calm fabric

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穏やかに、やわらかく。

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先週末の夕食。

鮭の炊き込みご飯

塩鮭、舞茸、ささがきゴボウ、だし昆布、おたま一杯分の醤油、酒を入れて炊飯するだけ。

具材それぞれの風味を感じれる優しい仕上がり。
お焦げも良い。


それでは。

【二番太鼓】

開演の時に叩く太鼓。

二人目の主人公の物語の始まり。





「知ってるんだから!浮気したでしょ!?」

タッチ式のオートロックを専用カードで解除し、エントランスに入る。エレベーター前は既に6人程の住民が待っていて、そのうちの、20代後半くらいだろうか、男女2人がもめていた。男はシンプルな綿素材のポロシャツにスラックスを合わせ、スウェード素材のドレスシューズに年相応そうな腕時計を光らせている。IT関係だろうか。女は少し派手なワンピースとシルバーのピンヒールで、オフィス着としては華やか過ぎる気がするので、接客系だろうか。男が手に持つ半透明のスーパーの袋には、スパークリングの日本酒の瓶、缶ビール、きゅうり、モッツァレラチーズなど、すぐにでも晩酌ができそうなものが透けて見えている。

もうすぐ部屋に着くのだから、そういった痴話喧嘩の開始は少し我慢できなかったのか、と俺を含めエレベーターを待つ他の人間は思っていた。漫画やアニメでよく見る、燃えた後のスチールウールのようなグルグルモジャモジャマークが各々の頭上に漂っているのが目に浮かぶ。


上の階へと昇る狭い個室内で、2人の対話、正確には女から男への尋問は、壁を乱反射してステレオスピーカーのように轟いていた。立場も生活リズムも違う住民同士がここで居合わせること自体あまりないのに、こんな人数とエレベーターに同乗するのはかなり珍しい。壁に設置された、階数を表す数字のボタンはいくつも点灯しており、この個室内での滞在時間の長さを突きつけられているようで、げんなりする。

「結局あの子とは何回遊んだの!?」

議題となる相手は既に2人の中で共有されているようだ。遊ぶ、というのがどこまでの行為の事を言っているのか、無駄な想像が働いてしまう。男が口ごもっていると、

「ニカイです」

エレベーターに内蔵された無機質なアナウンスが淡白に鳴った。ちょうど良い間であったこともあり、感情的になっている女はそれが男からの返答だと捉えたのか、まくしたてる。

「単発じゃないの!?」

単発、という鋭利な表現が『遊ぶ』の行為範囲を明確にした。そのあとに続く言葉は、そういう行為かアルバイトかどちらかしかない。

「何回も言ったでしょ!?連絡とるのやめてって」

「サンカイです」

「そこどうでもいいでしょ!?ふざけてるの!?」

無機質な代弁者の介入により、話は軽やかにこじれていく。2人の今後の関係性自体を問う展開に発展する気配があり、室内の空気が重くなる。人が降りていき人数は減っているのに始めより窮屈さを感じる。あまりに重々しい空気にエレベーターの重量制限が反応しないか少し心配になる一方で、いっそのこと制限オーバーのブザー音を流してこの話を強制終了させてくれないだろうか、と起こりもしない事を祈願した。

当事者、正確には被告の立場にもかかわらずもはや第三者になりかけている男は、

「いや待って、落ちついて。それにあの子は、あれだよ。」

口をようやく開くが、歯切れの悪さからして、白か黒か言えば黒なのだろう。その場しのぎの誠実さをアピールしたいのか、罪の所在や論点を他にすり替えたいのか、どうにかこの話の着地点に安全なマットを敷きたく、次に続けるべき言葉を慎重に選んでいる。

「ゴカイです」

男の数秒の沈黙を待ち、代弁者は無機質に鳴った。

「なにが!?いまさら言い訳する気!?」

謝罪や誠意を求めているであろう原告側に対して、容疑自体を否認するのは火に油を注ぐようなものだ。言葉の選択として大不正解だろう。すれ違ったまま、彼らはエレベーターを降りていった。男女の痴情のもつれは大半は言葉足らずが発端だ、と聞いたことがあるが、ちゃんと話し合えるだろうか。他人がどうなろうが知ったこっちゃないが、映画の予告映像のような部分的な物語を見せられたこっちとしては、さすがに結末は気になった。

「ナナカイです」

お前のせいだろ、と心の中で突っ込み、降り際、やかましいわ、の思いを込めて『閉』ボタンを強めに押した。


昨晩のエレベーターでの出来事の概要をメモに残す。芸人の仕事をするうえで、日常生活で起きたちょっとした非日常な出来事は記録するようにしている。ネタ作りの参考にするか、どこかの現場でのトーク材料に使うか。


