(前回より続く)

チェンマイの定番観光

チェンマイへは3、4度目の訪問ですが、旧市街の観光をするチャンスがなかったので、先ず、旧市街の観光地を周りました。


バンコクの北方約720キロに位置するタイ第2の都市チェンマイは、「北方のバラ」とも称される美しい古都。1296年にラーンナー王朝初代メンラーイ王により新しい首都としてピン川のほとりに建設され、タイ北部の言葉で「新しい街」と名づけられました。以来、この地域の中心として、モン族やタイヤイ族、ビルマ族などさまざまな民族が交流するなか、建築や仏像の様式、言葉や料理、工芸の分野などで「ラーンナー文化」と称されるタイ北部独自の文化・伝統が育まれてきました。現在でも工芸が盛んな街として知られ、近年はその伝統をベースにタイ芸術の拠点ともなっています。また、周辺はタイ最高峰ドイ・インタノンをはじめとした峰々が重なる緑豊かな山岳地帯となっており、乾季(11月〜1月)は平均気温が約25℃と平野部より過ごしやすいことから、避暑地としても人気があります。(タイ観光庁公式サイトより)


旧市街は、一辺1.6kmの四角形で堀に囲まれ、一部城壁、堡塁や城門が残っています。


この旧市街の代表的な寺院三つと市のランドマーク的な城門のターペー門、そして財務省のチェンマイコイン博物館をザックリ周ります。



① ワット・プラ・シン



ラーンナー王朝第5代パーユー王(1336~1355年)によって1345年に建立されたチェンマイ旧市街で最も大きい寺院。チェンマイで最高の格式を誇ります。

金色の仏塔(プラマハタート・チェディ)の高さは約50mあり、美しい輝きを放っています。かつては、ワット・リーチェンプラと呼ばれていましたが、後に第7代王のセーンムアンマーがチェンライからプラシン仏像を迎え入れてからは、「ワット・プラシン」として地元の人々の間で親しまれるようになりました。

プラシン仏像は、プラ・プッタ・シヒン(Phra Phuttha Sihing)とも呼ばれ、タイ北部で最も崇拝されており、敷地内の奥にある精緻な木彫りとラーンナー様式の壁画が特徴的な礼拝堂、ウィハーン・ライカム(Vihan Lai Kham)に祀られています。幅31インチ、高さ51インチのこの仏像は、毎年4月13日~15日のソンクラーン(水掛け祭り)の際には、大勢の人々に参拝してもらえるようにと特別な台にのせられてチェンマイ市内を巡回します。有名な仏像のほかにも、お堂の壁には色とりどりの壁画が施され、この寺院の見どころのひとつとなっています。

また、地元の人々の間では、辰年の人にご利益がある寺院としても知られています。(タイ観光庁公式サイトより)

入って直ぐの本堂は比較的新しく目的のものではありません。

本堂の左の椰子並木の参道の奥に、チェンマイ紹介に良く使われる写真通りの風景がありました。















このお堂にプラ・シン仏が鎮座しています。





プラ・シン仏




お堂の内壁の古い壁画














② ワット・チェディ・ルアン



1391年、メンラーイ王朝第7代セーンムアンマー王(1383~1402年)が亡くなった父を偲んで建立したといわれる寺院。チェンマイ旧市街にあるワット・プラシンと並ぶ格式の高さを誇ります。

名前にある“ルアン”はタイ北部の方言で“大きい”という意味で、その名の通りチェンマイで最も大きな(ルアン)仏塔(チェディ)があります。当時の王は仏教の宇宙観に従って、都の真ん中に須弥山(しゅみせん)に擬えた大きな仏塔を置き、それを囲うように8つの方向にもひとつずつ寺院を建立すると、王朝の繁栄がもたらされると信じられていました。仏塔は、メンラーイ王の治世中の1481年に完成し、創建当時で高さ約80m、四角い形をした基壇の一辺も約60mありましたが、1545年の大地震で先が壊れ、後に文化庁が現在の形に修復しました。

現在の高さ98m、直径54mのチェンマイ最大の仏塔は、旧市街の真ん中にそびえ立っています。(タイ観光庁公式サイトより)

写真で見るより実物はかなり大きいです。





15世紀のものと言われる涅槃仏




チェンマイ市のCity Pillar


女人禁制です。






境内には巨木が数本あります。




③ ワット・チェンマン



1296年、メンラーイ王によるチェンマイ創都の時に建てられた寺院で、かつては王の宮殿として利用されていました。

本堂には、ソンクラーン祭りに登場する大理石の仏像「プラ・シーラー・カオ」と水晶の像「プラ・セータン・カマニイー」を安置。基部を15頭の象に支えられた仏塔も見応えがあります。(タイ観光庁公式サイトより)



本堂に目指すものはなく、隣のお堂になります。



大理石の仏像「プラ・シーラー・カオ」

説明版によると、2500年前にインドで作られたものとの事(確かにインドの仏像の特徴がありますが、実際にはもう少し新しいはず)。





左の小さい仏像が水晶の像「プラ・セータン・カマニイー」

説明版によると、1800年前にロップブリで作られたものとの事(実際にはもう少し新しいはず)。





仏塔も意外に見応えありました。








④ ターペー門







⑤ 財務省チェンマイコイン博物館


ランナー地方のコインの充実したコレクションを期待したのですが、バンコクのもののミニチュア版でした。







(右上のコインは図録にありますが、市場ではまだ見た事ないタイプ。バンコクのコイン博物館にもありましたが、プライベートコレクションや市場よりも公共の博物館に良い物があるのは、珍しい現象です。普通は逆のはずですが。)



チャンマニー








チャンは、ランナー王国各都市のマークがあり、通常目にするのはチェンマイかチェンセーン。しかし、全部で二十数都市のものがあります。全種類展示を期待していたのですが…。



トック、ドック・マイ、パックチーマネーと秤









東北地方と中国よりのサイシー





 

オピアムウェイト




スコタイ〜アユタヤ〜ラタナコシン



暑い中、エアコン効いて他の参観者もいないので、良い休憩となりました。


財務省なので予算がたっぷりあるようで、パンフレットが立派です。

タイ貨幣全般の歴史








ラタナコシン時代は詳細すぎて、王室に忖度しているような気がします。




ランナー(タイ北部)貨幣に特化したもの

これは良くまとまっています。







英領インドルピーが、ランナーでも流通していたのは知りませんでした。チーク材の輸出の対価で大量に流入したそうです。少数民族衣装の装飾に英領インドのコインが使われていた理由が分かりました。



(続く)