名前は、親から子への最初の一生ものの贈り物なので、私達も子どもの名前は、時間をかけて思いを込めて考えました。

色々考え話し合い、ようやく納得する名前が決まったとき、私達はすごく嬉しかったです。

名前が決まってからは、二人でお腹の子に向かって何回もその名を呼んでいました。
子どもが自分の名前を一生大切に、誇りに思ってくれたら嬉しいなと感じました。


そんな思いの詰まった大切な子どもの名前についても、義父は「どうせ名前の通りになんかならない、正反対になるだろうな」と鼻で笑いましたが。



夫の名前は、両親ではなく祖父だったか親戚だったかがつけたそうです。
思いや願いがあれば、私は別に誰がつけてもいいと思いますが、義父があまりにも適当に考えたいい加減な名前に、見るに見かねた祖父か親戚かが、代わってつけたそうです。

歴史上の、勇敢で猛々しい人物のイメージのその名前も、本来の夫とは違う印象を周囲に与えていたように思います。



夫の戒名をつけるとき…

住職さんが、生前の夫の仕事や趣味、大切にしてきたものを訊ねられました。
私は最初は、「夫は音楽が好きで、本もよく読んでいて、あとは自然も好きで…」と答えていましたが、途中で涙が止まらなくなりました。

戒名の付け方が全てそうなのかわかりませんが、生前その人が大切にしていたものや、その人らしさを表す漢字を、戒名に組み込んでくださるようなのです。

私はそれを拒否しました。

「夫はつらくて苦しい人生を、必死に生きてきたんです。この世で頑張って生きて、でもこの世が苦しくてつらくて、最期は自ら死んでしまったんです。最期は私とも喧嘩したままで。だからもう、この世のしがらみを忘れて、次の場所で、夫らしく自由に、何事にもとらわれず過ごせるように、そんな名前にしてもらえませんか?」

そんなわがままを、大泣きしながらお願いしました。



次の日、住職の方が「ずいぶん悩みましたが…」と言って、真っ白な紙に自筆で書いた戒名を披露してくださいました。込められた意味も、そこに一緒に書かれていました。
雄大な自然の中、ただ穏やかに真っ直ぐに、というイメージの、すごくいい戒名だと思いました。心がこもっていました。

他の方の戒名など今まで気にもしたことがなかったのですが、そのお寺のお墓に彫られた戒名は、何だか温かいイメージのものが多い印象でした。

戒名は要らないと言う考えもありますし、私も戒名を持つことの細かい意味は正直わかりません。
でも私は、住職さんの心のこもったこの戒名に救われました。
もちろん夫のことは今でも名前で呼びますが、戒名のほうが夫らしい気もするのです。