ネタやトークというのは、単に面白いものを提供すれば良いのではなく、一定の暗黙のルールがある。こいつらしかできない、こいつらならやりそうな、モノである必要がある。ライブや、テレビ、ラジオを通じて、自らのブランディングを行い、土台を作っていく。その土台から外れない範囲でモノを提供する。この土台を芸風とも言い、ネタの世界観や、バラエティ番組における話し方や立ち回り方、言葉選び、ファンとの距離感など、芸人としての生き様を反映したものであり、核となるものだ。もちろん明確な基準があるわけではないが、結果としてそういったルールに基づいたモノの方が、ウケはよく評価もされる、と俺は思っている。芸歴10年目程までの若手は、このブランディングにある程度時間と労力を費やす。同業者のテリトリーを侵さない、独自性のある土台作りだ。10年目以降は若手から中堅への過渡期で、ブランディングの確立や調整をしながら、ネタ作りやラジオ、テレビなどのメディアでの立ち振る舞いを重ね、土台の上にキャリアを形成していく。この辺りで芸人として活躍できるかできないかが分かれていくように思う。

仕事やプライベートでお世話になっている、今やゴールデンタイムの司会をも務める先輩は以前、呑みに連れて行ってもらった席で、

「売れるというのは、馬鹿に見つかることだ」と言ったことがある。ここで、馬鹿、というのは知識や知能が足りないということではなく、詳しくない、ということだ。笑いが好きで詳しい人は、放っておいても勝手に探求し造詣を深めていく。しかし世間の大半はそういうタイプではなく、ネタやライブを自らわざわざ見に行かないし、ラジオも聞かない。放送されたテレビに出ている者をなんとなく見て、面白いかを判断していく。売れる、とはこういった大多数の一般的な感覚を持つ視聴者に認知され、その芸風を面白いモノとして受け入れられることなのだ。かつて一発屋芸人して持ち上げられ不遇な時期を過ごしたこの先輩なりの、定義付けなのかもしれない。世間的には毒舌家というイメージを持たれているが、この人の本来の力は、話す言葉それぞれが物事の本質を捉えているように感じる、という点だ。だから耳を傾けてしまうし、とある事象についてどう考えているか聞きたくなる。

少し時間に余裕が出たので、録画していたバラエティ番組を見た。日本を代表するトーク番組の一つで、毎回一つのテーマについて、精通していたり、相応しい芸人が集まりトークを展開していく。この番組の凄いところは、ある程度キャリアを積んだ中堅芸人からメディア初出演の若手芸人まで、幅広い芸歴の芸人が同じ土俵に立ち番組を組み立てている点と、それだけでなく、毎回変わるテーマが一般的な興味をそそるものであることが多く、笑いが好きな者だけでなく、そこまで詳しくない一般層も巻き込むことができている点だ。これにより、芸人自体の場数経験の蓄積と、お笑い業界への世間的な認知度や理解度の向上を同時に達成している、尊い番組だと俺は思っている。


所属事務所は違うが、芸歴から見て同期くらいの奴が映っている。この番組にコンスタントに出演していて、出演する他の様々な番組でも、的確で秀逸なコメントや立ち振る舞いを重ね、評価を地道に上げてきた。冠番組ではないが、深夜帯で少し前から彼が司会のレギュラー番組も始まっていた。漫才やコントのショーレースで結果を残すことも凄いが、彼のような、メディアで特別に取り上げられることなく、気づいたら地位を上げているような活躍のしかたも凄い。芸人としての腕を視聴者や番組制作側に素直に評価されているということだ。

手のひらにじっとりと汗をかいていることに気づき、履いていたデニムで拭いて、準備にとりかかった。


ここ3日ほどかけて、軽い登山でも行けるくらいの大きめのリュックサックに荷造りをした。量販されている、ありふれたデザインのリュックサックだ。明日から自分達の単独ライブがあり、各地を巡る。

テーブルに置いてある、「アゲル」と太字の油性マジックで書かれた茶封筒に目をやる。昨晩帰って鞄からネタ帳を取り出そうとしたら一緒にくっ付いてきた。恐る恐る中を見ると1万円入っており、余計に怖くなったが、せっかく転がりこんできた非日常を手放すのも少し惜しく、事件か何かで公になり何か言われるまではとりあえず持っておこうと思っていた。使うわけでも警察に届けるわけでもないが、何か役に立つかもしれない、とおもむろにリュックの小窓のポケットに入れた。

