「これは合気ですか?」


 中心帰納を実演されたあと白石先生が問いかける、合気と呼ばれる現象にいくつか種類がある、そしてそれぞれに中心帰納の有り、無しバージョンを考えてみた。

 分類すると(分類は流派により違う今回は北見合気武道の伊藤師範の説明より)

①本合気(首や中心にかけてある種の硬直を誘う)

②抜合気(脱力からの崩し)

③流(所謂合気会的な動き)

④三方向同時(白鳳流の合気の一つ)

①は指先を相手に向けて開くが、これは気発なんじゃないか?だとすると中心帰納という言葉ではないだけで非常に重なることが多い、そこに精神性、つまり質感を求めるのが中心帰納である、他の合気は肉体的なものから入るが仕上げははどうしても質感を伴うものである、それは言語化していない場合もあるように見える。

白鳳流は②の重力を使ったものであるが、これは意図を読まれないという事で中心帰納との親和性が高い接触時に中心帰納する事によりさらに精度が増す。

③これはおそらく中心帰納をする事により動きが小さくなり流さなくても動くようになる。

④三方向同時は実は物理というか生理学的な技術で脳の混乱を誘う技術であり、そこには質感を伴わないで崩しが可能である。

 参加者でおそらく柔道の経験者がいた、中心帰納しても流石に崩しが入ったところでリカバリーが早く中々崩れない。

 しかしである、三方向同時は崩しの技術で単体でもかなり効く。

 中心帰納してからかけると異なる質感が現れる。


何が言いたいのか?


中心帰納は意図を消し質感を相手作用させ崩し倒すのを目的としていない。


 合気は崩し倒すための技術である。

成田新十郎は強烈な中心帰納で崩し倒してしまっているため合気ととらえる人もいるが中心帰納とは崩し倒す技術ではないのである。

結果そうなるのだがそういうものを狙ったわけではない、極端な例を出せばピアノや料理、声楽に中心帰納をすれば絶妙な味が出てくるのは想像に固くない、しかし人が倒れる事はない。

中心帰納と合気の差はそこである、肉体的な技術に精神的な技術を入れ込む合気、その精神的なものの質感、精度を高めて行くための手法が中心帰納というわけである。

今回の講習会であらためて腰の一点でとるという事の重要性がわかった、おそらく今から精度が上がるためもう言語化する事は厳しくなる、そうなるとこのブログも詩的ななにかを置く場に変わるかもしれない😅