ホンダが今年F1に帰ってきます。
お帰りなさい!


本田宗一郎氏が、静岡県浜松市で50ccの原動機付き自転車を製造したのが1947年。
それからわずか7年後1954年、本田宗一郎はオートバイレースの世界最高峰マン島TTレースを見ています。
愕然としたのは、本田が世界最高峰と思っていたのは1リッター当り100馬力ぐらいを目指せばよいだろうと考えていたのに、実際に優勝したドイツメーカーはリッター当り150馬力を出していました。
しかし、それからまた7年後1961年にはホンダはレースを制していました。


恐るべきは、その3年後1964年にはロータスのエンジンサプライヤーとして四輪の世界最高峰Fー1に参戦しようとしたことです。
排気量1500ccで、横置きV型12気筒という非常識なレイアウトのエンジンです。
ところが、ロータスのドタキャンでホンダはテスト用のシャーシーをベースに車体も製作してしまいました!
そして翌年の1965年にはメキシコGPで初優勝を飾ってしまいます!


第二期は、ホンダF1の黄金期でした。
1983年から1992年までスピリット、ロータス、ウイリアムズ、マクラーレン、ティレルにエンジンを供給しました。
その中でも、1988年は特別な年でした。
全16戦中第15戦まで、ホンダが全勝していました。16戦目に勝てば全勝優勝がかかっていました。序盤からマクラーレンホンダのアイルトン・セナとアラン・プロストは、ブッチギリでトップ争いをしていました。
ところが、最終盤でセナがプロストをブロックして同じチーム同士のクラッシュでチーム全勝を逃すもセナはシリーズチャンピオンに輝きます。
第二期にホンダが持ち込んだテレメトリーシステムは、リアルに走っているレーシングエンジンの状態を把握して、開発速度を格段に速めました。
今でもF1史上最強のエンジンと言えば、第二期の1500ccツインターボと言われています。
恐らく1cc当り1馬力を叩き出していたことでしょう。