「じゃあ、一言お願いします」

 

 

 と言われた。びっくりした。びっくりしすぎて頭が真っ白になった。しかし、視線が集まっている。主演のKさん、先輩のMさんもこちらを見ている。これは長考する時間はナイ。なんでもいいから言葉をひねり出さねば。

 

 

「えーっと。お疲れ様でした。お世話になりました。あのー、梅雨入りして不安定な気候が続きますので、どうか皆さまお身体にお気をつけて、最後まで無事に撮影が終わりますことを祈っています。本当にありがとうございました。お先に失礼します。」

 

 

 と言っていた。挙動不審だった。目は床を向いていてキョロキョロしていた。口元はずっとニョロニョロとして、ヘンな笑顔。喋りながら頭を鳩のように前後に動かしていた。

 

 

 先輩のMさんはクククッと笑っていた。どこら辺にウケたのかは分からない。もしかしたら、失礼なことを言ってしまったのかもしれない。そう思うと冷や汗が出る。でも、時間を戻すことはできない。私は、流れる空気に身を委ね、監督から花束を受け取った。手に取るだけで、プンと甘い香りがしてきた。

 

 

 ぺこぺこと頭を下げながら、その場を去る。「お先に失礼します」という言葉を何度も言い過ぎているせいか、どんどん呂律が回らなくなっていく。「お先にすしつれます」と、噛む。頭の中で「お先に寿司釣れます」と変換する。なんだそれ。ツッコミを入れる。また冷や汗が流れる。

 

 

 でも、もう撮影は終わったのだ。汗をかいても誰にも迷惑はかけない。いや、衣装さんの視点に立つと、ビショビショの服は触りたくないはずだ。だから、迷惑はかけている。ごめんなさい。素直に謝る。「謝って済むなら警察はいらない」と先生に怒られた過去を思い出した。

 

 

 ・・・と同時に「どうしてあらかじめ挨拶を考えてこなかったのか」と自分を責めた。そして、改めて言いたかったことを考える。

 

 

「お疲れ様でした。とても楽しい現場でした。こういう言い方は失礼かもしれませんが、大変に勉強させていただきました。もっともっと精進して、また皆さんとお仕事ができますよう、ガンバリマス!」

 

 

 と元気いっぱいに叫びたかった。この挨拶文が最善かは分からない。でも、本心ではあった。だから伝えたかった。なのに、言えなかった。この後悔……。帰りのバスの中でも、電車の中でも、ずっと「もっとうまく喋れたらな」と呟いていた。

 

 

 

⭐︎

 

 

 

「じゃあ、まずはアイドリングトークというか。ご自身の近況報告といいますか、今、ハマってるものなどありましたら話していただけますか?」

 

 

 え、そんなの事前質問リストになかったよ。

 

 

 と頭の中で考える暇もなかった。かたまっていた。世界から音が消えたかと思うくらい、静かな時間だった。気づいたら、鼻の奥の方から「んんんんん」という音が漏れている。どうしよう、なにを言おう。なにがベストなんだ。

 

 

「ハマってるもの。ハマってるもの……んんんんん」

 

 

 なんとか口を開いているのに、自分の耳には「沈黙」が入ってくる。壁もイスも、テーブルに置かれたボイスレコーダーも掃除機みたいに音を吸い込んでいく。

 

 

 じっと黙っていたら「じゃあ、違う質問にしましょうか」とフォローを入れてくれるのだろうか。しかし、自分が発した「考えてる風の音、んんんんん」によって、相手は「一生懸命、考えてるんだろうな」と思っているに違いない。ってことは、このまま一生、沈黙が続く可能性もある。こまる。こまる。なんにも頭に浮かばないんだから!

 

 

「えっとー、冷凍餃子」

 

 

 とんでもない言葉が飛び出してきた。

 

 

「あの、冷凍餃子を、美味しく解凍することにハマってます」

 

 

 ごめんなさい。嘘です。ハマってません。たしかに、ここ最近、冷凍餃子ばかり食べているのは事実ですが、ハマってるとか、そういった類のものではありません。

 

 

「はぁ」

 

 

 ライターさんも困ってる。

 

 

「まあ、解凍というか、焼いてるんですけどね。ハハっ」

 

 

 1ミリも面白くない。

 

 笑いでごまかそうとしてるのがバレバレだ。

 

 

「餃子お好きなんですか?」

 

 

「ええ、そうなんですよ!」

 

 

「じゃあ、撮影中も餃子で乗り切った、的なこともあるのでしょうか?」

 

 

 すごい話の運び方だ。無理がある。でも、これも自分が意味不明な回答をしたせいなのだ。

 

 

