入院中にいろいろ


私は発症後2022年で36年目

発症年齢は12歳

年齢がバレるね


前のブログでもあったけど、この当時はネットは存在しません。


しかも難病の助成制度なんか知り得ません。


1度目の検査入院でも病名が判明した程度で難病の申請なんか知らないんだからしない。

2度目の入院でも知らないんだからできない。


支払いの請求書がベッドに届くんですよね。

そんでうちに電話して、20万とかかかってるよってお知らせして払うんですよね。

そんなこと2〜3回やってるうちに、同室の同病の患者さんが言うんですよ。

「なんで金払うんだ?⤴︎」って。

「この病気はお金かかんね〜ぞ〜⤴︎」と。

で、早速家に電話して知らせたんですよね。「タダになるみたいよ?」って。

んでもって、例の面倒見のいい女性の先生にお話ししたら書類くれたんですよね。

「これ持って保健所に行って」と親が来た時渡したんですよ。


母親は当時、相当困ってたみたい。

天の助けだと思ったそうな。世の中何とかなるもんだと。

それと私のことはこう思ってたそう。

「この子はおそらく一生車いすの生活になるんだろう。覚悟しなきゃ」と。

当時は夫婦で子供たちが寝てから涙してたと10年ぐらい前に何かの時に聞いたかな。


医師に助けられて、患者に助けられ、国の制度に助けられ…亡くなったじいさんにも助けられて。

運が良かったと今では思っています。


病気は誰だっていつかするもんです。

私の場合は運が良かっただけ。

出会う人達がみんなして良くしてくれた。


それと、私はどうしても病院の食事に慣れなかったんです。最強のご飯のお供はふりかけでしたね。

先に退院していったおねぇさんが、お見舞いに来てくれた時に食べ物差し入れてくれたこともあってありがたかった。

ある時、でっかい刈り上げされたピンク色のウサギのぬいぐるみ持ってきた時は嬉しかったです。僕、男の子なんだけどね(^^)

枕元に置いて寝てましたね。


みんな温かかった。本当にありがとう。

お会いして言えないのが残念でなりません。

とは言え13歳程度の私から見たら結構な年上の方だったので、いったい今はおいくつになっているのでしょうか?

孫がいるのかもしれません。


文字に起こしているとしみじみとしてしまいました。

なんかほっこりしてしまったので、これまでにします。


入院中のことはまだまだいろいろありまして、思い出すストーリーがあればアップしたいと思います。