こんばんは、柊です。
このブログに日記を投稿するのにここ一年足が遠のいている気がしています。
ここは自らの居場所であり、ありのままの自分でいられつつも、ありたい自分でもいられる不思議な場所です。
もうすぐ9周年を迎えるので、マイペースに、たやさずにつむいでいけたらと思います。
年が明けてすぐ私の元にきた知らせは、部活の後輩の早すぎる訃報でした。
驚きが隠せなくて、ショックで、とにかく連絡と予定合わせをし、月末に再度地元を訪れることに。
なぜ月末になったかというと、予定を合わせて一緒に手を合わせにいきたい相手がいたから。
その後輩は一歳年下で、吹奏楽部で一緒にフルートを吹いていました。私と、もう一人同級生(今回予定を合わせた子)と、その後輩との3人の編成でした。
1年生の頃はそれこそ全然懐いてもらえず、コミュニケーションが取れない日々でしたが、2年生(私は3年生)になった途端なついてくれて、卒業の日の最後には手紙もくれて、どこか危なっかしい雰囲気をずっと感じながらも、あとは任せたよ、と私たちの想いを託せる後輩でした。
卒業してからも数年、大会を応援に行ったりしましたが、そんなにたくさん話すこともなく、SNSもいつの間にか繋がりが絶えていた私たち。それでも、私はすぐに、行かなくちゃ!と思いました。
同じパートの同級生も同じだったと思います。
それこそ2年ぶりに連絡をとりましたが、すぐに予定は決まり当日に。
私も同級生も都会の人間で車の運転ができないので妹にお願いし、初めて後輩の家へ。
それまで「悲しい」というより「なんで」の驚きが強かったせいか、小さな箱になった後輩を見て、ぐっと目頭が熱くなりました。
お作法も、親族との会話も正直もうよくわからなくて、
ただただ目の前の現実を受け止めるのに時間がかかりました。
お母さんもすでに他界されていて、お家のことを見ているのは叔母さんだったのですが、これがきっかけでまた繋がる縁もあるだろうし…という話もされていました。
不本意ながらも私と同級生が再会するのもその後輩のおかげだったし、ほんとにたくさんのひとがお参りにきてくれたようで、この縁を絶対にわすれちゃいけない、そう思いました。
そのあと、同級生とカフェで昔話をし、そのまま新幹線に一人乗り込み、流れていく雪景色を見ながら、私はやっと涙を流しました。
あまり親しくしてこなかった、というと言い方が悪いのですが、この交流の間柄でもこんなに情緒を持っていかれるのに、身近な人の不幸がきたら、一体どうなっていくんだろう。
そんな不安がよぎります。
私のために生きてほしいなんてことは言えないけれど、私のために死なないでいてほしい、親しい人みんなに対してそう思いました。とっても傲慢ですが。
死の恐怖は、大人になったら和らぐと思ったのに。
そういう人生もあるんだな、と飲み込めると思ったのに。
誰しもに必ずおとずれる最後が、こんなにも怖いなんて、どうかしてる。