イェーイ

ツーショット撮れました

可愛いわ

さて。今日の魚はここまで。
本日は、思い出話にお付き合いください。
本日は、
先代ジェイの12回忌です。
波瀾万丈の彼の人生を皆様にお知らせします。
昭和62年6月24日に生を受けました。
その年の3月24日に初代、シェーが病気で他界し、初のペットロスに陥ったピロリん一家は、シェーの主治医だった獣医(今は愛ちゃんの主治医)から、素晴らしい子が産まれたからとやってきたのが
ジェイ

イケメンだったシェーから
こんなしょっぼーぃのが来て、またもピロリんとばぁば以外は冷たい態度を取り………って、ピロリん一家全く成長なしだわ

しかし、ヤンチャ坊主にだんだん夢中に

皆様家でありがちな、
スリッパから靴紐まで全てボロボロになり、
服も壊され
カバンも破壊
何もかも壊されまくっても可愛くてね

写真もヤンチャでなんかひっくり返ってたりする

ごめんちゃい

でもとにかくヤンチャすぎて
ワンこらしまくり
庭を、走りまくり
吠えまくり
喧嘩ふっかけまくり
クレームうけまくり
そんなに気にしないピロリん一家でしたが、
小さな団地ゆえ数箇所からうるさいと言われ、受験に落ちたらどう責任取る?とまで言われて、
集中力ないだけじゃんとあっさり言ったピロリん、今愛ちゃんがめちゃくちゃワンこらしている家のオヤジに睨まれながら
ジェイを躾ようとしたけれど、全然変わらず
結局、警察犬訓練学校に

6ヶ月コース。
面会は、最初の一ケ月はダメで次の一ケ月から、毎週日曜日に私らの訓練も兼ねて
マテ!
アトヘ!
スワレ!
も完璧に

出来ずに

訓練士となら完璧に出来るんだけど
ウチらになると全く出来ずに……
何回か練習後、
そのうち訓練士とでも出来なくなり
拒食になり
素敵に一ヶ月で退学に

ウチに戻ったら
イェーイ

オスワリすら出来なくなりましたよ

ま。それでも
元気に可愛くヤンチャに
病気らしい病気もしなく
12歳になった年

今の愛ちゃんの年ですね

家を改装し、フローリングに

ここで滑ったらしく、右後ろ股関節脱臼。しかし、気づくのが遅く…湿布くらいの治療しかしなくて壊死を起こしかけてしまいました

痛くて我慢している時の写真

獣医から、手術をするかどうか聞かれた時に、
家族みんな年齢がいってるから、もう諦めようと。
ジェイは痛みを我慢してほとんど動けなくなってました

大切な顔がコントローラで隠れてる

しかもピロリん転んで剥離骨折した左手小指もばっちり写ってる

ジェイが痛い時にゲームで遊んでたんかい


しかし、私だけは、チャンスがあるなら!と先生にお願いし、
せめて痛みだけでも取ってあげられたらと家族の反対を押し切り、
切断をお願いしました

車一台分の手術代をしぱっと…払える訳もなく、結局、みんなで割り勘し←割り勘と言うか私ら払ったのは志レベル

あらぁ、

見せちゃいけないものがぷらぷらしてますが、
これ隠すと何も見えなくなっちゃうんでお許しを

見ての通り、超元気になって戻ってきました

こちらは、15歳当時の写真

足が一本ないために前足に負担がかかり、外股になってます

が、最期まで三本足で歩きました

16歳も5ヶ月を過ぎた頃に高齢から来る腎臓を悪くし点滴を毎日することになりました。
ただ、点滴をして、夕方までグッタリし、夜から元気になるのを見ていて、
点滴はつらいだけじゃないのか?
辞めてはどうかと主治医と話をし、
半ば強引ではありますが、延命治療?を中止しました。
それから4ヶ月、逆に元気に自分の足でオシッコをし、歩いて。
最期は寝てばかりいましたが、
旅立ちの日はおりしもじぃじが長期出張から帰って来た日、呼吸がおかしくなり一日経たずに旅立ちました。
最期は一生懸命三本足を動かし、走っているように見えました。
ジェイとの出会いで、愛ちゃんとの出会いにも繋がりましたし、一番多感な年頃を家族と仲良く暮らせたのも、仕事を始めてつらくても続けられたのも
全て
この出会いと別れがあったからだと思ってます。
ありがとう。
家族になってくれて。
そしてこれからも家族でいてね

大好きだよ

読んでくださってありがとうございました



皆様との出会いも、
シェーがいて、ジェイと出会い、愛ちゃんが紡いでくれたからですね

これからも、
たぶん
シェルティフリーク ピロリん
で一生いきますが
よろしくお願い申し上げます

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