「あー、あると思います。はい。やっぱり食で身体ができてますからね」

 

「そうなんですねぇ」

 

 

 あーもー。ほんとにイヤだ。

 どうしてこうなってしまうのだろうか。

 

 

 〈とっさに言葉が出ない〉

 

 

 このせいで、これまでとにかく苦しんできた。

 

 

 でも、この現象は今に始まったことじゃない。子どもの頃から、そうだった。だったら対処できるでしょうが! いや、それがそう簡単には話は進まなかった。

 

 

 これは自分にとって「血液型」と同じくらい、変えようにも変えられないモノになっているのだ。B型ヤダ、O型になりたい、みたいな。そんなん言われても、ムリがある。それと同じ。

 

 

 事前質問リストの通り、あれこれ聞いてくれればスラスラと言葉が出てくる。それならいい。そうであって欲しい。こっちは自分の言いたいことを整理して、何度も伝える練習をしてるんだから。そうやって、なんとか対応しようと努めてきた。

 

 

 でも、そうはいかない。

 

 こっちも人間。相手も人間なのだ。

 

 

 用意されてきたものを、ただ聞く、ただ答える。そんなやりとりはツマラナイ。相手を気遣いながら、その場で生まれた空気に身を委ねる。それが人間同士のコミュニケーションってものでしょう。

 

 

 分かってる。

 

 頭ではすんごい分かってる。

 

 でも、理想と現実はちがう。

 

 私は、とっさに言葉が出ないのだ!

 

 だから、その場で生まれた質問には対応できない。

 

 

 自分でも、まるでプログラミングされたロボットだな、と思う。でも「ソノ質問ニハ、対応デキマセン」とは言えない。人間だもの。みつを。

 

 

 こんな自分を「◯◯」と名付けてみた。

 

 

 さて、この「◯◯」に当てはまる言葉はなにか。相棒のGPTくん(生成系AI)に聞いてみた。

 

 

 

「とっさにシカトくん」

「沈黙マスター」

「モゴモゴ王」

「フリーズマン」

「アドリブ苦手マン」

「ハプニング王子」

「テンパリスト」

「リアクション難民」

「言葉迷子」

「緊張エキスパート」

 

 

 バカにされてるのかと思ったけど、すっごい笑っちゃった。どれもピッタリだよ。そして、もはや人間よりもロボットの方が、よっぽど気の利いたコメントを言ってくれるし、ユーモアもあるし、対応力もあると思った。とっくにシンギュラリティだ。

 

 

 はぁ。

 

 

 

 

 

 

 

⭐︎

 

 

 そんな時に、三浦崇宏さんの「言語化力」を手に取った。今の自分に必要な能力だと思ったからだ。そんな力が欲しいと思ったからだ。

 

 

 「はじめに言葉があった」というヨハネの書の引用から始まり、本書には「ことば」が世界の価値観や文化を創造してきたことが記載されていた。ふむふむ。

 

 

 たしかに、パッと思いつくだけでも「ナウい」という言葉が使われていた時代と「バズる」時代では価値観がガラッと変わっている気がする。そして、新たな「ことば」が生まれると、時代が「ことば」に従うかのように動いていく。〈おひとりさま〉という「ことば」が生まれたから、孤食文化が広まった、みたいな。おお、おもしろい。

 

 

 「ことば」は日常生活でも使っているからこそ、自由自在に操れると思ってしまうが、そうではない。ことばの力こそが付加価値となる時代になっている。

 

 

 そうだ。そうなのだ。

 

 「ことば」を使うことは難しいのだ。

 

 

 もしかしたら、ボクは、そんな「ことば」のムズカシさを子供時代から肌感覚として察知しているのかもしれない。だから、止まってしまう。出てこないのかもしれない。

 

 

 どの「ことば」を使うべきなのか。どの「ことば」を使えば自分の心の中の想いを言い表せるのか。考えてしまうから。

 

 

 ・・・まるで自分が「ことば」に敏感な特殊能力でも持ってるかのようだ。むふふ。

 

 

 こうして自分を美化して考えてみたら、少しは劣等感が薄れていく。そして、「ことば」について考えることは、難しいけど楽しいと思った。本を読みながら、力が湧いてきた。

 

 

 本来、この本には、言語化するためのプロセスなどが書かれている。でも、私は、言語化していくための方法ではなく「いかに言語化は難しいか」という確証を得た。

 

 

 著者の目的とは、ズレた読み方をしてるのかもしれない。でも、これはこれで。いち読者の感想として、ネ。だって、そう思ってしまったんだから、ネ。

 

 

 ヘタクソながらも、これからも「ことば」に苦闘しながら、自分のボディを頑張って駆動させていきたい。