「般若波羅蜜多」と意味するところが「智慧の完成」というは既に述べました。
仏教の知恵(「智慧」は読み難いから「知恵」と普通に書きます)とは、二種類に分けられます。
「分別智」と「無分別智」です。
現代に日本語では、「あの人は分別のある思慮深い性格だ。」とか逆に
「軽々しく無分別な行いは慎みなさい。」とか言います。
「分別」が良くて「無分別」が悪い意味で使われます。
でも、仏教は逆なんです。
「分別智」と「無分別智」の違いは、西洋の愛「エロス」と「アガペ」の関係に近いように思います。
エロスは特定のものに捉われる愛、アガペは神がすべてに与える愛。
たとえば、私が自然科学の本を読んで「宇宙はマクロ的には4次元空間であるがミクロ的には10次元以上が折りたたまれている」とか、法律や経済学の本を読んだりして、ひたすら色々な世界の理を学んだとします。
しかし、そんなものは「分別智」であって、仏教の目指す知恵ではないのです。
悟りを開いた者の知恵は宇宙と一体になり、すべてが自ずから分かるものとなるのです。
それが「空の理法を解すること」であり、仏教の目指す「無分別智」と言われます。
したがって、仏教に神の登場する余地がないんです。
戦う無神論者リチャード・ドーキンスがどこまで仏教を学んだか知りませんが、
「こりゃ宗教じゃないな(´・ω・`;)哲学だ」と思ったことは想像に難くありません。
ドーキンスの進化論はキリスト教の教義からして「一番受け入れがたい学術分野」ですからねえ。
無神論というよりキリスト教がキライになるのも理解できます。
悟りよ幸あれ
菩 提 僧 莎 訶
ボーディースヴァーハー
bodhi svaha