「過ちは繰り返しませんから」と広島の原爆の碑には書かれています。
さて、その「過ち」とは何でしょうか?
戦争をしたことでしょうか。
戦争をしたことが過ちなら、日清戦争も日露戦争も過ちですけど誰も日清・日露戦争を過ちとは言いません。
どこが違うのかと言えば、日清・日露戦争は勝った戦争ですが、太平洋戦争は負けた戦争です。
過ちと言えば、山本五十六も短期間なら暴れて見せましょう、と言ったように持久戦で勝ち目が無いと思った戦争に踏み切ったことです。
過ちを繰り返さないために、どうするのか?
ここから意見が分かれるところです。
憲法9条を堅持して、違憲な自衛隊も無くして非武装中立で平和を維持する。
昔のルクセンブルグみたいな考え方です。日本共産党が言っているような考え方。
ルクセンブルグはどうなったかというと、戦争はしなかったけどドイツにあっという間に国土全部を占領されてしまいます。
護憲派でも、自衛隊は認めるという国民が今は多数です。安保法を違憲とする憲法学者のほとんどが自衛隊も違憲としているのと、国民の意識はずれているようです。
護憲で自衛隊で武装するというのは、かつてのベルギーに似ています。
ベルギーもドイツの侵入を受けましたが、ルクセンブルグのように無抵抗で全土を占領されることはなく、抵抗を続けました。
結局、ルクセンブルグとベルギーは戦争を放棄したものの、戦争はルクセンブルグとベルギーを放棄してくれませんでした。
その後、両国はどうなったかと言えばNATOに参加して集団安全保障体制を選んだのでした。
日本の戦国時代に当たる1532年にマキャヴェッリ(マキアベリ)の著した「君主論」には、中立という政策は、あまり奨められないと述べています。
ルクセンブルグとベルギーが証明するように、中立は戦争を招いてしまうのです。
永世中立で歴史上唯一成功しているのは、スイスだけです。
なぜスイスだけが成功したのかと言えば、スイスは国土自体が要塞みたいな山岳で、登っていくルートが限られているから、ドイツの戦車部隊も登山用に設計されていないのです。
そして、スイスに侵入しようという連中が現れたら、橋や鉄道を破壊します。
日本みたいに、周りが海というのは、昔は外敵の侵入を防いでくれましたが、現代ではどこからでも侵入できるという、全く逆転した条件になってしまいました。