ちょうど「おうちでテニミュ」もやっていて良い機会なので、
今日は私の第二の芸能生活が本格的に始動し始めたテニミュの事を振り返ってみようと思います。

と言っても参加していた2年間は、本当に濃密で簡単に振り返ることが出来ないほど思い出が詰まっているので、
手始めに合格したあたりから振り返ってみたい。
その都度その都度今後も、テニミュの思い出は小出しで話していくと思われます。

実は私、一度オーディションに落ちているんです。青学5代目の菊丸役でした。
初めてオーディション行った時は度肝を抜かれました。
大きい会場で、一回に30人くらいの参加者がいて、ヒリヒリするほどの緊張感と気迫に完全に飲まれてしまいました。
これと言って残せる事もなし、呆気なく終わってしまった記憶があります。

酷く落ち込みに落ち込み、もう受けたくないとさえ思うほどでした。
ただ、テニミュというのは何度も何度もオーディションを受けて合格する人も多いと言われ、
次回があれば完璧に予習とシミュレーションを重ねて臨むと決めました。
それで不合格だったらキッパリ諦めようと。

そして二度目のオーディション。
オーディション中に役が変更になったりもするのですが、私はセリフの実演をする度に変わった気がする。
最初は白石でそのあと何役か実演し、最終的に一氏になったのです。
後日軽く聞いたのは、なんでも器用にサラッとやってるように見えたから、
ものまね王子である一氏ユウジが良いと思ったらしい。
今となっては自分でも、この役以外じゃ考えられないと感じているので、やっぱりプロの目はすごいんだな。

晴れて合格したわけですが、ブログを始めさせて頂いたり、意気込みのコメントを求められたりしても、
正直どんなふうに芸能生活が変わっていくのか最初は実感が沸きませんでした。

ただ衝撃を受けたのは、私を紹介する際のメディアでのカテコライズが「イケメン俳優」になったこと。
今まではどちらかと言うと三枚目の役だったり、個性派と言われることが多かったので、
初めて記事を見た時は二度見するほどの衝撃でしたね。
友達の間でも「お前、いつからイケメン俳優になったんだ?」とプチお祭り騒ぎでした。
自分がそんな立ち位置でお芝居することになろうとは、芸能を始めた中学生の時は思っても見なかったから、
正味めっちゃくちゃ嬉しくて浮かれました。

カテゴリー分けって面白いですよね。
今は「2.5次元俳優」だとか「カメレオン俳優」、「実力派俳優」などなど多くのカテゴライズがあって、
日々出演する作品ごとに変わって行く。
私の場合も、色々な仕事に携わらせて頂いているのでその時々で紹介カテゴリーがまちまちだったりします。
俳優業はもちろん、MCやリポーター、声の仕事から、歌まで節操なく貪欲に求める私は、
差し詰め「萬屋俳優」ではないかと思っているのですが。
なんでも屋、クラウドと一緒ですね。(と気持ち悪いことを言ってみる)

カテゴリー分けって当事者のためじゃなく、観る側のためだと思うので、
どんどん細分化することによって、より身近にわかりやすく感じられるから便利なんでしょうね。
映画を見る際に、コメディーが観たいのに、カテゴライズがないとうっかりホラーを観てしまうなんてこともありそうですしね。

そんなわけで棚ぼた的にイケメン俳優になった私ですが、浮かれた後にはより巨大な不安が押し寄せました。
「イケメン俳優など荷が重すぎる」と。
そんな時、稽古に入る前に上演中のテニミュを新メンバーで観劇に行くという行事がありました。
池袋芸術劇場、今でもあの高揚感は忘れられません。
本編中は迫力に圧倒され、アンコールの「F・G・K・S」の後にはもう体が弛緩するほど、
「か、かっこいぃぃ、、、」状態。
不安を塗り替えてくれるほどの、やる気を与えてくれました。

高校生の時、櫻井翔さんとドラマでご一緒して以来、
嵐のドファンになった私はやはり、キラキラしたものが大好きなのです。
自分もそうなれるよう努力と研究しかないと強く決意しました。

そうなれたか些か自分自身では疑問ですが、初めてのドリライで黄色い声援をいただいた時は、
「セーラー服と機関銃」で言うところの、「か、い、か、ん」でした。

テニミュには数え切れないほどの宝物をいただきました。

初舞台のラフカットでは、舞台で生きることを。
二度目の舞台であるテニミュには、舞台で表現する事を教わりました。

どんどん書きたいことが出てきてしまうので本日はこの辺で。
ありがとうございました。