夫が亡くなってから、唯一何もかも全てを吐き出せた相手は、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の僧侶の方でした。

手紙のみでのやり取りなので、リアルタイムなやり取りではないですが、その時間差もその頃の私にはちょうど良かったです。


毎晩子どもが寝てから便箋を出して手紙を少しずつ書き、失敗しては書き直し、考えが変わって書き直し、溢れた涙で字が滲んでしまって、また1から書き直し…

そんな調子で手紙を書き終えて、投函して、僧侶の方の返事を受け取ると、1ヶ月半くらいが経っていました。
そのやり取りが、大きな支えでした。


その頃、自死したら死後も苦しむ、という昔どこかで聞いた話がどうしても引っかかっていたのと、自身の言動の後悔で、表面上は元気でも、心は潰れそうでした。
他にも両親にも言えていないこともあって、自分ひとりで全てを消化するのは限界でした。


初回、便箋10枚を超える私の長い手紙に、自筆の丁寧な返事が来ました。


今もその手紙は、私のお守り代わりで大切にしています。その後、半年くらいやり取りをして、私はようやく、住職の方との手紙のやり取りがなくても、自力で気持ちに折り合いをつけて日々を過ごせるようになりました。

たとえば、不調が続いたとき、家族や友人ではなく、医師に「大丈夫」と言ってもらうと安心できるように、その住職の方の言葉は、心の支えになりました。

この先どうしても迷い立ち止まってしまったら、また相談しようと思える、信頼できる人が見つかったのはかなり大きかったです。毎回同じ方が返事をくださったのも有り難かったです。


今日もきっと、その会の住職の方々は、苦しみの最中にいる他の方を支えてくださっていると思います。
本当に頭が下がります。

もうすぐ1年が経ち、当時をどうしても思い出してしまい、つらくなるときもあります。でも命日を前に、どうにかちゃんと私はやれているという報告と、当時のお礼を、改めてお伝えしようかと思いました。

今日は冷え込んでいます。
それでも、1年前と同じように、隣の家の紅梅が咲き始めていました。