バンチェン遺跡は、紀元前2500年~2000年にさかのぼる先史時代の貴重な遺跡で、1992年に世界文化遺産に登録されました。
バンチェンの人々は、黒陶、文様陶器、彩色陶器という3つの時代に分けられる稲作・農耕文化をもち、陶器技術も発達したといわれています。ここでは、展示のほかに遺跡が発掘された状態を保存した遺構を見学することもできます。
また、隣接するバンチェン国立博物館では、1960~70年代の発掘当時に既存の人類史を覆す大発見と世界中の注目を集めた貴重な出土品が展示されていて、合わせて見学することができます。
(タイ政府観光庁公式サイトより)
バンチェン文化は3期に分けられます。
早期: 紀元前3,600〜紀元前1,000年頃、
中期: 紀元前1,000年〜紀元前300年頃、
後期: 紀元前300年〜紀元後200年頃。
バンチェン文化は、当時の東南アジア/インドとも交易を行なっていたと考えられます。
例えば、バンチェン遺跡で出土する石/ガラス製のビーズは北インドのウッジャインやビディシャ(インド古代コインで登場した都市)や南インドから輸入されたもの。
早期の黒色で、高台・縄文・削紋・型押し等の特徴のある土器は、バンチェンだけでなく北イサーン一帯で出土しています。
青銅器の原料である銅は現地にはないので、ラオス、北隣のノーンカーイ、中部ロップブリ、錫はタイ西部ラチャブリから来ていると思われます。
早期の土器
中期の土器や青銅器、そして土器
中期の紋様土器がバンチェン土器の典型的なものです。
後期の土器・鉄器他
バンチェン土器の時代による変遷。中期から後期が最も有名です。
青銅器については従来説を覆すもの。
元々青銅器は紀元前3,000年頃までには中東で発明、東南アジアには、インド又は中国から2,500〜3,000年かけて伝来したものと考えられて来ました。
ところが、バンチェンでは紀元前3,000年頃には青銅器が作られていた事が発掘調査で判明。
北イサーンのノック・ノック・ター遺跡で紀元前2,700年頃のブロンズ製品生産を示すものが出土しています。
青銅器は武器(や祭祀用)ではなく、日用品として使われていた事も、他の地域と異なる特徴。
農業もかなり早期、紀元前3,000年には始まっていた事が、稲が大量に出土した事で判明。鉄器も稲作に使用されていました。動物の家畜化(牛、豚、犬、鶏等)も同時期に既に始まってい他との事。家畜の骨もたくさん出土しています。
稲穂の型が付いた鉄器
世界各地の文明の比較。
(農業、初期集落の形成、ブロンズ製品、都市国家の成立等での時期の比較)
ここから土器のみを更に取り上げます。
早期の土器:
中期の土器
その他の北イサーンの土器
バン・ナー・ディー遺跡(ウドンタニ県)
牛型陶器がインダス文明的です。
バン・コク・コーン(サコーンナコーン県)
博物館はほとんど観光客はいませんでした。展示や解説には並々ならぬ力の入れようですが…。
街全体が遺跡。土産物屋は閑古鳥。
バンチェン遺跡発見のきっかけは、1966年にペンシルバニア大学の文化人類学専攻の学生が、村の風俗習慣を調査に来て、たまたま木の根に躓いて転んだら、目の前に渦巻き状の奇妙な土器片があった事から始まっています。
村人はこれらの土器の事は昔から知っていて、一部日用品として使っていたそうです。
東南アジアあるあるですが、この情報をいち早く掴んだ骨董屋が村人から良い状態の物を買い上げ、バンコクのリバーシティ他骨董街に並ぶ事に。
これに政府が気づいて、保護、取り締まり行うも後の祭り。
結果、この博物館には完品は少なくなっているのだと思います。
ウドンタニ最後はレストラン。
アメリカ人退役軍人御用達のレストラン:
バーガー美味しいだろうとオーダーしましたが期待外れ。
アメリカ人が多いと何故かホッとします。英語が通じる頻度が高いからかもしれません。
駅近くに巨大なフードコート。
ウドンタニは、日本食屋も異常に多い。
これは赤提灯のラーメン屋台。タイ人で満員。
旧正月も近いので飾りつけは中華。あちこちで真っ赤なチャイナドレスも売っていました。
小さな街ですが、懐深く外国人も住みやすそうです。
(続く)