ラスヴェガスの近くに、黒四ダムの5倍の発電量を誇るフーバーダムがあります。
貯水量に至っては、日本のすべてのダムの貯水量を合計したより大きく、資料によって琵琶湖と同等あるいは上回るとされます。
そんだけ巨大なダムでさえ福島第一原発の6分の1しか発電できないのです。
しかしながら、このダムは現在もラスヴェガスの電力を供給しており、巨大な人造湖は観光資源となっています。
そして、公共事業がいかに有効需要を作り出すかという歴史の証人としての価値があるのです。
いかに広大な国土を持つアメリカでも、今さら水力発電を増やす気はありません。
アメリカは、日本の原発事故は原子力安全・保安院の責任による人災という捉え方をしているので、ドイツやイタリアと違って原発推進に舵をきりました。
さて、フーバーダムは1931年着工の1936年完成で、名大統領と言われたルーズベルトのニューディール政策の一環とされますが、嘘です。
1929年の大恐慌になす術のなかった当時の大統領フーバーは無能な大統領という烙印を捺されました。
一方、ルーズベルトはニューディール政策をひっさげて最悪期失業率25%にも達したアメリカを救った英雄とされました。
不況時に財政支出で公共事業を行い有効需要を作り出す。
それがニューディール政策です。
でも、実はルーズベルトは緊縮財政が持論であり、コンクリートから人へとでも言い出しそうな男でした。
ところが、ブレインから諭されてニューディール政策を始めることになったのです。
だから、当初は別の名前が付けられるところ、フーバー大統領の功績を記念して議会が「フーバーダム」と銘々したのです。
ルーズベルトみたいなバカを放置していたら、フーバーダムは八ッ場ダムになっていたかもしれないのです。
ルーズベルトが大統領に就任したのは1933年で、フーバーダムはすでに建設中でした。
途中でやめたら、とんでもないことになっていました。
なんで心変わりして積極財政に変わったかというと、第一次大戦後どん底に落ち込んでいたドイツが奇跡の回復を見せていたからです。
ヒトラーは、現在の中国共産党のように独裁政権で公共事業に金をジャブジャブとつぎ込んでいたのです。
それを真似しようとしたのですが、アメリカには議会があります。
ルーズベルトが政策を実行するには、議会の承諾が必要ですべてが中途半端に終わりました。
結局、ヒトラーほど巧くは経済運営ができませんでした。
議会がねじれちゃって何も決められない国がズルズルとデフレから離脱できないのと重なって見える光景です。
しかし、ルーズベルトとは悪魔のような男で、巨額の公共事業費を戦争という形で出させることを思いつきました。
そう、日本と戦争することです。
しかも、日本から戦争を仕掛けた形にすることが重要です。
まずは中国における日本の利権を潰しにかかります。
次に、潜水艦を使って海外から資源やエネルギーを運ぶ民間商船を沈めます。
今でいうホルムズ海峡の封鎖みたいなものです。
こうやって、エネルギー自給率の低い日本はたちまち追いつめられてしまいました。
エネルギーが途絶えるということが、戦争の引き金になるのです。
(冷戦後のアメリカも、エネルギーのために戦争しています。北朝鮮と戦争しないのは、北朝鮮にエネルギー資源がないからです。貧乏人を倒しても、その後に施しをしなければなりません。)
あとは、真珠湾攻撃へと進むわけで、暗号を解読していたアメリカ海軍は奇襲作戦を予め知ったうえで、主力を真珠湾の外に回避させて日本軍が攻撃してくるのを待ちました。
予定された損害を得て、「リメンバー パールハーバー」という、スローガンが成立しました。
これで、ルーズベルトは日本に復讐するという国民的お墨付きを得ます。
この日本人差別主義の男は、ドイツ系アメリカ市民にもイタリア系アメリカ市民にもしなかった、日系アメリカ市民の収容所送りをします。彼らだってアメリカ市民なのです。
日系アメリカ市民の若者は、ヨーロッパ戦線に志願してアメリカへの愛国心を見せるため、危険な作戦に望んで参加します。当然他の部隊より戦死した割合は多かったそうです。
そして、ドイツにもイタリアにも落とさなかった原爆を広島と長崎に落としました。
それだけではありません。東京大空襲で多くの非戦闘員を無差別に殺すという、近代戦でまれに見る残虐な作戦を行ったのです。
狂気の殺人鬼であり、まさに超A級戦犯であるにもかかわらず、戦勝国ゆえに裁かれることはありませんでした。
日本にとって、わずかに救いといえるかどうか?ルーズベルトは、日本が無条件降伏する寸前に頓死しています。
神罰が降りました。