大千穐楽から1週間が経ちました。

遅くなってごめんなさい。
やっと書けました。


かなり長くなるので休み休み、
時間がある時にじっくり読んでください。






ミュージカル『モーツァルト!』

5月から帝国劇場で始まり、
5〜6月 東京・帝劇
7月 大阪・梅田芸術劇場
8月 名古屋・御園座

……と、約3ヶ月の公演がついに大千穐楽を迎えました。





ご来場いただいた皆様に心から感謝すると共に、
この作品を支えてくださった全ての方に御礼を申し上げます。


このキャスト、このスタッフ、このオーケストラ、
そして一期一会の奇跡を生み出してくれる劇場という空間に足を運んでくださった皆様との
"この瞬間"があったからこそ、
2018年の『モーツァルト!』は明るく元気に全員で完走することができました。

ありがとうございました!





16年続くこのM!という作品に2度も名前を刻ませていただけて、
大好きで大切なコンスタンツェをまた演じることができて、本当に楽しい毎日でした!



公演中の写真を厳選しつつ、思い出話しを……。






コンスタンツェとの初めての出会いは以前ブログでもお話したかと思いますが、
『レディ・ベス』のオーディションに遡ります。



まだベスの楽曲が仕上がっていない頃、
オーディション楽曲として課題曲になっていたのが ♪ダンスはやめられない でした。

ベスのオーディションを受けた結果、公演が後のM!のオファーを先にいただくという、
今思うとかなり不思議な出会い方をしています。


だからこそ、ベスにもコンスタンツェにも運命的なものを感じるというか、
クンツェさんとリーヴァイさん、そして小池先生に出会えたことは、
私の女優人生のなかでとても大きなことでした。






M!史上初めてのトリプルキャスト!

4年前ですら初のWキャストで驚かれましたが、今回は3人。
最近私はシングルでやらせていただくことも多くて、Wキャスト以上はレミゼぶりだったので、慣れるまでが大変でした。

しかも若いおふたりと同じ役をやらせていただくことはとても勉強になりました。


何て言ったってひと回り違います(笑)。

育ってきた環境も食べてきたものも見ていたアニメも全く違う!(笑)。



ただひとつだけ懐かしいなと思ったのが、
私が10代の頃、声の仕事でしたが常に実年齢より上の役ばかりやっていて、
現場で「一番若い綾ちゃんが一番大人っぽい」と言われていたのを思い出しました。

女性特有だと思うんです、この"能力"。


頭の中で自分の思い描く大人の女性をイメージすると、飛び抜けて大人っぽくなったりするんです。

でもいざ自分がその年齢になってみると、「あれ?意外と大人じゃないな」とか、
自分が若い頃に大人だと感じていた人と同じ年になったけど、同じ大人だと思えないとか、
自分が大人になると大人って感覚が薄れるんですよね。


素直に真っ直ぐ表現できる彼女たちが経験を積んで大人の女性になって、
これからどんどん素敵な女優さんになっていくんだろうなぁとワクワクしました。

……と同時に、私が若手だった頃にお世話になった先輩方の顔が一気に浮かんで、
きっとこんな気持ちで見守ってくださっていたんだなとあったかい気持ちになりました♡



始め小池先生から「彼女たちの見本になるように」と言われプレッシャーを感じたこともありましたが、
お陰で今回の私の役割が明確に分かり、私自身のやるべきことに集中して取り組むことができました。


いくちゃん♡
晴香ちゃん♡

可愛い妹たちよ! ありがとう!






新演出になり、より登場人物たちの心の描写が繊細にくみ取れるようになったなと思った今回。

衣装やセットがダイナミックなのとは裏腹に、
心の動きを捉えやすく人物が浮き彫りになる感覚がありました。

みんなセットのあのピアノ(才能)の上で踊らされているようで、運命とは何てドラマティックなんだろうと。



元々ヴァルトシュテッテン男爵夫人の ♪人は忘れる が大好きで、
大千穐楽の時無意識に危うく泣きそうになりました。



人の記憶は色あせて 
拍手もいつしか 遠ざかる

最後に知るわ 
残るものは 目に見えないものだけ




この懐かしいような、暖かいような。

私たちが今いるこの瞬間は一瞬のうちに過去になって、儚くも何かを残すことができるのだろうか……。
もしできるとするならば人の心の中にしか存在し得ないことである。



男爵夫人はいつもこの作品のテーマ・人の普遍的なメッセージを問いかけるように存在します。


人を超越し天使にも悪魔にも見える存在。
きっとこの人自身目に見えるものではなく心に居るものだといつも思います。






私の考えるコンスタンツェ像をお話しさせてください。
※あくまで私の中の役作りですので、3人とも同じという訳ではありません。
ご了承ください。




今回のコンスタンツェの役作りで前回と大きく変えた点は、時間経過でした。


やはり物語がニッセンから始まることにすごく意味があると思っていて、
その後若かりし頃のコンスタンツェが初めて登場した時に疑問が生まれて欲しいのです。
"この人に何があったのだろう。"
"何故こんなにも変わってしまったのだろうか"と。


