環濠です。この部分は農業用貯水池/水路として整備されています。
こちら側は如何にも遺跡と言った雰囲気。
千年以上も経っているのに、まだ水をたたえているのは、いかに地質が安定しているかを示している様に見えます。他のドバーラバティー遺跡でも環濠が残っているものが多いです。
周囲に11基の結界石が八方向に設置されていました。(一部を残して博物館で展示)
この仏塔は、プラ・タート・ヤークと呼ばれています。遺跡名のムアン・ファー・デー(ト)は現地では全く通じません。(しかし、この村の名前は、バン・シーマ(結界石村)が正式名称である事が後から分かりました。)
プラ・タート・ヤークーは、別名「プラ・タート・ヤイ」とも呼ばれて、ドヴァーラヴァティー時代(6世紀ー11世紀)に建てられた仏塔です。この地域で、戦後唯一残っているクメール式の仏塔。周囲に建っている石柱には仏教の教えや逸話が彫りこまれています。長い時間をかけて劣化し変貌をとげ、アユタヤー様式を取り入れて八角形の塔まで変化した。その後、1967- 1979年まで、タイ王国文化省芸術局はこの塔を発掘調査、復元整備事業など重要史跡の保護のための事業を行っています。毎年4月にはここで雨の恵みを願う儀式が行われています。市街から約20km。(タイ政府観光庁公式サイト)
西側には一直線に仏塔の基壇と思われるものが並んでいます。
現地に残されている結界石(シーマ)です。
この村は人家も少ない(暑い)寒村ですが、仏塔の近くに、古代集落を再現したような観光施設があります。モン人が住んでいたドバーラバティー時代はこうだったのかと思える様な優れもの。
この中に小さな博物館がありましたが、まだ整備されてなく鍵がかかっています。
空き巣よろしく、建物の周りを窓やドアが施錠されてないか覗き込みながら歩き回りました。残念ながら入れないので窓の隙間や窓ガラス越しに、未練たらしく写真だけ撮らせてもらいました。側からみるとかなり怪しい人物ですね。
あぁ、結界石のレリーフが見れないとガッカリしたのですが…、
ところが、仏塔から数百メートル離れた所にお寺があって、環濠集落各地から出土した結界石がたくさん集められ、実質的な博物館となっていました。
この仮設倉庫の様なところにレリーフのある重要な結界石がありました!
一部お堂で本尊化。
こんなに大量の結界石が出土している事に驚きつつ、村を後にすると、
村の名称の標識。なんと「バン・セーマ」,結界石村です。
環濠集落の外にも遺跡が点在していました。
昔は今よりかなり大きな街だったようです。
ドバーラバティー遺跡は、タイのスコタイ、アユタヤ、更に、カンボジアのクメール/アンコールや主としてタイ東北部の南半分に分布するクメール遺跡と比べると地味ですが、集落の規模や結界石は面白いですね。
先史時代のバンチェン遺跡では,青銅器や鉄器が盛んに製造されていたので、タイ中部の様にコインが発行されていたら、きっと魅力的なものだったろうなと思いつつ、コンケン博物館へ向かいます。
(続く)