サムドラ・パサイ マス金貨(クパン金貨)

 

前回同様、先月のオークションで落札したものです。

 

東南アジアのスルタン王国が発行した0.6g単位の金貨です。(実際は、非常にまれですが、4, 2, 1/2, 1/4単位も存在します。)

 

その中で、最も現存数が多いと思われるのが、アチェとサムドラ・パサイ発行のものです。

 

この分野は収集対象ではないのですが、たまたまアチェのものは数枚、ジョホールとマカッサルのものも各一枚持っているのに、歴史的に最も古く、現存数が多いサムドラ・パサイのものは未保有だったので、今回2枚だけ落札しました。

 

Samdra-Pasai, AV mas, Muhammad, 1297-1326, 0.61g/9.8mm, ref. Leyten-SP4a/p.121 (AU)

 

表:muhammad malik / al-tahir (ムハンマド王・ピュアな(宗教的に))

裏:al-sultan al-`adil (正義のスルタン)

 

ムハンマドは2代目又は3代目のスルタン・王と考えられます。

 

この、裏面のデザイン(カリグラフィー)は、東南アジアの錫銭でもよく見かけます。錫銭の場合はこちらを表としているケースが殆ど(裏は無地のものも多い)ですので、裏表どちらが正しいのかの議論の余地はあるでしょう。

 

 

Samdra-Pasai, AV mas, Abdallah I, 1379-ca.1400, 0.61g/10.6mm, ref. Leyten-SP9a/p.125(EF)

 

 

表: `abd / allah malik / al-tahir (アブダラ王・ピュアな(宗教的に))

裏:al-sultan al-`adil (正義のスルタン)

 

 

サムドラ・パサイはインドから移住してきたインド人商人の貿易拠点から発展・建国されたと考えられますが、13世紀後半の成立と考えられます。 伝説上は1267年。 「サムドラ」はマレーの伝説では猫ほどの大きさの巨大な蟻の事、又は、サンスクリットで海という意味です。パサイは伝説上の建国者の連れていた犬の名前からきているそうです。サムドラとパサイは異なる港市で、パサイが最初に築かれたとされています。

 

北スマトラ北部であることは間違いないのですが、正確な位置はいまだに不明です。

 

サムドラ・パサイはマラッカ海峡の西の出入り口に位置する重要な港です。シュリビジャヤ時代にはマレー半島側のクダーがその役目を果たしていましたが、11世紀の南インドのチョーラ朝の遠征や、多分、現在のタイ南部リゴール王国(建国は1230年頃)の影響で安全な港とは言えなくなり、マラッカ海峡の西の入り口の拠点港が対岸のスマトラ側に移ったのだと考えられます。

 

サムドラ・パサイの歴代王物語(The Hikayat Raja-Raja Pasai)、マレー年代記(Sejarah Melayu)、オランダ東インド会社百科事典、スルタンの墓碑、コインがサムドラ・パサイの歴史に関する主たる史料となります。

 

例えば、一つ目のコインのムハンマド王の即位年(1297年)と死亡年(1326年)は彼の墓碑から考古学的に正確に同定されています。

 

 

外部の史料では:

 

元からインド南部コロマンデル地方へ派遣された使節が帰国の途中、1282年にサムドラに寄港し、現地の王の歓迎を受け、その国の大臣2名(フセインとスレイマン・どちらもモスレムの名前)が元まで随行したとの漢籍の記録があります。

 

元からイタリアに帰国途中、1292年にマルコポーロはスマトラで風待ちの為5か月程滞在し、彼が滞在したFerlec王国の住民はイスラムに改宗している・Ferlec王国はサムドラ・パサイに吸収されたとしています。

 

又、1325年にモロッコのタンジールからメッカ巡礼に旅立ちアジアまで旅をした冒険家イブンバツータは、スマトラの唯一のイスラム王国に滞在し、そこは最近イスラムに改宗したと述べています。

 

 

1521年にポルトガルがサムドラ・パサイを占領。その後アチェがこの地を支配します。

 

 

このような0.6gの金貨は広く東南アジアのスルタン王国で発行されており、アチェ、サムドラ・パサイ、ジョホール(六角形と円形)、トレンガヌ(六角形と円形・非常に少ない)、パタニ―クランタン(有名な鹿のモチーフのもの等・円形)、クダー(六角形と円形)、マカッサル等が知られています。特にアチェやサムドラ・パサイのものは、国内外のオークションでもスラブ入りや裸でしばしば目にします。

 

銘がアラビア語、又はジャウィで難解なので、購入される場合はスラブ入りか、裸の場合は、少なくとも発行国とスルタン名・在位年が、出来れば銘のアルファベット表記が記載されているものを入手しないと、なんだかわからないコインを手元に置くことになります。又、この分野に詳しくないオークショナーの場合は、なんでもアチェ又はサムドラ・パサイと表記している場合もありますので注意が必要です。

