こんばんは
昌磨さんがオーストリアで充実の練習を送っているようなので…
今回は前からちょっとまとめてみたかったことを書いてみました。
皆さん、呉座勇一さんてご存じですか?
歴史学者の方なんですが、いわゆるトンデモ歴史学に真っ向から正論で論破しちゃう人です。
歴史学者がファンタジー小説相手に大人気ない…って言われようとも、あたかもこれが「教科書では教えてくれないホントの歴史」みたいな触れ込みで売り出されてるのが見過ごせない!ってお考えのようです。
そもそも「教科書では教えてくれない…」って時点で「そりゃ、事実じゃないから教えないでしょ。」っておっしゃってて実に痛快な方だなぁと思って注目してました
以前、出演されたラジオでとても興味深い事を話されていました。
史実ってのは不可解で分からない部分が多い。
いわゆる陰謀論や黒幕説を唱える人は
「なぜ、こんな慎重な人がこのときはこんな行動をとってしまったんだろう」って事が起こったときに「なぜ」の部分を想像で穴埋めしてしまう。
残っている資料では合わなかった辻褄をパズルを組み立てるように無理やり合わせて未完の物語を自分で完結させてしまう。
本来、歴史とはもっと複雑でいろんな人間や背景が絡み合って起こることなので全体像が見えにくいもの。
それを陰謀や黒幕のせいにして単純化させてしまうことで「分かった」つもりになっている。
もちろん、これが創作の歴史小説としてなら問題ないのですが、本屋さんに行くとその線引きが非常に曖昧で歴史学書とごちゃごちゃになっている場合が多く、また、そういうトンデモ論の方が印象的な見出しを付けやすいので一般読者の気を惹き付けやすい。
そういう状況に危機感を持っている。
この話を聞いてて、これは何も歴史だけじゃなく現代社会のあらゆる場所でこのような風潮はあるな…と思いました。
私の場合、真っ先に浮かんだのはスケート界隈です。
自分の推し選手が思い望んだ結果や点数が出なかったときに、すぐそれをジャッジの不正採点に結びつけ、検証と称した素人トンデモ採点を有り難がって拡散させる…なんてのは最早恒例行事となりつつあります。
また、選手が試合を欠場すると「○○選手は酷使されてる」「そんな理由で休むなんて納得できない」「診断書見せろ」「○○を推したいスケ連(またはISU)の思惑」等々…○○の中だけ変わって毎度毎度ファンの応酬が繰り広げられます。
ただのファンが知り得る情報はごく一部。
○○選手が可哀想!なんて気持ちを代弁されてたりしますが、私にはその選手が自分は可哀想って思ってるようには全く見えないです。
採点にしてもテクニカルハンドブックや採点のガイドラインを読んだところでジャッジになれる訳じゃない。読んで理解したから素人でもジャッジと同じように採点できる…なんてあり得ないわけです。
そもそもテレビ画面から得られる情報量はとても少なく、会場でもジャッジ席と客席からでは見え方が違うと鈴木明子さんがおっしゃっておられたそうです。
また、中野友加里さんはN級ジャッジ(全日本選手権のジャッジ)の資格を目指しているそうですが現在はまだB級(ブロック大会)だったと思います。元トップスケーターといえどもN級や国際ジャッジを取るのは相当難しいのだと見えます。
そんな現実は一切無視して、
限られた側面しか見えてないのに納得できないと暴れられてもそりゃ困るでしょう…
関係者の皆さま心中お察しします…なーんて毎回思っちゃいます
NHKに出られたときのものです。
(一部抜粋)
『自分で結論が出せない』『答えが出せない』『白黒つけられない』という宙ぶらりんの状態は、非常に居心地が悪くて不快なものだが、そういう状態に耐えるということ。
『自分が分からない』『まだ知識や情報が足りていない』『勉強が足りていない』と素直に認めることが、誠実な、知的な態度、知的に正しいやり方であって、それをやらないと結局、成長もない。
『自分が分からない』『まだ知識や情報が足りていない』『勉強が足りていない』と素直に認めることが、誠実な、知的な態度、知的に正しいやり方であって、それをやらないと結局、成長もない。
もう、これが全てだと思います。
自戒の念も込めて今回は書きました。情報溢れる現代では自分にとって都合のいいものばかり選択しがちです。
偏った情報は物事の一部でしかないということを常に念頭に置いておきたいものです。