私は福祉関係の総合相談の窓口で働いていますが、いざ自分が相談する側になると、仕事の時のような冷静さなど微塵もなく、ただの追い詰められ混乱した人でした。


心身ともに疲れ果て、気力を振り絞って、必死で相談窓口に電話をし、そこで思った対応がしてもらえない絶望は、かなりのものでした。
もう次に、違うどこかに相談しようとは考えなかったし、そんな気力も無かったし、どうせどこでも一緒の対応だろうなと諦めました。


復職前は、自分の仕事の責任と恐ろしさで、復職が怖かったです。それに、一番身近な大切な人を救えなかったどころか、追い詰めた自分に、もうそんな仕事をする資格は無いと思いました。


それでも今、復職して同じ仕事をしています。

経済的にも復職以外の選択肢はなく、落ちまくってやっと入れた保育園を断って、悠長に他の仕事を探す余裕などありませんでした。


だから思いました。

どうせやるなら、自分の仕事と徹底的に向き合ってやろうと。


夫に対して出来なかったことを、
夫を救えなかった代わりに誰かを、
自分の経験を活かして、

…なんていうのはきれいごとの自己満足だから言わないし、そもそも全くそうは思っていません。
仕事にプライベートな感情は持ち込まないようにしているし、仕事は罪滅ぼしでも何でもない。

でももうこれ以上、誰かを傷つけ、その人が生きることに絶望してしまうような人間にはなりたくないと思います。

生きる希望なんて、今の私も持てていないし、そもそも自分に、生きる意義を語る資格も能力も無いです。

でも思うのです。

少子化だと騒がれる社会だけれど、生まれてくる命の数だけを考えるのではなく、どうかその生まれた命が、健やかに全うされる社会になりますようにと。

そんなことを、命日近くの、夫が亡くなったのと同じ、月曜日の朝に思いました。


スケールの大きな願いですが、まずはそのほんの一端として、日々仕事に、相手に、真摯に向き合っていきます。


それでは今日も、行ってきます。