京の夏に地獄絵図を見た | 平野幸夫のブログ

平野幸夫のブログ

ギリシャ語を語源とする「クロニクル」という
言葉があります。年代記、編年史とも訳されま
す。2014年からの独自の編年記として綴りま
す。





「あの世の入り口・六道まいり」と
大書きされた幕にひかれて、初め
て京都・東山の「六道珍皇寺」の
地獄絵図を見たのは、20年前の夏
だった。炎暑が続く今夏、まるで
末世のように人の道にはずれた所
業が続く今、人はどこまで堕ちて
いくのか、その結末を見届けたく
なって寺を再訪した。「熊野十界
」という名の地獄絵は身分にかか
わらず、悪事を働き、嘘をついた
人々が、残忍な仕打ちを受け続け
る場面を数々描く。自分が潔白と
言い切れる人生を送った人はどれ
だけいるか。誰をも空恐ろしいい
気にさせる怖い絵だが、とりわけ
「疑獄」に関与している為政者に
は「こうなってもいいのか。罪深
いぞ」と鼻ずらにさし示し叫びた
くなった。






寺のある付近は、平安京の火葬場
付近で現世と異界の境「六道の辻
」と言われる。清水道を降り、寺
に続く参道には、「六道まいり」
の横断幕がかかり、境内の提灯に
は「地獄の入り口」と書かれ、初
めての参拝者を少し緊張した気分
にさせる。境内を入ってすぐに嵯
峨天皇にも仕えた参議、小野篁を
祀るお堂があり、参拝者の列が続
く。愛欲を描いた罪で地獄に堕ち
た紫式部を救おうと、閻魔大王に
とりなしたという伝説もある。冷
徹な官吏で篁の見立てによって、
悪事を働いた人物には井戸を伝っ
て冥府に行き、閻魔大王に罪を告
げたとされる。




寺の東門近くの伽藍軒下に掲げら
れた「熊野観心十界図」という木版

(縦約1・5メートル、横約1・3メ
ートル)の絵に描かれているのが
、「地獄絵曼荼羅」である。熊野
信仰に身を捧げた尼僧、熊野比丘
尼が地獄に堕ちる苦しさから逃れ
る方法として熊野三山への参詣や
寄進を勧めるための説話を元にし
ている。



絵の上部は半円形に出生、青年、
壮年の順で人が描かれ、最後は老
いの坂を下る様で終わる。そこか
ら下半分があの世の冥府の景色が
詳細に書かれ、人の魂を揺さぶる
。現世で悪事を働いた亡者には閻
魔大王から厳しい罪が告げられ、
串刺しにされたり、杭を打ち付け
られた科人の悲鳴が聞こえるよう
だ。もっとすさまじいのが火炎地
獄で、火の海で焼き尽くされたり
、際限のない無縁地獄に堕ちた人
の断末魔がほとばしってくる。



元々、この絵は誰をも「こんな所
には行きたくない。家族や愛する
人をつらい目にあわしたくない」
という願いに駆り立てる。ささい
な罪を誰もが犯すが、救われる方
法はないかとも思わせる。その救
済の道もさし示す。絵の中央に大
きく「心」という字が書かれ、お
盆に先祖の供養をすると、地獄に
堕ちた亡者も三途の川を逆戻でき
る様も描かれ、観る人の気持ちを
安らがせ、その後の生き方の指針
まで与えている。そんな含蓄深い
地獄図に飽きることなく見入った
。人に「生老病死」は避けがたく
、罪なく生きることも難しい。た
だ、常に戦いをして責め苦も過酷
な「修羅道」にだけは入りたくな
いと切実に思わせた。



境内には初盆を前に、愛する人を
失いながらも三途の川から呼び戻
したい人が、その名前を僧侶に書
いてもらって祀る人の列が絶え間
なく続いていた。帰りは、400
店もの出店が並ぶを見て回った。
以前と比べ、随分デザイン性に優
れた陶器が並び、外国人の客であ
ふれていた。「六道まいり」と「五条

坂陶器市」は7日から10日まで。



京の夏の風物詩は祇園祭ばか
りに焦点が当たるが、路地裏の寺
社で何百年もの間絶えることのな
い続く庶民信仰の行事にもっと目
を向けたい。







   【2018・8・10】


(写真は六道珍皇寺の「あの世の

り口」と書かれた提灯、寺門と

標札とお供え物の売店、地獄絵上

と下部、僧侶の前に並ぶ参拝者、

お供えの槙を売る店、陶器市と出

店の順)