雨上がりってなんだか好きだな。
雨が嫌いなわけじゃないけど、雨のち晴れは気持ちがいい。

天気によって記憶が呼び起こされることあります。
土砂降りだといくつかの過去が蘇る。

高校はバス通学だったんですが、昼下がりからゲリラ豪雨の日。
折り畳み傘とビニール傘の二刀流だった私は、帰りのバス停で一人びしょ濡れの見知らぬ後輩の女の子に、
勇気を出して、精一杯ええ声で「これよかったらどうぞ」と、ビニ傘を差しだしたことがある。
気恥ずかしそうに、また、嬉しそうにおずおずと受け取ってくれる彼女を想像していた私に放たれた一言。
「結構です」
気まずくなって別の路線のバス停まで、敗北感漂わせながら歩きました。

少女漫画的な展開など現実的には中々起こらないんだと勉強させていただきました。

少女漫画といえば高校2年生の時、矢沢あい先生の『天使なんかじゃない』に憧れて、生徒会に入ったことがあった。
漫画の中のキラキラなんぞ見渡す限り皆無で、地味な単純作業の連続にショックを受けた私は、やる気がなくなり不真面目なため、3か月足らずでクビになりました。

雨の記憶で言うと、雨に感謝したあの日のことを思い出す。
会社員時代東京タワーのふもと、芝公園の近くのオフィスに勤めていたことがある。

節約の為に毎日お弁当を持参していた。
といっても弁当箱にご飯を敷き詰めて簡単なおかずを乗せるだけの、小学生だったら絶対に友達に見せたくない弁当だったのですが。
お昼休憩はいつも芝公園のベンチでその自家製恥ずかし弁当を食べていた。

その時期なぜか、ホームレスの方々に声をかけられることが多かった。
他の人が話しかけられるところを見たことがないのに、かなりの頻度で話しかけられた。
世間話もしますが、散々無地のTシャツをプレゼンされ、千円で買わされそうになっていた。

そんな日々を過ごしていた頃、バケツをひっくり返したような雨の日があった。
雨の日は決まって会社内にある休憩ルームで弁当を食べるのだが、その日どうしようもなく悲しかった私は、芝公園に向かった。
何故悲しかったかは、簡単に言うと、まあ人間関係ですね。
会社員時代は無口で、仕事以外のことをあまり話さなかったから誤解されやすかった。
また、誰にも相談せずにため込んでいた為、爆発寸前の私は土砂降りだろうが構わず、昼休憩になるや否や芝公園へと飛び出したのである。

傘を片手に弁当が食べられるわけもなく、雨宿りできないかと見渡した時、唯一あったのがトイレだった。
家の形をしたような公衆トイレで、三角形の屋根があるタイプ。
さすがに中で食べるのに気が引けた私は、トイレの外の壁、屋根が20cmちょっと張り出している細いスペースで立ち食いすることにした。

最大限に体を薄くして弁当を食べていた時、忘れられない出会いが訪れる。

ホームレスでその公園に住んでいる男性がトイレに来た際、とんでもない場所で珍妙な格好をして弁当を貪る若者に興味が出たのだろう。
「そんなところでなんで弁当食ってんだよ。よかったらうちすぐそこだから来いよ」
社会すべてに警戒心と猜疑心を持っていたその時の私は丁重にお断りした。みじめに見せたくないが為に微笑みまで見せて。

男性が立ち去ったと思いきやすぐさま戻ってきて、
「じゃあせめて座って食べろよ」
とパイプ椅子を持ってきてくれたのである。

土砂降りの中してくれるその行為を無下にするほど擦れ切っていなかった私は、素直に感謝を述べ椅子を使用しようとした。
座ろうとした瞬間男性が椅子を引っ込め
「これに座るんだったらうち来るのも同じだ。だから来い」
と半ば強引にその男性宅に連れていかれた。

男性宅といっても予想通りブルーのビニールシートでできた仮住まいでした。
その部屋に私を招き入れた男性は、用があるとかですぐ外に出てしまった。

この空間に二人きりは気まずいなと思っていた私は胸を撫でおろし食事を再開した。
食べ終えても男性が返ってこないので、悪いなと思いつつ感謝も告げず出ていこうと部屋を出た瞬間驚いた。

男性は入り口の横でずっと立って待っていてくれたのである。
おそらく、気まずいだろうと私を慮り、用があると優しい嘘を添えて外で待っていてくれたのだろう。
そして何も聞かずにいてくれ、最後に一言。
「まあ、俺みたいなナリの奴に言われたかないだろうけど、人生いろいろあるよな。お互いこれからも頑張ろうや」
って。

会社を出たときは号泣しているように感じた雨が、帰りは優しく感じた。

一日の、ほんの少しの時間しか交わることがなかった出会いですが、今でも私の宝物。


今日も最後までありがとうございました。