販売所に問い合わせた。どちらもすぐ届けてくれるという。同時に来ることを少し懸念したが、僅かな時間差で、iphone4の下取り用の箱と朝刊がそれぞれ届いた。僅かな時間差だったので、その辺ですれ違っているかもしれない。それを思うと不思議な気分になった。iphone新聞に一通り目を通したあと、もう役目を終えてデータリセットされた日経4が無傷であることを改めて確認する。これで下取代として月額から割り引かれる。少し上機嫌。まだ手に馴染んでいない日経6をいじりながら、爪パッチンをした。

風が強く、気持ち良い。秋の夜。不思議な感覚が抜けない。
もしかしたら月が一つになっていたりしているのかもしれないが、雲に邪魔されてまだ確認できないでいる。