前提は「森羅万象を学びとる」にある訳だけど
不完全な存在である人間には不可能なこと
ある意味「悟り」とは到達できない夢幻のようなもの
頑張って頑張って心身の限りを尽くした時
「森羅万象を読み解く」ことはできないと知る
このことが「悟り」ではないかと思う
「森羅万象」の「一歩手前」で足掻くこととも言える
死ぬ気で足掻いた時に「視える」んでしょうね
死ぬ気で足掻かなかったら死んでも「視えない」
困るのは「悟った気分になる」こと
ホントに「悟った」なら決してそれを誇らない
…そういうもんじゃないのかな?