対応力
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200320-00071180-gendaibiz-pol
(1) リスクの原因となっているものを、科学的に目に見える状態に、可能な限り持って行くこと[リスクの可視化]
(1)補 そのための科学情報の高度化を図ること。またその情報を適切に流通させる制度の充実
(2) そうして得られた状況証拠(データ)を元に、適切に科学的分析をほどこして、何がおきているのかを予測し、よりリスクの低い方法で危機を乗り切る手段を見出し、実現していくこと[科学的知見の形成と、その政策への活用]
(2)補 そうして実施された手段(政策)がどういう効果があったのか(なかったのか)、随時リアルタイムで観察検証し、次の手段へのフィードバックを行うこと
(3) (1)(2)を速やかに情報公開して人々(people)と共有(public)し、不安や恐怖を取り除くこと(政府と科学への信頼がその政策の精度を高め、リスクの軽減を実現する)[情報の公開とその共有]
(3)補 そのために、政府・メディア・国民の情報リテラシーを極限まで高めること
データがないので放射能による被害もなく、原発事故の影響もない。だから「この国は安全です」ということになるのだが、ここには何の化学的根拠も介在してはいない。はたしてそれが多くの国民に資することなのだろうか(観光客やオリンピックの誘致には必要なのだろうが)。
同様に、新型コロナウイルス対策として安倍首相が行った、イベント自粛や学校一斉休校要請も、これらを行うとこんなふうに効果が現れるというデータも根拠も一切が示されていない。そこには専門家の意見が入っていない。ここにも、明らかに(2)科学の適切な政策形成への利用が欠けている。
今明らかになっている感染者数は、どうも実態を適切に反映していないようだから、専門家の判断を仰ぐにも、その条件さえ整えていないといってよい。
たしかに検査が行われなければ感染者数は最低限になる。対外的・対内的には感染者数が少ないのはよいことかもしれない。だが、国家の危機管理としてはたしてそれでよいのだろうか。
こうして、(1)リスクの可視化(データの収集体制の構築)、(2)科学や専門家の知見の集積と活用に基づく政策決定という、こうした問題において基本なことがなされていないので、当然、次の(3)情報公開とその共有にも至らないわけだ。
重大な危機の際にリーダーに求められるのは、一方的に何かを決めて人に押しつける力ではなく、国民にとって必要な情報をしっかりと把握し、かつその情報を十分に分析し、多様な発想の開花が実現する場を形成することである。
そうして政策の選択肢を増やした上で、きちんとしたデータに基づいて適切だと確信できるものを選びとり、その根拠をきちんと説明し、人々の協力の下に(強制ではなく、みなの納得の元に)着実に実行していくことである。
原発事故と新型コロナウイルスと、その政府の対応を対比してみると、原発事故においてすでに指摘されていた問題状況がそのまま引き継がれているばかりか、原発事故のときにさえ(あの混乱の中でさえ)きちんとできていたことが、今回は全くできていないということに気づき、驚く。
かなり長い引用だが、できればリンク先を一読のこと
不都合なデータは全て計測しない、もしくは廃棄する
そうすれば都合の良いデータだけが残り「何も問題はない」となる
オーバーシュートはステルスがいるからだが
意図的にステルスを野放しにしながら自然発生の感染源と嘘を垂れ流す
いい加減ヤバいと判断してNOを突きつけないと皆が滅ぶ