問われる「愛玩犬報道」 | 平野幸夫のブログ

平野幸夫のブログ

ギリシャ語を語源とする「クロニクル」という
言葉があります。年代記、編年史とも訳されま
す。2014年からの独自の編年記として綴りま
す。

今年のノーベル平和賞にロシアと

フィリピンの2記者が受賞した。国

内の新聞各紙は「屈さず強権批

判」「表現の自由を守る」などの大

見出しを掲げ、その業績を何ペー

ジもさいて賞賛した。しかし、翻っ

て自らの足元をみると、劣化する

政治報道の現状を自省する記事

は皆無だった。今年も世界の報

道の自由度ランキングで日本は

67位と低迷したままだ。42位の韓

国、44位の米国にも大きく離され

ている。強権的な政権運営を続

けた「安倍・菅政権」を総括もせ

ずに、それを継承した岸田政権

のスタートを表層的に伝えるだけ

だ。受賞した2記者は命の危険

を感じながら活動を続けたが、国

内メディアに同じ気概を持って不

当な権力行使に迫ろうとする記

者がどれだけいるだろうか。心許

ない。

1970年代の米国でベトナム戦

争機密文書(ペンタゴンペーパー

ズ)を内部告発した元国防総省職

員のダニエル・エルズバーグさん

は政権批判をためらい、まるで政

府の言いなりの当時の米国メディ

アを憂い、「政府のラップドッグ(愛

玩犬)だ」と指弾した。今回ノーベ

ル平和賞は「報道の自由」が失わ

れつつある民主主義国家へのメッ

セージであり、エルズバーグさんの

言葉が重く響く。

政治報道で最重要なのは「権力者

への距離感をいかに保てるか」であ

る。記者の後ろには「知る権利」の

行使を託された有権者がいるはず

だが、岸田新政権のスタートに対し

、無批判に所信表明をたれ流した

メディアがいかに多かったことか。

いわく「新しい資本主義」「成長と分

配の好循環」。「目指すのは核兵器

のない世界」とも訴えた。

しかし、どれもまったく具体策がな

く、空虚なスローガンに過ぎなかっ

た。メディアの大半は、「自分には

『聞く力』がある」と持ち上げてみ

せた。岸田首相は全閣僚が多様

な人々と「車座対話」を行うと表明

したが、こちらも詳しい日程なども

不明のままだ。「みんなで前に進ん

でいくためのワンチームを創りあ

げる」という首相の言葉は何も心

に響いてこなかった。

こんな抽象的な言葉を聞いても、

誰一人納得して「任してみようか」

という気にならないはずだ。かつ

て作家の武田泰淳は妻の武田百

合子の文章作りについてこう戒め

た。

「美しい景色」「美しい心」など「美

しい」という言葉を簡単に使わない

。抽象的な言葉は中身が分から

ず、読み手に伝わらないからだ。

例えば安倍元首相や高市早苗

自民党政調会長はよく「美しい国

」「美しく強い国」と口にする。しか

し、こんな言葉に心動かされるの

は支持者だけではないか。

それと同じように岸田首相の「み

んなで前に進む」とか「ワンチー

ム」は思わず「その中身は何」と

問いかけなくなる。おそらく自分

でも内容も詰めず、口癖のように

発しているだけではないか。ただ

官僚の作った原稿を読むだけだ

った前首相よりは、ましかもして

ないが、言葉に漂う空虚感は大

して変わらない。

政治記者なら、権力者の言葉に

注意を払い、疑問があるなら聞

くべきだが、相変わらず新首相

の記者会見は首相に再質問も

せず、わずか30分で打ち切られ

ていた。前政権と変わらない「愛

玩犬」ぶりが一段と情けない思

いにさせる。既に官邸記者の大

半が「御用記者」化してしまった

。ノーベル平和賞受賞記者を褒

めている場合ではない。あまり

の彼我の差を恥じるべきであ

る。

この国では報道機関の政権隷

属化が止まらない。今年のノー

ベル平和賞を強い警鐘と受け

止めたい。
            【2021・10・10】