なので私のコンスタンツェは敢えて年齢を感じさせる作りにしました。
いつまでも子供のままのヴォルフガングとの対比にもなると思い……。

設定では、冒頭の墓場のシーンとウェーバー家のシーンでは30歳程違うので、それをそのまま表現してみようと。

あとは役と共に時を刻んでいきましたが、
登場毎に数年経っているので、とにかく日々の積み重ねを意識して芝居していました。






この役をやる時は台本の余白に、そのシーンの感情を単語で埋め尽くしたりします。
きっとコンスタンツェの頭のなかはこんなイメージだろうと。
まとまりのない言葉の羅列。

♪ダンスはやめられない なんかはもうぐちゃぐちゃです。
歌詞の隙間にも全部の感情の動きを書いてヒントにしていきます。
そこから動いて膨らませていって、毎回その時々の芝居の流れで感情の動きが変わっていきます。



これでもまだほんの一部なのですが、
分かりやすいところを切り取ってみました。

コンスタンツェの日記だと思って読んでください。







幼い頃からレッテルを貼られてきた。
いつも姉たちと比べられてきた。
役に立たないと呆れられ諦められていた。
必要とされなかった。


ヴォルフガングと出逢う。
これだ。
彼を一番分かってあげられるのは自分だと思う。
だって周りの人は彼の才能とお金ばかりを見ているけど、私は違う。
彼自身が好き。
彼の全てを受け止めてあげる。


愛し合う。
幸せな時間が流れる。
誰が何と言おうが知らない。
この愛は変わらない。
何があってもふたりで生きていく。
私は彼に創作意欲を与えられる存在である。



結婚する。
子供が生まれる。


今まで通りいかない。


すれ違いが生じる。




私は可哀想なんかじゃない。
弱くもない。
でも強くもない。
血を感じる。
あの家族の血が自分にも流れていることを実感する。
気持ち悪い。
自分を見失いそうになる。
私の存在は彼を触発しないのか。
いつからそうなってしまった。
インスピレーション?
倒錯。錯綜。
帰ってきて。
弱さは怖さを増す。
寂しさを増す。
ひとりにしないで。
私を求めてくれる場所はここにはない。
彼を愛する私を彼は絶対に離さないと思っていたのに。
愛する人にも必要とされないのか。
全て夢ならいいのに。
幸せなあの頃と溶け合って分からなくなってしまえばいいのに。
インスピレーション?
初めから間違っていたのだろうか。
与えられるのか私に。
与えなくてはならない。
でもどうやって。

そうして今日もまた、彼の才能の影に沈んでいく……。



大人じゃないと笑っていたあの頃。
彼はあの頃と変わらない。
責任が伴わない。
大人になれない。
いつまでも子供のまま。
あの頃のまま。
今では私ひとりだけが大人になってしまった。
時が経つというのは当たり前のことなのに。
あの頃からひとり取り残された。
彼と同じスピードで走れない。
走れずに置いて行かれて、今ではもう彼は私を必要としない。

それでも、愛してる。








今期真っ先に浮かんだテーマは、"解放する"。

コンスタンツェはヴォルフガングを自由に解き放つ愛を与えられると思って側にいて、
(それが彼女だけが彼に与えられるインスピレーション。)
自分が全てのものから彼を解放してあげられると思っている。
しかし逆に自分自身が解放されることを何よりも望んでいることに気付かない。

家族のしがらみ。
世間の目。
親からも疎まれている自分が唯一持っているもの。
天才から愛されること。
その天才を自分が支えていること。
誰よりも彼自身を愛していること。


