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最近、戦国武将が好きだという女性が多くなって、織田信長とか武田信玄だとか上杉謙信だとかじゃなくて、もっとマイナーな武将に詳しい「歴女」なんてのが流行っているそうです。
でも外国の人からすると、戦国武将なんで国内の縄張り争いのための小競り合いにすぎず歴史上の戦争とは考えないんだそうです。
そういう意味で、日本が戦争をしたのは明治維新前は元寇しかなかったということです。
そのとき日本を率いていたのは北条時宗で、神風に救われたと言われていますが、実際はよく戦って台風が来なくても敵を撃退できたものと考えられるようになってきました。
「やあやあ我こそは・・・・」なんてバカなことをやっていたのは最初だけで、敵の集団戦法を見てその日のうちに切り替えたようです。
その後、長いブランクがあって、日清戦争、日露戦争、日華事変から太平洋戦争と歴史的戦いをすることになります。
中でも日露戦争における日本海海戦では、バルチック艦隊をほとんど壊滅させ世界を驚かせました。
英雄東郷平八郎の名は海外にも響きわたり、当時ロシアに苦しめられていたトルコでは子どもの名前にトーゴーとつけたり、通りの名前にもつかわれました。
でもしかし・・・私が歴史上の有名人といわれて思い当たるのは、戦争の英雄じゃなくてニュートンとアインシュタインです!!!
ニュートンの業績といえば、「万有引力の法則」を発見して、そのキッカケはリンゴの実が落ちるのを見て着想を得たとされています。
でも、リンゴの話は後世の脚色という説が有力です。
ニュートンという人は、ケンブリッジ大学の数学の教授でした。
ライプニッツとは別に微積分法を考案しました。
彼は数学者だったわけで、科学の分野においてアルキメデス以来の目的論から発想する考え方を根本的に変えたのです。
なんのために引力は存在するのか、なんの目的で天体は運動するのかということを説明せず、数学的に法則を記述しました。
これによって、科学の思想は大きく変わり、ここに近代科学が生まれたのです。
ニュートンがついたルーカス教授職に現在就いているのは「エレガントな宇宙」の著者でもあるマイケル・グリーンで、その先代はスティーブン・ホーキングです。
まさにニュートンの衣鉢を継ぐ2人が現在でも、宇宙論のトップ2の役割を担っていると言えましょう。
一方、スイスの特許局に勤めていたアインシュタイン青年はそんなに数学に優れていたわけではなかったようです。
彼以前から展開していた「相対性原理」を基に、マクスウェルやマイケルソンとモーレー実験から物理学の体系を再構築したのです。
そう、ニュートンが築いた近代科学を再構築したのです!
アインシュタインが相対性理論を構築するのに学んだのは数学ではなく哲学だったと言われています。
あまり得意ではない数学については、本職の数学者に応援を頼んだのだそうです。
ニュートン力学の絶対時間、絶対空間をどちらも相対的なものとして記述しなおしました。
アインシュタインの一般相対性理論では、宇宙は膨張しているか収縮しているという解がでます。
ところが、アインシュタインはそれに満足できず、定常状態の宇宙を記述するため「宇宙項」を方程式に入れました。
しかし、ハッブルの観測により宇宙は膨張していることが確かめられると、これを撤回。
「人生最大の誤り」としました。
この誤りを悔いたままアインシュタインは鬼籍の人となったわけですが、その後宇宙の膨張は加速していることがわかります。
いわゆるダークエネルギーと呼ばれるものです。
じつは「宇宙項」とは数学的にはダークエネルギーと同じ性質を持っています。
120歳くらいまで生きていれば、失敗と嘆いたまま逝くことはなかったものを。
この人は若くして大学者となったニュートンと違って、性格的にもユーモアのある面白い人だったようです。
マリリン・モンローと対談したとき
「博士、あなたの頭脳と私の容姿を持った子どもが生まれたら素敵なことだと思いません?」
「でもね、ミス・モンロー。その逆ってこともあるんですよ。」
結構、名言を残しているのです。