「真喜志個人の
  生き様、死に様感論」
 
🔷生き様、死に様は人それぞれ違って良いと考えてます
あたり前です。生きてきた道、今の環境、自身のフィロソフィー⇒多様性は当然です

折に触れて真喜志個人の生き様、死に様をブログアップしてきましたが、本日も自分の考えを書き留めておきます。
(注意書き)
真喜志個人の考えです
決して皆様に対して、こうあるべきなどと言う気持ちは全くありません。誤解しないでください。
✫考え方が、あまりにも違い過ぎて不愉快になるそうなら、すぐにブログを閉じてくださいね。✫

🔷ALSと言う完治する治療薬も無い病気に罹患し、これに対処する現代医療、治療を私なりに勉強した結果。⇒手を変え品を変え、身体の自由を命と交換しなから戦い生きる手段は先陣の努力と家族、医療関係者のサポートで出来たきたと感じます。感謝してます。
生きて、まだまだ、見れてない夢を楽しみに生きるのも正しい選択と思います。

🔷一方で「自然な死」が事実上少なくなりかけているかなと私は感じました。
自然な死はブログで述べる事がタブー視されているのかなあ?必死で難病と闘う人に失礼だから、そんな人はブログも書かないのかなあ?とも感じる事があります。がんばってる方に失礼だから。

🔷現代は高度に「医療化」あるいは「文明化」されたものになっています。
入院し、管からの栄養(経管栄養)や点滴を受けながら、また薬を投与されながら人は亡くなっていかれるパターンが増えつつありますね。ある意味安心かなと考えますが、私個人の考えは病院では死にたく無い派です。
(理由は、弱虫、怖がり、寂しがり屋、ワガママ、やりたい様最後まで動きたい、痛い治療、苦しい治療は嫌だ、そして苦しさと不便さが長く続くのが一番からです。)
苦しさに耐えると、元の元気に戻れるなら、一週間くらい地獄の苦しみをさまよい治療も受ける覚悟はあります。
しかし、このALSは、無理デスね。進行は止まりません。

①声が出ない、話せない
 歌えない
②クスリが口から飲めなくなる
③水が誤嚥で飲めない
④食べれない
⑤立てない
⑥歩けない
⑦手が動かない
⑧トイレ、風呂いけない
 ⇑⇑
これヘレン・ケラーよりキツイ症状だよね。患者さん本人は
きっと理解してくれると思う
🔷コロナが流行り、特に入院したら家族さえ自由に呼べないのは、益々、私は病院で最後を迎えたくないと強く感じました。

🔷検査入院の10日間でさえ、精神状態は崩壊しそうになりました。自由が少ないからです。
【声が出せない中で一人入院は私は怖いのだ】
※医療関係者を信用してないわけではないが、私の癖を知らないから阿吽の呼吸の関係までになるのには、かなり時間がかかるなあと考えてしまいます。

🔷命は本人やご家族にとって非常に大切なものです。
一人の人が、人生の最期にどの程度までの医療を受けるのか。これを決めることは容易なことではありません。私も数ヶ月くよくよ悩みましたが、お陰様で方向が決まりました。家族も理解してくれました。

🔷医療の目的は「苦しくなくすること」と「延命」にあります。
延命とはいっても、本人がつらくない延命、本人のためになる延命であるべきだと私は考えます。

🔷いよいよ人生の終わりが来てほとんど食べられなくなったとします。

【選択肢として】
①普通の点滴をする。
⇒これだと命が数週間延びます。
数週間なら真喜志は延命してやり残した事をやる予定ないからやらなて大丈夫。

②鼻から胃袋に管を入れておいて、流動食を流し込む。
これは鼻やのどが非常につらいです。私は怖いからやれません。

③へその少し上から胃袋に管を通して「胃瘻」で流動食を流し込む。
これは、落ち着いてしまうとあまりつらくはありません。命はそれなりに長持ちします。
胃瘻で長生きして、沢山やりたいことがある方は、胃瘻は有効だが、また、胃瘻の次に気管切開による人口呼吸器設置等、新たなるハードルが私と家族にのしかかる。介護士さんのヘルプも助かるが24時間身内以外と過ごすのは頭が正常に働きボケていないうちは私が恐縮してしまいかえって疲れそうで嫌だ。
したがって妻や家族には悪いが「短期決戦で良いから自宅で看取られたい」「具体的には寝込んでから1か月以内かな」
⇒私は口から食べたいから胃瘻はやりません。
⇒延命しても、やり遂げたい夢は、全てやったかやらなくて後悔なし。
⇒痛みどめの緩和ケアは座薬などでしっかり御願いしたい

