今日の印象的なシーン

おばあちゃんの一言

(尾道のお兄ちゃんが帰って、再び二人で寝る事になった夜)

あかり「本当のお父さんってどんな人?」

おばあちゃん「三つだけ教えてやる。」
         「一つ目は、私はあんたの父親が誰か知らない。生きてるか死んでるかも知らん。」
「二つ目は、人は何のために生まれてきたのか」
「三つ目は、夜になったら寝るもんや。嫌でも朝は来るんや・・・。」

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三つ目の言葉に心打たれました。

誰にも朝は来る。

この朝を良い意味でとらえるか・・・・。

悪い意味でとらえるか・・・・。

これは見た人それぞれで違うかもしれません。

ただ、おばあちゃんの表情などを見たとき、

『世の中にはどうしようもないことがある』ってのを感じました。

おばあちゃんも色々、娘や孫に対しての思いがあったとおもいます。

時には、会いたかったり

時には、一緒に食卓を囲んだり

それがかなわない時、『どうしようもない』ってあきらめてきたのかな。。。。


あかりが涙しているのも印象的でした。


現代の僕たちは、意外とあきらめずにのほほんと生きれてきた人が多いのかもしれないなって思いました。


では、また次回!!


<なお、本文中の台詞やシーンについては、僕が覚えているままに書いているので実際とは相違がある場合もあります。>
今日の印象的なシーン

「あかり」と「千春」の名前の由来


(千春さんのお墓参りに来ていたおかあちゃんとあかりが、偶然出くわす。
 その後、おかあちゃんがあかりの名前の由来を教えて、あかりの頭を両手ではさんで)。

お母ちゃん「(あやす様に)びっくりじゃったのお・・・」



おばあちゃんが仏前で「ちはる」の名前の由来を言ったところ。

おばあちゃん「便りが無いということは元気な証拠。・・・誰が言ったんや」
        「千の春まで生きますようにってつけてやったのに・・・」

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名前があると言うことは、誰かが名づけたわけで・・・。

そこには、誰かの思いがあるわけで・・・。


誰も泣こうと思ってつけてるわけじゃないのに・・・。


今回の第1週で思うことは。
「誰も悪くないのに・・・」

あいつが悪いと言える時って、もしかすると幸せなのかもしれませんね・・・。


では、また次回!!


<なお、本文中の台詞やシーンについては、僕が覚えているままに書いているので実際とは相違がある場合もあります。>
今日の印象的なシーン





トランペットケースを抱いて・・・






(村上家へやってきた、おばあちゃん。千春がなくなっていることを知り、その夜は村上家で泊まることに)。



(既に電気を消した居間。トランペットのケースを背にして横になっている。)




おばあちゃん「何やってんねん。こんな寂しい街で死ぬために家出したんか・・・。」
      
      「ラッパ吹きたいいうて・・・。ウソばっかしや・・・」

      「悔しかったら、なんぞ言い返してみぃ・・・」


(トランペットのケースを抱いて)


おばあちゃん「アホ・・・。アホやら・・・。」
    

      「アホッタレ(子供の尻を叩くようにケースをたたく)。」
      
      「アホッタレ(ケースをたたく。)」

(そして、またケースを抱きしめ、声をころして泣く)







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身近な人間は、連絡がなければ今日も当然生きていると思いますよね。

生きているといわなくても、亡くなっているなんて思いもしません。



亡くなる予測も無い人間が、亡くなった時。

そのことをはじめて聞いたとき。

「何してんだよ・・・」って思ってしまうのでしょう。


僕もそういう経験があり。


そのような感情が実際ありました。


「便りが無いということは、元気な証」だと言いますが。

その人のことを少し思い出したら、何度かに一回でも良いので、連絡してみてください。


居なくなってからでは・・・。


最後に。

そんな風に思い出したら、多分相手もあなたのことを思い出していると思いますよ。



では、また次回!!








<なお、本文中の台詞やシーンについては、僕が覚えているままに書いているので実際とは相違がある場合もあります。>
今日の印象的なシーン

てっぱん

村上家の夕食。外で鉄つながりのお父ちゃん自作の鉄板でお好み焼きを焼く。

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僕のうちにも、建設業をやっている父親がどこからかもって帰ってきた鉄板を自分で溶接して鉄板を作っていました。

うちは主に焼肉。

本当に「鉄」なので錆がこないように保存するのが大変だったのを覚えています。

いつもその錆を落としていたのは母親。

夏は、特別1日だけ外で網焼きで焼肉をしていました。

今はやらなくなったなあ・・・。


あの時は、焼肉が食べられることが一番の幸せだった。

でも、今は、そんな時間がみんなの一番の幸せだったと思う。


では、また次回!!


<なお、本文中の台詞やシーンについては、僕が覚えているままに書いているので実際とは相違がある場合もあります。>