スニーカーの紐を少しきつめに結び、部屋をあとにする。無人のエレベーターが7階まで迎えにきた。数字のボタンは『1』だけ点灯している。今度は直通だ。


エントランスに設けられた郵便受けをチラ見する。自分の「平井」と刻まれたボックスから厚手の白い封筒がはみ出していた。何かは大体察しがついている。封筒の中身を思い、自分の中で結論が近づいている事を改めて肌で感じ、身震いがする。ボックスをそのまま通り過ぎ、踵を外に進めた。昼下がりの照り返しに目を細める。

【まくら】

:物語の本筋に入る前の話。導入部。

原則一度しか用いられないが、もう一人の主人公、もう一つの平行する物語が存在する場合、その始まりを円滑にするために再度組み込まれることもある。





「残される人の気持ち考えろ、と言うが、残される人の気持ちを思いやる余裕があったらそもそも自殺なんてしねぇよな。」子供の頃、近所の文具屋を夫婦で切り盛りしていたおじさんに言われた台詞だ。

小学生が浴びる言葉としては若干荷が重い内容な気がするが、いつ梅雨明けんねん、とお天気の小声を言うくらいの軽妙のトーンで喋ってくるので、重く捉えずに済んでいた。


野球がとにかく好きな男で、店番はほどほどに、路肩に顔を出しては贔屓の球団についてしきりにぼやいていた。ドラフト3位の遊撃手がどうだとか、登録抹消中のあいつがどうだとか、就任2年目のOB監督がどうだとか。道行く人にギリギリ聞こえるくらいの音量でぼやくので、内容が気になり相手をしてみたくなるが、おじさんの思う壺となるのは周知の認識で、野球の話をするおじさんの前では、大人、そして大人ほど危機察知能力に長けていない子供でさえも、触れずに通り過ぎるスキルが身についていた。

投球練習を道端で度々披露してもいた。足を上げる高さや角度を微調整したり、腕を振り上げて、ボール、実際にはボールではなく汗拭きタオルであったりレジに置かれている指を湿らせるためのスポンジ状の備品であったりしたのだが、とにかくボール(仮)を放り投げる直前の、腕が肩を抜ける場面を繰り返し、腕の抜け方や力の移行加減を確認したりと、割と本格的に取り組んでいた。フォームを引きで確認する鏡のようなものもなければ、客観的な指導をくれる専属アドバイザーもいないので、完全に自分の感覚のみで勝負しているのだ。そのストイックさを文具屋の経営にも活かせば良いのに。とは誰も言えない。そんな特異な光景を目の当たりにし、気が緩んで挨拶などしてしまった人間は、網にかかった魚のようにおじさんの野球話に包囲されるハメになった。

始球式に出たら160km/hは出せるからな、と誇らしげに発表する光景を何度か見かけたことがある。そろそろ来ると思うんやけどな、とも。子供の頃はまともに聞いていなかったので引っかからなかったが、今思うと、何が来るかといえば、おそらく機会が来るということなのだろう。裁判員制度のように、有権者の中から無作為に始球式の投手が選任されるとでも思っていたのだろうか。そうだとしても、やけに芸能人に偏ってるな、と違和感を感じなかったのだろうか。いやそこまで感じていたとしても、大きな球場で、プレイボール前の盛り上がりの中で、誰も知らない一般人が投げるなど、よっぽどの強心臓か、よっぽどの馬鹿かどちらかで、選任されても断る一般人ばかりで、結果として芸能人に偏った、と思ってる可能性もあり得た。そして選任されたあかつきには二つ返事で承諾する意向があるわけだ。「絶対にやってやるからな」と断固たる決意を話の最後に添えていたのが印象的だった。


冒頭の台詞を聞かされたときは運が悪かった。この文具屋と同じ屋根の下で営業しているおばさんのコロッケ屋は近所で評判で、夕食のおつかいにと学校帰りの子供達が差し向けられることが多く、いかにおじさんの面倒な話に巻き込まれることなくコロッケを買うかというのが子供達の至上命題であった。

この日は、先に他の子供が引っかかっていて、コントだの、笑いだの、変てこな台詞を浴びせられていた。その隙に目的を同じくした友達とコロッケ屋に直行した矢先、ちょうど彼らの話は幕を閉じ、次なる獲物を探すおじさんと一番最初に目が合い生け贄となってしまった。他人のフリをしてコロッケを買う友達を横目に、この網からどう脱出しようかと思考を巡らせていると、おじさんが、投球見せたるわ、と言い残して文具屋の中に消えて行った。レジにある乾いた「指濡らし」を取りに行ったのだろう、と子供ながらに察しがつき、今しかない、とコロッケを急いで獲得し、走って逃げた。少し離れた先でニヤニヤしながら待つ友達を走る勢いそのままに蹴ってやろうと思ったのも懐かしい。


逃げられたことに気づいたおじさんが、こっちを向いて叫んでいた。「絶対にやってやるからな」の怒号が背中を蹴ってきた。