お互いが分かりあえないまま、もう私達は二度と会えなくなりました。
生きてくれていさえすれば、またわかり合える可能性もあったのに、その可能性はゼロになりました。
夫に対しては、色々な感情がありすぎて、今でも何を思えばいいのかよくわかりません。
ただ思うのは、私はあまりにも人として未熟だったということ。そして尽きない後悔。
…私は本当に悪かった、最後、私のせいでこうなった。でも悪かったのは、本当に私だけだろうか?
…もし時間が戻るなら、どこまで戻れば違う未来になっただろうか?
答えは出ません。
多分、この先もずっとずっと。
でも、自分なりに考えていこうと思います。
でも一方で、過去に戻れたとして違う選択をして、その時を超えたとしても、また違う未来で同じような結果になっていたような気もするのです。
計画的だったのか、突発的だったのかも、よくわかりません。
自殺未遂を繰り返していた頃の雑記帳には、遺書めいたことが書かれていました。
でも、このときの遺書はありませんでした。
夫の日常の色々が、あまりにもやりかけのままの状態でした。
そのやりかけのままの色々が、また夫がふと帰ってくるような感じがして、私が夫の死を受け入れるのを拒ませました。
それでも1ヶ月半後には復職も迫っており、少しずつ少しずつ片付けました。
思い入れのあるものは四十九日を過ぎてから、気持ちを切り替えないとと思い、処分しました。
でも未だに、身につけていた腕時計や財布は、最後に置かれた位置のままです。
子どもにとって、父親の物が何も無いのは将来悲しむかと思い、色々考えて、買い物のときに一緒に選んで買ったTシャツ数枚と、ほとんど使うことはなかったネクタイ、腕時計を残しました。
Tシャツを見せて、「お父さん、こんなに大きかったんだよ。あなたも負けないくらい、元気に大きくなってね」…そんなことを笑って言いたいです。