(前回より続く)

ウドンタニでは、以下の三ヶ所の観光を計画しました。

プー・プラ・バート歴史公園

紅い睡蓮の海(タレー・ブア・デーン)

バンチェン博物館


ウドンタニ初日は、市街地から北西にあるプー・プラ・バート歴史公園他に向かいます。



ウドーンターニーの西部に位置する広大な歴史公園。プーは「山」、プラバートは「聖足跡」を意味しており、9~11世紀には、仏教の祭事場として使われていました。公園内では、浸食作用によって自然にできたキノコ型の奇岩や、岩肌に赤い塗料で描かれた人物や牛などの壁画を見ることができ、釣りや狩りの様子など先史時代の人々の営みを窺い知ることできます。また、付近を治めていた王がウサという美しい姫を隠し育てた伝承に基づく奇岩もあり、珍しい歴史的な産物は見ごたえは十分です。
2015年2月現在、世界遺産候補リストに含まれているので、今後世界遺産に登録される可能性がある遺跡です。

(タイ観光庁公式サイトより)






侵食された堆積岩が点在する低い緩やかな岩山に先史時代の岩絵と、主として、ドバーラバティー後期〜ロップブリ前期の仏教関連施設の遺構が残っている。ウドンタニ市街から北西に67km


きのこ状の奇岩を宗教的な聖域として、その周囲に結界石(ドバーラバティーでタイ・東北地方(イサーン)特有の石碑のような形状をしたもの)を配している。


中央の奇岩を加工して石室や一部仏像を掘り込んでいる。


非常に神秘的な印象。結界石がどの様に使われていたかが良く理解できる。



この公園の象徴の「ウサ王の塔(Hor Nang U-sa)」










義父の棺桶(Heep Sop Ta)




先史時代の幾何学模様の岩絵




象石(Tam Chang)




祭祀広場






祭祀広場の中心部。何かは分からないが立ち入り禁止なので、重要な遺構と思われる。仏足?






僧侶の洞窟(Tham Phra)












かつては木造の柱があって、屋根が覆っていたと思われる。




義父の寺院(Wat Pho Ta)






ウサ王の遺灰堂(Ku Nang U-Sa)










ウサ王の井戸(Bo Nam Nan U-as)



ウズラの岩屋(Peong Hin Nok Krata)












山頂に近い見晴らし台。北隣のノーンカーイ県との県境の丘とその向こうに遠くラオスの山々。






人の洞窟(Tam Kon)




3,000年から2,000年前と推定される先史時代の岩絵




牛の洞窟(Tam Wua)






ヘルメット洞窟(Tam Rishi)












ロード・バロスの馬小屋(Kok Ma Tao Baros)






小さな馬屋(Kok Ma Noi)









義理の息子の寺院(Wat Look Koei)


後世に石材でお堂の様に壁や窓が作られています。




内部にあった仏像は頭部が掠奪されている。中央の仏像の頭部も後から別の仏頭を付けたと思われます。



たっぷり4時間ほど歩き回りました。


各サイトの名前のウサ王やロードバロスは地元の伝説の登場人物で、地元民がこの伝説に基づいて呼んでいたものだそうです。



その後、近くのイサーン北部の特徴を持つ仏塔と、その基部にある仏足見学。これは大したことない。

Wat Phra That Phra Phutthabat Buabok

ワット・プラタート・プラ・ブッタバート・ブアボック



イサーン様式の仏塔の中に仏足が祀られて、現在も信仰の対象となっています。(金で覆われていて、古さは感じられませんが。)



ここで終わりのはずが:


見学後にインフォメーションセンターで購入したガイド本に、更に完全な結界聖域と仏像等で装飾された結界石があることに気付き、10キロ程の田舎道の後更に未舗装道路を不安を抱えながら行ってみると。


まず、古びた仏塔と仏足





そして、その山の赤土の未舗装道路を奥へ奥へと。運転手も初めてとの事で、道を聞きながら進むと、やっと目的地に着きました。


Wat Phra Phutabat Bua Ban Sima Culture Site

ワット・プラ・プッタバート・ブア・バン 結界石遺跡。9〜11世紀頃と推定されている。


グループ1


きのこ状の奇岩が景色の良い断崖状にあり、その周りを結界石が囲んでいる。ワット・プラ・バートと同じ。奇岩には先史時代の岩絵が僅かに残る。









グループ2


広場の中心部の周囲8方向に3個づつの結界石列を放射状に配列。結果、中心部の聖域と思われるところを三重の結界石の同心円で囲んでいる形状となっている祭祀場と思われる遺跡。合計24個の結界石が、当時の配列のまま残っている。


中心部に一番近い結界石が一番高く下部に仏像等を刻んだ装飾が施されている。仏像等はクメールのKoh Ker様式(10世紀半ば〜後期)


中心部は広くなく、祭壇の様なものも何もない。発掘調査で地表から3mまで掘ったが何も出なかったとの事。




























3個の結界石よりなる結界石列の一番内側の最大のものの内側には8列全てで仏像等の彫刻があるが、この列ではその裏側(外側)にも彫刻がある。













この列では、最も内側の結界石の外側だけでなく、2番目の結界石の外側にも彫刻が施されている。




この列の一番外側の結界石の下部も他よりもやや凝った装飾になっている。



これは同じものの反対側。



この列を外側から見たもの。












この地面が祭祀の中心部。何も無い。非常に不思議。三重に結界石で外界と隔てているという事は、この中に宗教的に何か重要なものがあったはず…。



各結界石列に保護屋根を設置しているので、見栄えは悪いが、聖域の様子が具体的に眼で確認できる。非常に不思議で神秘的な結界聖域遺跡。


一日中結界石を追いかける事になりましたが、ドバーラバティー好きとしては、満点の一日でした。






(続く)