今日は人生の節目になった日

自分の気持ちを整理する為に
思いをそのまま書いてみようと思う。

ずっと向き合わなくてはいけないと思っていた

このままではいけないと


主人と別居して3年半の月日が過ぎていた





結婚して30年

結婚記念日は平成3年3月3日




当時の私は結婚願望なんて全くなかった。

物心ついた頃から結婚したら不幸になると思っていた。

昔の子供の頃の事を思い出した。


国鉄職員だった父は
仕事が終わってすぐ帰ってきたためしがなかった。

当時お給料は現金手渡しだった
父は給料日はほぼギャンブルやお酒にお金を使い果たし

お金が無くなると酔っ払って帰ってきては母や私たちに当たり散らしていた

私は父が酔って帰って来ると

理不尽に怒鳴り当たり散らされるのが嫌で

いつも寝たふりをしていた。



母は何日もなんの連絡もなく帰って来ない父の帰りを毎日ご飯の用意をして待っていた。

生活出来ないと泣きながらよく祖母に電話をしていた。

たまに帰って来る父は

当時の父親にしては珍しくて家事もすべてやっていた。


普段は正義感が強く涙もろくて

綺麗好きでいつもきちんとしていた。


平日が休みの時は参観日にも来てくれた。

涙お酒を飲むと別人のようになり


当たり散らしギャンブルに明け暮れていた父は不器用で



本当は優しく弱い人だったのだろう。

そんな

家族の顔色ばかり気にして

ビクビクする生活から早く解放されたかった。


時には幸せな結婚生活を夢見て

早く大人になりたいと思っていた。



そして

社会人になり主人と出会った

主人とは職場の同期で同じ部署で働いていたのでいつも身近な存在だった。

お付き合いするようになったのも自然な成り行きだった。

私の妊娠がわかりそれを告げた時は

予想外に

すぐ結婚しようと言ってくれた時は本当に驚いたけど嬉しかった。


結婚まで考えてくれているとは

思ってなかったし


断られるのを前提に私は

最悪の事しか考えてなかったから。



昔ながらの昭和の男みたいな父に結婚したいから会いに行くとすぐ言ってくれた事に

驚いた。



怖い顔で睨まれ
当時正社員ではなかった事を咎められ
お前なんかに娘を幸せになんて出来ない!

そう言われても、絶対幸せにしますので

結婚させてくださいと


父に頭を下げてくれた事は

嬉しくて今も忘れない。



当時まだ珍しかったデキ婚

もちろん父は激怒した

俺は認めない

お前が不幸になるのは目に見えてわかっている。


そう言ったまま私が結婚して3年後


父は癌で亡くなった。

当時まだ58歳だった。

今となっては
当時父が言っていた事が痛いほどわかる。

父は正社員ではなく嘱託社員だった主人の事が気に入らなかったのだ。

お酒が飲めなかった事も

見た目も性格も父と正反対だった事も


とにかく主人のすべてが
気に入らなかったのだ。

父に嫌悪感を抱き、大嫌いで

嫌な思い出しかなかった私は


あえて父とすべてが正反対の人を選ぶ事で


負のスパイラルから抜け出したかったのかもしれない。

それと
後にわかった事なのだけど

私たちは生まれる前から出会う
運命だったようなのだ。

この事はまたの機会に
このブログで書かせていただこうと思う。

とにかく今日は

もう元には戻れないのだという事がわかった事。

結婚してから30年

私の思いは幾度となく伝えてきたけれど

いつも一方通行だった

主人の思いは一度も私に伝えてくれた事は無かった事。

お互い足りない所を補い合い共に成長していくのが夫婦


私だけがそう思っていた



お互い一緒にいると駄目になってしまう

もはやお互いを必要とはしていない事

それが今日はっきりわかったのだ。


占い師目線から観て俯瞰して
私たち夫婦を占ってみたら

やはり正反対で難しい相性
お互い剋し合う相性
なのだ


それがはっきりとわかって

ひとりで生きていく覚悟が出来た。

これからは
前を向いて生きていく

まだまだ上手く

自分の気持ちを表現出来ないけど

書きながらなんか

まとまりがなくなっとしまったけれど



残りの人生何年生きられるかわからない

けれど


これからは


私のために自分軸で生きていこうと思う。







久しぶりの投稿になりました。

拙い私のブログ最後までお読みいただき
ありがとうございます^_^