コメント楽しく拝見しました。
共感するものもあれば、「そんなこともあるのか」と楽しかったです。
十人十色ですね。

さて今日は『音』について。
音や音楽を聴くと、思い出が湧き上がってくることありますよね。
楽曲をよく聞いていた時に、よくしていた行動とか。その曲への直接的なエピソードとか。

例えば私の場合、ミスチルのアルバム「Atomic Heart」と「深海」を聞くと、漫画「ドラゴンヘッド」を西日差し込む実家の自室で読んでいる場面が必ず浮かんできます。
収録曲を単体で聞いても、あまり浮かび上がってこないんですけど、このアルバムの収録順で聞くと100%想起します。
ノブオの、あの気持ち悪い姿が出てきて、ゾゾってなる。
私の世代の男性で、ミスチルを好きじゃなかった人0人説を唱えられる。ずっと聞いてた。
多分、ドラゴンヘッドを一心不乱に読んでいる時、流れてたんだろうな。

逆に現象から曲が出てくることもあって、冬に「寒っ!」って感じると、TRFの「寒い夜だから」を7割くらいの確率で口ずさむ。
あと仕事で疲れを感じたときなんかは、
いきものがかりの「帰りたくなったよ」と、セキスイハイムの「あったかハイムのうた」の2曲が、どちらかランダムで頭の中で流れる。

ちなみに人物を思い出すこともありますよね。
私はaikoの「花火」を聞くと、磯貝龍乎が出てきてしまう。
ハンサム落語で、偉い関白が短歌を詠むシーンがあって、
彼が急にアドリブで「夏の星座にぶらさがって上から花火見下ろして」と短歌口調で言ったのが、私の心を掴んで離さないからだろう。

他にも数えきれないほどの事象と曲との結びつきがある。
人生は音楽で出来ているといっても過言ではないだろう。もちろん異論は受け止めよう。

音楽でなくともシンプルに「音」。
環境音も大切なピースだったんだなと最近よく思う。

ここ数週間外出することがなくなり一日の大半、いや大半以上を家で過ごしている。
外に出るのは、買い出しの際の行き帰り、それから人通りの少ない道をピックアップしてのウォーキングのみ。

こうなる以前は、外界をシャットダウンするかのように、イヤホンで音楽を聴きながら歩いていたのですが、
今は外の音をなるべく逃さないようにしてます。
自動車やバイクの音、横断歩道の「カッコー」「ピヨピヨ」だとか、風の音やその風に踊らされた木々の音。
スズメやハトの囀りや、飛行機の音も。

実家は近くに電車が走っていたので、昔から大きい音の中で育ってきた。
そういう意味では、騒音に近い環境音が、人生を象るピースになっていたという事。

今は窓を開けていても、そこまで音が聞こえてこない場所なので、家にいると世界の音をキャッチすることが激減するのです。
もちろん全く聞こえないわけじゃないけど、生の音というか、建物の反響とかではなく直接的に鼓膜を震えさせるのがいい。

よく小説で、主人公以外の世界がストップしてしまった時とか、主人公以外の人類がすべていなくなった時に、
「耳鳴りがするほどの静けさにゾッとする」だとか「音を奪われた街は異様だった」的なことが描かれることがあるけど、
ちゃんと想像すると本当に怖い。

音は自分でも生み出せるけど、人生のほとんどが自分以外が立てた音で出来ている。
音が人生を象るピースとするなら、やはり人生とは『他者』で出来ているんだと実感する。

他者、多謝。


えげつない程のおやじギャグで本日は〆させていただきます。

ありがとうございました。