古代インドコイン1 十六大国時代からローカル都市国家まで 概説

 

 

インドパルティアの次は当然クシャン朝と続くはずですが、古代インドのコインの紹介を飛ばしたままにしていたので、ここで、時代を500-600年巻き戻します。

 

グレコバクトリア・インドグリーク、インドスキタイ、インドパルティアも、古代インドなのですが、いずれも外部からインドに侵入してきた人々によってできたもので、コインもインドから見ると異なる文化(例えばギリシャ)を色濃く反映したものです。

 

今回、古代インドコインと呼ぶのは、所謂インド人(パキスタンも含む)の古代国家が発行したインド的なコインを指しています。但し、北部インドのインド人も、紀元前1,500-1,000年頃のアーリア人の侵入でインドに入ってきた異民族ではありますが…。

 

コインの起源として西アナトリアのリディアのコインが良く取り上げられますが、インドもコインの歴史は古く、概ね紀元前500-300年頃(紀元前1000-500年と言う人もいます。)に以下のようなコインが流通していました。

 

初期の代表的なPMCs:古代インドの最初のコイン(400-300BCE)大英博物館 Room 33

出典:ウィキ(File:The First South Asian coins 400-300 BCE, Room 33 exhibit of the British Museum.jpg - Wikimedia Commons

 

PMC(パンチ・マークド・コイン)と一般に呼ばれるもので、基本的には板状又はやや湾曲した銀又は銅の小片にいろいろなシンボルを打ち込んだものです。

 

 

PMCは一説によると、最初は国家が発行したものではなく、商人が交易の利便性の為に発明したといわれています。さすがインド商人です。

 

形状やシンボルが地中海世界や古代中国とは全く異なる事、又、PMCの種類も多種多様でガンジス川流域諸国(カーシー国、コーサラ国とかマガダ国等)での出土が多いため、直感的には(そしてインドの多くの学者が主張しているように)インド独自の発明・発展を遂げたと考えていましたが、今回記事を書くにあたってウィキ等を調べると、最近は西方ペルシャの影響を受けたガンダーラ地方が起源の単純なPMCがインドで複雑なシンボルを持つPMCに発展したとの説が優勢のようです。

 

これは、ウィキによると、カブールやガンダーラ地方で出土したコインホードを詳しく調べてみると、沢山の種類の古代ギリシャコイン、アケメネス朝シグロス銀貨、現地で作られたと思われるシンボルが一つの単純なデザインのPMC、ベントバー銀貨、更に、紀元前6世紀半ばのリディアのスタテル銀貨(ライオンと雄牛が戦っているデザインのもの)を思わせるような、2頭の雄牛が向かい合っているローカル銀貨、極めつけは、アーカイック期のアテネフクロウテトラドラクマ銀貨まで含まれていて、ガンダーラがアケメネス朝支配下の時代から、古代ギリシャコインがかなり使用されていた事、コインの面で地中海・ペルシャの影響を強く受けていた事、そして同時に単純な(つまり初期の)PMCが作られていた事の根拠となっています。この西方の影響受けた単純なPMCが、ガンダーラからガンジス川流域に広がって行って、複数のシンボルを持つPMCに発展して行ったとの説です。古代ギリシャコインによってホードの年代の特定も可能になっています。

 

 

古代インドでは各地で小国が分立していたものが徐々に周辺国を吸収合併して大きくなり、ジャナパダ(Japanpada)と呼ばれる小国家群が成立し、その後有力なジャナパダが競合の結果、一部のものが強大になり、マーハージャナパダ(Mahajapada)と呼ばれるようになります。象徴的かもしれませんが、主要国を十六大国とも呼びます。

 

この十六大国あたりから、各種のPMCが発行・使用されていきます。

 

古代インド十六大国(Mahajapadas)とその他の国家(Janapadas)紀元前500年頃

出典:ウィキ(Mahajanapadas_(c._500_BCE).png (1000×771) (wikimedia.org)

 

 

この十六大国のなかで、マガダ国とコーサラ国が強大になり、最終的にはマガダ国が北部インドの大半を制圧し、その後、マウリヤ朝(紀元前325-185年)がインド全土を版図とする最初の帝国となります。

 

マウリヤ朝の最盛期を築いたアショカ王(在位~紀元前232年)の死後、マウリヤ朝は分裂し、その中でシュンガ朝(紀元前180年頃~紀元前68年)や、数多くの都市国家が誕生します。シュンガ朝はPMC銀貨とPMCではない銅貨、これらの都市国家はPMCではない特徴のあるコインを発行しています。インドグリーク諸王が北西インドに進出するのもこの頃です。

 

 

都市国家発行のローカルコインの例:

 

 

 

 

 

 

シンボルが沢山あり、かなり複雑で難解なデザインです。例えば川があって魚が二匹泳いでいたりします。どういう発想でこのようなデザインになるのだろうと、最初見た時は非常に驚きました。沢山の神様がごちゃごちゃと飾り付けられたヒンズー教の寺院を初めて見た時の衝撃に通じるものがあります。

 

 

そして、既に紹介したグレコバクトリア・インドグリーク諸王の後、インドスキタイ、インドパルティアがこれに続き、最終的にはクシャン朝が取って代わるという流れです。

 

手持ちを分類・整理しながら、PMCからインドグリーク諸王の時代の直前(ないし並行して)北インドにあったインドローカル諸国のコインのほんの一部を少しずつ紹介したいと思います。

 

 

十六大国 - Wikipedia

Janapada - Wikipedia

Punch-marked coins - Wikipedia

Kabul hoard - Wikipedia

Shaikhan Dehri hoard - Wikipedia

 

 

(参考)ガンダーラ地方プシュカラバーティで出土したShaikhan Dehri hoardに含まれていたアテネフクロウテトラドラクマ銀貨(アーカイック期)

 

Athens coin discovered in Pushkalavati. ATTICA, Athens. Circa 500/490-485/0 BC. In 2007, at the site of ancient Pushkalavati (Shaikhan Dehri) in Pakistan, a small coin hoard was discovered that contained this tetradrachm of Athens, in addition to a number of local types, some blank flans, and four cake-type cast ingots. Dated to circa 500/490-485/0 BC, this coin is the earliest known example of its type to be found so far east.

出典:ウィキ(File:Athens coin discovered in Pushkalavati.jpg - Wikimedia Commons

Attribution:Classical Numismatic Group, Inc. http://www.cngcoins.com

 

これは現在までで、最も東方で発見されたアテネフクロウテトラドラクマ銀貨であると考えられています。現在のパキスタンまでたどり着いていたとは驚きです。

 

時間があれば、カブールやプシュカラバーティのコインホードについて別途記事にしたいと思います。

 

参考:Oriental Coins and Their Values, The Ancient & Classical World, 600 B.C. – A.D. 650, by Michael Mitchiner, 1978年

ウィキ

CNG

 

(続く)

 

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