エリザベス1世の父ヘンリー8世の居城として、
その6人の妻たちとの生活が繰り広げられた、郊外の長閑な城。
”ベスを巡る旅”第2弾はこのHampton Court Palaceです。
エリザベス1世も一時ここに住んだことがありました。
しかしこの場所はどちらかと言うと、
父と母を知る為の場所……と言った方が良いかもしれません。
元々はウルジー枢機卿の持ち物だったものをヘンリー8世が所有し改装。
ヘンリー8世のステートアパートメントをはじめ、
レンガ造りのテューダー朝の様式美や、
イタリア建築に影響を受けた設計などで見るものを圧倒する宮殿には、
天井画や壁にかかったタペストリー、絵画など、数多くの美術品があります。
またその庭園は10箇所以上もあり、
宮殿の周りをぐるりと囲んでいます。
なかには迷路の庭園もあり、
(私は絶対迷うと思い断念しましたが)
当時はそこで王族たちが遊んでいたのかと思うと不思議な気持ちになります。
そして『レディ・ベス』の舞台面の盆に描かれている絵をご存知ですか?
ヘンリー8世の時計台と呼ばれているものがまさにそのデザインでして、
こちらは24時間刻みになっていますが星座と共に時を刻みます。
冒頭のアスカム先生のシーンはハンプトンコートの設定と台本に書いてあるんです!
色々と繋がりますね。
アン・ブーリンゲートと呼ばれている門もここ。
レディ・ベスは舞台装置が本当に綺麗なので、
全体を見渡したい方は2階からのご観劇もオススメです。
初めて足を踏み入れた時は圧倒されっぱなしでしたが、
この宮殿はどこか親しみやすい印象もあって、
何というか……生活感が見え隠れするんです。
城の中から庭園を見た時の景色の作り方や、
キッチンやワインセラーが残っていたり、
人が暮らしていた気配をちゃんと感じることができるのが、この宮殿の特徴。
今の時代まで残しておいてくれたことに感謝です。
敷地内は扮装したキャストが各施設の説明をしてくれたり、
急にお芝居が始まったりして、
セットではない実際の場所で行われる芝居を見ると、
自分も時代を超えてその歴史のなかに溶け込むような錯覚を起こします。
(インスタにお芝居のムービーをUPしました!
興味を持っていただけたら是非そちらもご覧ください!)
建物の狭間にカフェがあったので、ちょっとひと休み。
お城が広いので思ってた以上に足にきます(笑)。
ヘンリー8世はテューダー朝だけでなく、
歴代のブリテンの王のなかでもその魅力や教養などから、
最もカリスマ性のあった統治者だったと言われています。
それだけではなく、文筆家、作曲家としても活動していました。
彼自身の性格、エピソードはとても印象的なものが多く、
お土産屋さんでどこを見ても”ヘンリー8世と6人の妻たち”の本や7体セットの人形などが売られていたり、
また映画に登場する彼の人物像からも、この時代の権威の象徴であったことがよく分かります。
そんなヘンリー8世の肖像画が宮殿のなかにありました。
(写真禁止区域でした!残念。)
正直、見つけた時はその場を動けませんでした。
圧倒されるというか、畏怖の感覚に近いというか…。
『レディ・ベス』の後半に出てくるメアリーとの重要なシーンで、
ヘンリー8世の肖像画を見つけたベスが肖像画の被っていたものと同じ帽子をかぶり、
テーブルクロスをマントに見立て父の真似をしているところをメアリーが見つけ、
父の幽霊が絵から抜け出したと勘違いするシーンがあります。
メアリーにベスが呼び出されたのがこのハンプトンコートの屋敷。
その後メアリーと和解し、ハットフィールドの屋敷に戻るよう言い渡されます。
時代を導いた偉大な王を父に持ち、
その父によって母が見捨てられ亡くなりひとりになってしまった少女。
かたや父によって母が処刑された過去を持つ少女。
2人ともなかなか王位継承権を与えられず、
それが認められたのはヘンリー8世の6人目の王妃の働きかけによるものでした。
姉妹の関係を阻んだのは、父の影響だけではありません。
そこには政治と宗教が大きく絡んでいました。
元々カトリックは離婚が認められず、
メアリーの母キャサリンとの離婚を強行したヘンリー8世は教皇から破門されローマと断絶。
国王至上法を公布しイングランド教会のトップに君臨します。
ヘンリー8世の死後、
王位を継いだジョージ6世がイングランド教会の改革を行い、
プロテスタント的な信仰を目指しましたが15歳という若さで亡くなり、
9日間の王ジェーン・グレイを経て、
ついにメアリーに王位が渡ります。
メアリーが女王になってからは改革を全て廃止。
再びカトリックに戻り、同時にプロテスタントの弾圧が始まります。
火破りにしたり……という話は、学生の頃世界史の授業で衝撃的で、
今でも教科書に載っていた絵を覚えています。
メアリーはブラッディ・メアリーと呼ばれるようになり、国民からの反感をかってしまいます。
メアリーの死後即位したベスは、
父の政策を踏襲し、国王至上法を再公布。
礼拝統一法も公布し、ローマから対立や破門という形ではなく、
正式に”信仰の擁護者”と認められ分裂することに成功しました。
こうしてイングランド国内の国教化を強化し、
イングランド国教会がようやく動き出します。
こうして歴史と合わせて見てみると、
ベスとメアリーのなかの父という存在は強大で、
それぞれ父へどう認められるかという想いが強かったが故、
政治により巻き込まれていき、溝が深まってしまったのではないかと感じてしまいます。
本当は寄り添い誰よりも痛みを分かち合える存在だったかもしれないのに……。
『レディ・ベス』のなかで、ベスが父に対して歌う序盤のナンバー、
♪我が父は王 にもある、”父が誇れる王女になるため”にそれぞれが苦悩して求めた本当の父親像は、
誰よりも自分を認めてくれる、威厳に満ちた優しい父の姿だったのかもしれません。
日が暮れると全く違う顔を見せてくれるハンプトンコート。
テムズ川が夕日に煌めきながら、
幼き頃のエリザベス1世も父をその夕日に重ね合わせて見ていたのでは……と思いました。