それが彼女を支えていたものだったのかなと思っていました。


結果、愛からも解放してあげることになります。

全てを愛していても、彼の考える才能の形とコンスタンツェの愛していたものは違ったようで、
自分は彼に何もしてあげられないと思い知らされ、彼の元を去ります。



ここでまた登場するのが、ヴァルトシュテッテン男爵夫人。

 ♪星から降る金 のなかで、

愛とは解き放つことよ
愛とは離れてあげること

と歌っています。

全ての登場人物の悩みの答えを男爵夫人は持っているのに、人は人であるが故にその答えに辿り着けないのですね。


4年前の役作りでは最終的な結論が「でも愛している。」で終わらなかったので、
そこはこの4年で大きく変わったところかも。

人として成長できている証だと良いのですが……。






アマデも物理的接触は全くありませんし、
アマデ箱は基本モーツァルト一家と男爵夫人にしか見えません。
(あの箱には触れてはいけないルールがあります。特にウェーバー家!)


でもより存在を感じるようになったというか、
ヴォルフを見ていると見えないはずなんですがひょっとしてそこに何かいるのかもと感じるようになりました。

それが何かは分からないけれど。
彼にしか分からない何かが在るんじゃないかと。


コンスはヴォルフを理解したいと思うからアマデの存在を才能を感じることができるかもしれない。
もしかしてアマデが感じさせないようにしているのでは?
でも、ということはヴォルフガングの深層心理は才能を他人に理解されたくないのでは?

……そう思うとすれ違いの理由も分かる気がします。


忘れがちですが、アマデに自我があってもそれはあくまでもヴォルフガングのなかのもの。
アマデの拒絶はヴォルフガングの拒絶ということになって、アマデとヴォルフで意見が割れるのは葛藤しているから。

ではコンスタンツェには……?


分からない!けど!
彼の愛を信じます‼︎‼︎





ちなみにコンスタンツェが絡んでいたなかでいっくんヴォルフとゆーたヴォルフで大きく違うところは、ふたりの結末。


そもそも個人的にお気に入りだった←(笑) 、
♪ダンスはやめられない リプライズがなくなってしまい、
では前と違うアプローチができるなと色々と試していました。


以前は浮気現場を発見し、最初からブチ切れて入ってきましたからね(笑)。

「私ひとりを旅に出して あなたはお楽しみね」
……ですからね。お楽しみって(笑)。
「愛は見せかけね」って音形がかなり怒ってましたよね(笑)。



台詞になったことでコンスタンツェの葛藤がより見えるようになりました。


なので今回試したのは、浮気現場を見ても怒らない。

多分今までもなかった訳ではないでしょうし、これが原因という訳ではないけれど今回は間が悪く……。
目の前で見せつけられて、悲しいけどもう何も言えない。
だって前のシーンで自分の無力さを知ったから……。

その方がコンスタンツェが大人になってしまったのが分かると思ったんです。



やり取りをしていく中でヒートアップし、
代わりにできた台詞が、
「あなたが愛してるのは自分の才能だけだもの‼︎」
これだけは言うものかと我慢していましたが、最後にトドメをさしてしまいました。


いっくんヴォルフには、言って後悔がないように。
ゆーたヴォルフには、言ってしまって後から後悔するように。




♪あのままのあなた の一歩も動いてはならないルールが新演出でなくなり、振り返っていいことになりました。
それでも動けなかったりするのですが……。


変わってしまったのは多分私の方で、
彼の才能の邪魔をしてしまう、彼に何もしてあげられない無力な自分は側にいてはならない。

でも愛し合った日々は本当だから、その日々を信じて、去る。

"……。"で終わらない、"。"で終わるラストにしたかったので、最後に弱さを見せるのは嫌でした。

納得して、受け入れて去って行く。


だからこそ ♪モーツァルト!モーツァルト! にコンスタンツェは登場しません。


これは4年前のブログにも書いた私の解釈ですが、
モーツァルトに対して欲のある人たちがあの曲を歌っていると思っているので、
あの時点でレオポルト、ナンネール、コンスタンツェがいなくなっているのだと思っています。





他にも細かいところで新演出版の好きなところはたくさんあります!

コンスタンツェだけでも、


♪愛していれば分かり合える でインスピレーションの象徴である羽ペンをヴォルフガングがコンスタンツェに持たせ、お互い愛を確かめ合ったり。


プラター公園の箱は、幕が開いてからも試行錯誤を繰り返し、色々なバージョンがありました!