 

 

(注)重量単位「マス・mas」について:

 

東南アジアのスルタン王国で発行されていた0.6gの金貨は、クパン(kupang/coupang)と呼ばれるのが普通(?)だとの理解でしたが、サムドラ・パサイとアチェのものはLeytenはマス(mas/masha)と呼ばれるべきとの事。

 

北スマトラのサムドラ・パサイとアチェは欧州列強による植民地化はかなり遅い時期であるため、重量システムは古代インドのものが長く生き残った。一方、その他の東南アジア地域は、元々中国が起源の重量システムを使っている(本当だろうか?)ため異なる重量単位であったと。

 

非常に紛らわしいことに、このマスはmasはmashaの略称で、mashaはそのまま読むとマシャ、マサに近い発音で、シュリビジャヤのコインの重量単位マサ(masa)と混同しやすい。どちらの重量単位もコインの単位としては「マス・マサ」と「クパン」があり、比率も1マス・マサ=4クパンと同じ。古代インド重量システムでは、1マス・マサが0.6g、一方他の東南アジア地域では、1マサが2.4g(4倍)。

 

従って、サムドラ・パサイとアチェの0.6gの金貨はマスで、その他の東南アジアスルタン王国(例えば、ジョホール)の0.6gの金貨はクパンと呼ぶべきとの事です。

 

紛らわしいので、個人的には、サムドラ・パサイとアチェのものを「マス・mas」、それ以外を「マサ・masa」と呼んでかろうじて区別するしかなさそうです。(以前、マスとマサは同じと書いて投稿したような気がしますが、誤りでした。)

 

今回出てきたサムドラ・パサイとアチェの「マス」は:

1 mas = 0.6g

1 cupang =1/4 mas = 0.15g(敢えてCを使いました)

 

それ以外の東南アジアでは「マサ」で4倍の違いがあり、上記「マス」は「クパン」と同じ0.6gとしか言いようがありません:

 

1 kupang = 0.6g

1 masa = 4 kupang = 20 rattis = 2.4g

1 ratti = 0.12g

 

1マス=4クパン(北スマトラ)=4マサ=16クパン(その他東南アジア)。

 

しかし、例えば、

 

サムドラ・パサイの0.6g金貨を、AVマス(mas)、

ジョホールの0.6g金貨を、AV クパン(kupang)、

 

と表現すると、学術的には正しいものの、

 

サムドラ・パサイのAVマスは、クパンの4倍のマサと混同して2.4gあるのではと勘違いする可能性があります。

 

同じような時期に、同じようなコインを発行していた、同じ地域のスルタン王国のコインが、異なる単位で、更に誤解を招きやすい表記をされていると、この分野の専門家でない普通のコレクターには不都合です。

 

結局、学術的な正確性に目をつぶって、全部クパン表記とするのが一番すっきりしますが…。

 

 

 

以下はLeytenの解説のさらに余談です。

 

古代北インドの重量単位は、古代ペルシャの重量単位に起源がある。古代ペルシャの重量単位は大麦の実が使用され、0.059g。一方北インドでは、ガンジャの実の重量が使用されこれは0.118g。つまりペルシャの重量単位の丁度2倍。

 

ラティはガンジャの南インドの呼称。ガンジャ=ラティ。ガンジャは大麻の事です。

 

つまり、「ラティ」は大麻の実一つの重量を基準にしたものです。(古代ビルマ等のコインで、ラティの重要単位には長く触れてきましたが、大麻だったとは全く知りませんでした。)

 

インドでは麦より米が主食であるため、大麦単位ではなく、インド全域で利用されていた大麻(ガンジャ又はラティ)が重量単位として使用されることになったと。

 

 

古代の重量単位は夫々の地域で独自に発達したのだと思っていましたが、どうもかなり関連があるようです。

 

ピューの旭日銀貨の単位は、80 rattis。これはグラムに直すと、9.6g。

 

最近並行して記事を書いているインドグリークやインドスキタイのインド重量単位のテトラドラクマ銀貨は約9.6g(正確には9.68g)。

 

古代北インドの重量単位、カルシャパナ、も古代ペルシャ由来という事をどこかで聞いたような記憶があります。

 

結局、全部古代ペルシャと関係がある? それとも単なる偶然なのでしょうか?

 

 

参考:

 

The Gold Coins of Samdra-Pasai and Acheh/ Their Origin, Name and Weight in a Historical Context, J. Leyten, November 2006

(PDF) A CATALOGUE OF THE GOLD COINS OF SAMUDRA -PASAI AND ACHEH THEIR ORIGIN, NAME AND WEIGHT IN A HISTORICAL CONTEXT | J. Leyten - Academia.edu

ウィキ(Samudera Pasai Sultanate - Wikipedia

 

 

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