竹中平蔵先生が「子どものサッカー」だと言っていました。
目先のボールの周りに全員集まって、全体を誰も見ていない。
司令塔が不在なのです。
週刊ニュース新書の田勢先生が首相の被災地入り前日に現地へ行ったところ、歓迎ムードはゼロだったと言ってます。
「何しに来るんだろ?」という現地の受け止められ方ということです。
この絵を見て、「ああ、首相として現地の被災者の一人ひとりの声を聞きに行ってくれているんだ。」と感動する人がいますか?
リーダーシップが一番必要なときに姿をくらませておいて、今頃被災地に何の目的で顔を出しているのか不明。
外国の雑誌(TIME)にまで酷評されていますからね。
お前、東京で司令塔としてやることが他にいっぱいあるだろ!
こっちは、わかるんですよ。
天皇皇后両陛下は来て下さるだけで、お声をかけていただくだけでありがたいんです。
しかし、どうも菅首相が考える「復興庁」は中央官庁の縦割りを横断する力に欠けていると堺屋太一氏は見ています。
とりあえず「復興構想会議」を11日までに発足させ、同会議には震災復興に詳しい官僚OB、被災自治体の首長らが委員に据えます。
この会議には何の権限もありませんから、提言を実現させる「復興庁」を作るという構想です。
それが、省庁の横断的な動きが難しいんじゃないかと氏は感じているようです。
氏が言うには、その長官には政治家がなるべきではないと言います。
一番望ましいのは、東北に土地勘のある成功した実業家で政治的野心のない人だというのです。
関東大震災のとき「帝都復興院」の総裁となった後藤新平は、「大風呂敷」と言われた復興計画を立てました。
当時の国家予算相当というので、いまなら90兆円ですが現在の税収はその半分くらいですから40兆円くらいでしょう。
結局、予算は半分以下に削られましたから20兆円くらいですが、大変な権限です。
それでも、現在の東京の都市計画・都市インフラの基礎は、このときの計画によるものが大きいと言われます。
これを政治的野心のある人間がやったら危険です。
ちなみに、後藤新平の内務省の元部下には、皇太子狙撃事件により懲戒免官となった正力松太郎がいました。
その正力が読売新聞の経営にかかわることになったとき、広尾の自宅を担保にして黙って金を貸しました。
正力が金を返せる状況になったとき、後藤はすでに亡く、後藤の故郷に倍額の寄付をしました。
後藤は亡くなる前に、
「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ。」と言い残しています。
ここで仕事とは「業績」のことです。道路や橋や港湾施設などや法律やら制度を作ること。
人とは、自分の後継者や次世代の人材のことです。
自分が期待する人材の正力が金を返してくれなくとも本望だったでしょう。
そういう人間に復興庁長官を務めて欲しいものですが・・・・、いませんね。