④身体の奥の太い血管に点滴の管を入れ、濃い点滴をする。
⇒人生の終わりに行う点滴としては果たして適切なものか私は理解出来ないからやりません。
⇒身体に傷をつけるのが嫌

⑤食べられるだけ食べてあとは自然に任せる。
人間は飲まず食わずになると数日から一週間程度で極楽浄土か天国に行きます。
楽しむだけ楽しみ、口から食べれなくなれば動物と同じで自然で私は納得できます。
✫但し⇒痛み、苦しみの緩和ケアだけは120%の医療技術で私を支えては欲しいです。
いざとなったら、
私には強力な
ALSアベンジャーズが
つい最近、訪問医、訪問看護士として、すぐさま駆けつけて
くださる事になりました。
感謝です。

以上の五つになりますね。

🟩以上の考えと段取りを踏み
私の考えにふさわしいと思うのは⑤にいたしました
なんども言います。これは私個人の考えです。誤解なきよう

(選択理由)
🔷自分の人生は満喫した
🔷守るべき家族は100点で
 守りきった
⇒子ども達も40才近くに成長にしっかり独り立ちした
🔷私が死んでから困らない
 方向付けも伝承した
🔷せっかく、ここまで完璧に
 準備できたので、是非、
 残された家族は私を世話する
 時間よりは自分自身の人生を
 謳歌する時間に使ってくれる
 事が私は一番嬉しい。
【重要な事】
大切なのは、そのやりかたで
🔷本人がつらくないか
🔷本人のためになっているか
ということだと思います。
✫治療をすることで苦しみが延びることはしたくないなあと思います。

🟩人生の最期にどの程度までの医療を受けるかは、昨年5月から何度も何度も私の意思を家族も交えて話し合ってきました。
自分がどうしてほしいかを周りの人にしっかりと話し書面化しました。家族は「しっかり、真喜志の意思を受け止めた、全力で、それに向けてサポートする」と理解してくれました。
幸せです。私は。

🟩よく、世間では、生きる死ぬ
そんな難しいこと、医療の素人の私たちにはわかりません。
確かにそうです。

🟩家族に任せる
それはそれで1つの見識だと思います。でも、大体の路線はお考えになった方があとあとバタバタしないですむかなと私は考えます。

🟩なんかすっきりしないですね。そうです、すっきりしないんです。

🟩自然が想定していなかった治療を人類開発した。
(かえってそのせいで)悩まなければならなくなったのでないのかなあ。

 生き物はナチュラルに
 痛み止めだけは
 発達して欲しいですね
 63才ハチめちゃに
 遊ぶ
 汗水たらして、精神が
 壊れ、髪の毛がストレス
 で一時期、半分脱毛した
 脱毛のまま、意地で
 電車通勤して仕事に
 燃えた
 産業医が頼むから
 休んでくださいと
 言われるまで
 会社に通った
 それだけやった
 仕事も遊びも
 家族を支える事も
 多分、人の2倍は
 やった
 身を粉にした
 私にとって
 これ以上は
 粉になるほど
 現代医療の
 お力で
 あまり世話に
 なりたくない
 なおらない病気なら
 なおさら
 自然に
 自然に
 天命と
 受け止め
 生命つきるまで
 家族といたい
 家族が
 私の世界最高の
 心の痛み止めなのだ
 さあ、今日も
 家族と握手し
 笑顔をもらい
 無償のモルヒネを
 もらおうかな
 「慈愛」と言う名の
     真喜志

 なすがままに!照れ