自分で勝手に足したもので言うと、

コンスタンツェはヴォルフガングに一目惚れだった説(笑)。
新演出ではヴォルフガングとの接触が少なくなったので、フリーになっている部分に相当盛り込みました。



役作りの時にいつもその役の癖を作るようにしているのですが、
例えばセシリアお母さまに距離を詰められる時は、殴られるんじゃないかと思っていつもビクつく。
→普段から殴られてきたから(特にトーアヴァルトと再婚後)、自然に体が動く。


若い時は動きを落ち着きなくぷらぷらさせてみる。
→地に足ついていない感じ。




あ!これはあまり関係ありませんが、
名古屋の最後の方から、プラター公園の ♪このままのあなた のヴォルフガングタイムでツッコミを入れてました(笑)。




……まだまだいっぱいありますが‼︎


前回はそんな余裕がまるでなかったので、
今回色々なことにチャレンジできてとても嬉しかったです!








ニッセンのことを書いていませんでした!


ニッセンはヴォルフガングに対して憎しみだけではないというのを今回出したいと思っていました。
分かりづらいが、やはり愛が故という……。

守りたいという想いが強かったからこそ、
冒頭でメスマーさんに「あなたまでそんな話を信じるなんて」と言えるのではと。



再演にあたって、参考資料などを一から読み返しましたが、
コンスタンツェに関する本を読んだ時に、

ヴォルフガングが亡くなり未亡人となったコンスタンツェは子供を育て生活する為もあったが、
特にニッセンと再婚してからのモーツァルトの価値を世に残すという活動に関して精力的に取り組んだ。
そういった意味ではニッセンは最高のパートナーだった。

……という記述がありました。

最近では悪妻ではなかったという説のが有力ですし、大胆な行動の裏に思慮深さも見え隠れし、
コンスタンツェという女性が見直されつつあると思います。



メスマーに対してきつく突き放す態度も、知られてはならない情報や彼の価値を落とすことをしてはならない。
墓の在り処さえも適当に言ってやり過ごすつもりだったのでは……と思ったのです。




しかしやはり止まった時間の決着が着くのは、骸骨を見て彼を確認してから。

見たくないようでいて、見たい。


以前はこれで死して彼が自分のものになった感覚が強かったのですが、
今回は少し違っていて、「これで全て終わる」と、現実を受け入れた感覚でした。


ある時から ♪影を逃れて のイントロで時計が逆回りになって鐘を打っている音に聞こえるようになり、
だから時が遡って、ヴォルフガングが死んだ時のコンスタンツェの姿で登場するのかなと。


あの時から時が止まったままだったのです。




あのラストは役を背負った役者自身で出てくるという演出で、それは新演出になっても受け継がれたこの作品ならではの魅力的な部分だと思います。


誰にでも"影"というものは存在し、
どう戦うか、どう生き抜くか。
しかしそれにどう囚われないか。

ひとりひとりに与えられた問題提起です。


観てくださっている皆様にも伝わっていると思います。






既にTwitterやInstagramにたくさんメッセージをいただいております。

本当にありがとうございます‼︎


そのなかで多く見受けられた、
「また綾ちゃんのコンスタンツェが観たいです!」というメッセージの数々に、
内心踊り出したいくらい嬉しい自分がいます。



前回初めてのコンスタンツェの時に「年齢的にこれが最後」とプロデューサーから言われていてからの今回。

いっくんも大千穐楽のご挨拶で「36歳定年説は井上芳雄さんが決めたので、僕はもう少しやりたいです」と仰っていましたが、
はてさてコンスタンツェはどうなるでしょうか。


勿論やらせていただけたら飛び上がる程嬉しいですし、その時の私が全力でコンスタンツェとして生きることをお約束しますが、
一番嬉しいのは、作品が続いていくことです。


またいつ『モーツァルト!』の世界に生きる不器用で一生懸命な人たちに会えるか、
本当に楽しみでなりません!







『レディ・ベス』の時も思ったのですが、

4年前に初めてコンスタンツェをやらせていただいてからずっと続いていた気がするんです。



課題というか、試練というか、役目というか……。


それが今回でやっと昇華できたんじゃないかと思います。

役が成仏したというか。




4年前は辛くて苦しくて、魂を持っていかれるような過酷な作品だと思っていたのが、

今回はその中にある愛や絆など暖かい部分を感じることができ、

この作品の本来持つべき要素に気付くことができました。




一瞬の煌きは儚いけれども美しい。

何に命をかけるかだなと……。



走り抜けたこの瞬間を、皆様と共に過ごせて幸せでした!




コンスタンツェはいつまでも私のなかに生き続けます。


本当にありがとうございました‼︎