昔から、不動産屋、株屋それに商品相場といえば、うさんくさい商売と思われています。
それでも、バブルの時代を経て不動産も有価証券も国の経済の重要な役割を担っていることが明らかになっていきました。
商品というのも、いずれ経済社会において市民権を得ると予言する経済評論家もいましたが、それは大外れでした。


不動産は元々金融商品ではなく、投資証券化した不動産には証券投資規制が適用されるようになりました。
そして、証券の規制は『金融商品取引法』ができたことによって、欧米的な投資商品に関するグローバル標準化されたと言えるでしょう。
ここで、商品が外れた理由についてちょっとだけ言及すると、実は日本で扱われている商品相場の投資商品は100%海外で組成されたものなのです。
だから、日本の国内法が及びません。
かの評論家はそんなことも知らなかったのかも知れません。
辛坊治郎さんの本など読んでいると、その場にヘタヘタと座り込んでしまうような台詞を吐く高名な経済評論家も多いようです。


さて、AIJ投資顧問の浅川和彦社長は、野村證券の初代京都支店長を勤めるなど営業マンとして優秀だったようです。
どう優秀かというと、いわゆる「人たらし」というやつで、自分の人柄を信じてもらって損をさせても「次、儲けてもらいます。」で許してもらえるタイプだったということです。
麻雀でも、負けると取り返すまで止めないで朝までやる、という博打好きなうえに、のめり込むタイプです。


この人は、リスクの高い商品に逆張り(当たる可能性は低いけど、当たれば大きい商品に賭けた)しました。
当たり前のことながら、可能性が低いので、ことごとく外れました。
浅川和彦の投資とは、博打なんです。
こんなバカが運用する投資顧問に、大切な老後資金を預けるなんて、普通できません。
大手企業の年金基金は、危ないことに気付いて解約していました。
というのも、年金基金を運用する『まともな』投資顧問は、AIJの異常さに気付いて顧問先に警告します。
結局、大手は傷つかなかったのです。


大手は、上手く逃げましたが、厚生労働省や旧社会保険庁の天下りを受け入れていた年金基金は、損失を被ったようです。
天下りの元官僚に不当に高い報酬と退職金を払ったうえ、AIJ投資顧問に金を巻き上げられるという中小企業の被害は、甚大です。


東西冷戦後、アメリカの理系学生は、軍事産業の仕事がなくなって、金融業に就職先を求めました。
こいつらが、高等数学を駆使しやがって!
とは言え、こいつらが金融工学というものを確立しました。
そうして、博打を数学に変えていったのです。
まあ、結局リーマンショックが数学万能ではないことを証明しましたが、いずれにしても株=博打の時代は終わったのです。


時代の変化にもかかわらず、浅川は博打を続けました。
数学の確率は、博打からスタートしたのは間違いありません。
しかし、浅川は博打から全く進歩しませんでした。
取り調べに対しても、「あと100億円あったら、取り返せた。」と、寝言を言っているそうです。
こいつ古い時代の株屋の営業としては優秀だったのかもししれません。
でも、ファンドマネジャーとしては時代遅れも甚だしかったわけです。