さて今日は、役者人生を長く共にしてきた『ハンサム落語』の事でも振り返ろう。
と言ってもエピソードが多すぎてほんの少ししか書けないだろう。

もう番組やイベントでも話しまくってるハンサム落語の話題ですが、
最近平野を知ってくれた方もコメント見るといらっしゃるようなので、文字起こししておこうと思う。

ハンサム落語というのは、古典落語を現代風にアレンジして、二人一組でやる掛け合い落語という演目です。
現代風にアレンジと言っても時代背景や、本筋は残しつつ、現代に馴染みやすい話し言葉と、長い演目などはディレクターズカットしてる感じ。
だから厳密には落語ではありません。

台本も手元にあるので、朗読劇と、漫才と、落語の要素を盛り込んだ演劇みたいなものなのかな。
一公演で、四演目おこない、最後にみんなで大喜利する。
「ハンサム落語」というジャンルとしか言えない。

今までで第11幕まで上演してきました。続き物として私の中で一番長い作品。
初演はなんと7年前の2013年。

今でこそ、この形式やタイトルを普通に受け入れることが出来るけど、最初は違和感だらけでした。

最初にタイトルを聞いた時、若造の俳優として大変失礼な話だが「き、きな臭ぇ」と思ってしまった。
しかもハンサムとして私が出演してもいいのだろうかと懐疑心もあった。
じっさい劇場の入り口でサラリーマン風の男性2人が「何ハンサム落語って」と笑っているのを目撃してしまった時は、胸が痛んだ。

初演は馴染みのないスタイルの演劇というのもあって、客席はガラガラだった。
それなのに千秋楽を終えて打ち上げの時、プロデューサーが「ずっと続けていきたい」と発言した時は、なんて心意気がある会社なんだと思った。

徐々に席が埋まるようになり、男性のお客様も増えて、振り返ってみればシーズン11になってるなんて感慨深い。
私はありがたいことに全作参加させていただきました。

色々な作品で得た経験値を、遺憾なく爆発させられる場所。

普段は一人の役を頂いて、いかにその役を掘り下げられるかに熱意を傾けるが、
ハンサム落語は一演目に何人も演じるので、いつもなら絶対やらないような役を、ぶっ飛んだ切り口で演じることが出来るのだ。

初演の時は、どう演じたらいいのか悩んだ。
むしろ落語は演技ではなく、「お噺」だから、本家の落語家さんを手本にやったほうがいいのか、など悩みの全部乗せ状態。
しかし落語家さんの技など、一朝一夕で出来るわけもなく、マネをするなんて大変に失礼だと結論に至り、独自路線をみんなで切り開いてきた。

志らく師匠と同じ舞台で、ハンサム落語をやったときは、不安と緊張でねじ切れそうだったが、
その時のパートナーである植ちゃん(植田圭輔さん)と、いつもやってることを信じてぶつかろうと、全力で演じた。
後日、志らく師匠が新聞のコラムで、ハンサム落語を取り上げて褒めてくださっていた時は、これまたねじ切れるほど嬉しかった。

脚本、演出の「なるせゆうせい」さんとも一番多く仕事をさせていただいてる。
ハンサム落語以外でも、年に何回かは絶対に会うほどだ。
尊敬はもちろんしているが、長く一緒にいすぎて、年の離れたお兄ちゃん的な存在。
会うとなぜか、ホッとして笑みがこぼれてしまう感じ。
いつも奇妙奇天烈なデザインのTシャツをきて、フェアトレードの鞄を引っ提げて現れるなるせ氏。
(フェアトレードを題材にした短編映画を2本撮っていて、私も参加させていただいた)
照れ屋ですぐ話を茶化したりするが、ものすごくクレバーで冷静に物事を見ているので、
真面目な相談事も二人きりで出来る方。

そして忘れてはならないのが、今や心の友、はたまたソウルメイトの宮下雄也氏である。
彼も一幕から参加していて、このハンサム落語が彼との出会いの場でした。
お互い尖がっている上に、極度の人見知りという事もあって、第3幕まではまともに話したことがなかった。

稽古の時も、演じている時以外だと「おはようございます」と「お疲れさまでした」くらいしか言葉を交わさない仲でした。
演目に入る前の「まくら」部分で相手をどんどん知っていくという、不思議な関係。
そんな不器用でめんどくさい男二人が、どうやって公私ともにイチャつくレベルになったかというと、、、

第三幕の千秋楽前夜、前打ち(千秋楽前に打ち上げをする)の時である。
雄也が突然隣にきて「全部だしてくれや!良の本気をぶつけてきてくれや!!」と放ってきたのである。
私が雄也に対して、遠慮しているだとか、本気を出していないと思わせてしまったことに深く反省した。

そして迎えた千秋楽、「本気で全部出す」ことを履き違えた私は、(そう、私はいつも履き違える)
エッチなシーンで(落語は大体セクシーな場面が出てくるのだ)、どぎつい下ネタを放り込んだ。
一つや二つではない。
モンキー・D・ガープの「拳骨流星群」さながら、放り込んだ。

横並びに座りながら、お互いを見合わず演じる演目なのに、
立って私のところまできて、伝家の宝刀「ええ加減にせえ!」というおきて破りの必殺技で、
品性下劣極まりないズレた私を、笑いに変えてくれたのである。

終演後がっちり握手を交わし、その瞬間から今の関係になった。
大体、友というのは徐々に相手を知っていき、だんだん仲が良くなるものだが、
平野宮下は、「まくら」を通してお互いのことはすでに抱えきれないほど知っていた。
それ故一つのきっかけさえあればよかったのだ。

「0から100になった日」と言ってもいいだろう。(お得意のタイトル付け)

彼との思い出は、それこそ語れども語れども語りつくせぬほどある。
だからまた折を見て話すことにする。

結果ハンサム落語というより宮下雄也との話になってしまった。
好きな演目のことなども折を見て話したいと思う。

今日も最後までありがとうございました。