バクトリアのコイン10(エウクラティデスI世・II世)

 

今回は、混乱と分立の「戦国」時代に終止符を打ち、グレコバクトリア・インドグリーク地域を再統一したエウクラティデスI世(Eukratides I Megas・在位:紀元前170-145年頃)及び、その後継者の一人のエウクラティデスII世(在位:紀元前145年―140年頃)です。

 

エウクラティデスI世は、デメトリオスI世(在位:紀元前200-185年頃)がインドへ遠征中に、バーミヤンかバクトリア地方で反乱を起こし、幾度の戦いを経て、多分アンティマコスI世(在位:紀元前180年―170年頃)から王位を奪ったと考えられています。ローマの歴史家ユニアヌス(マルクス・ユニアヌス・ユスティヌス)はその著書で、紀元前171年に即位したパルチアのミトラダテスI世と同時期に即位したと記録しています。

 

彼は、グレコバクトリア王国の歴代王では最も有名な王だと思われます。北はソグディアナ(現在のウズベキスタン他)・バクトリア(現在のアフガニスタン北部やタジキスタン南西部他)・マルギアナ(現在のトルクメニスタン南東部)から、現在のアフガニスタン東側ほぼ全部・パキスタン北部、ジャンム(インダス川上流のジャンムカシミール地方)、そしてインド西部グジャラート州のバローチまで達します。領域的にはほぼ最大の版図を支配下におさめます。

 

尚、ソグディアナ地方は、エウテュデモスI世の紀元前205年頃、グレコバクトリア王国の支配から独立しています。そして、紀元前128年に漢の張騫が月氏(後のクシャン朝)をソグディアナ地方のフェルガナ盆地(現在のウズベキスタン東部、キルギス西部、タジキスタン北部)に訪問したころまでには、月氏の支配下に入っていたと考えられています。しかし、エウクラティデスI世はソグディアナにも軍をすすめたとあるので彼の治世に一時的にでもグレコバクトリア王国の支配下に戻ったのかもしれません。少なくともコインは出土しています。

 

 

12.エウクラティデスI(在位紀元前170-145年頃)及びII世(在位紀元前145年―140年頃)

 

 

コインの面でも、彼の広大な支配地域から沢山のコインが出土しており、その意味でも最も重要で有名なグレコバクトリア王と言えます。

 

最も有名なものは以下の金貨で、古代金貨の中で最大のものだといわれています。

 

 

(参考)エウクラティデスI世の20スタテル金貨  (169.2g, 59mm)


AV 20 Stater, 169.2g, 59mm

出典:ウィキ(PD)

 

この古代世界最大の金貨は重量約170g、径約6cmもあります。1867年に現在のウズベキスタンのブカラ近郊で発見されました。6人のアフガニスタン人が発見したのですが、この金貨をめぐって争いになり、一人・二人と殺されてゆき、最後は一人となったそうです。壮絶な仲間割れ。この最後まで生き残ったアフガン人が金貨をロンドンに持ち込んで、当時大英博物館の仕事を請け負っていたフランス人の貨幣研究者の手にわたります。このフランス人は後日匿名でどのようにして入手したのか書き残しています。

 

それによると、ある日彼が仲間数人とランチを楽しんでいると、友人の一人が、乞食がとてつもなく大きな金貨を売りに来たが、あまりに大きくて当然贋物だろうと思い相手にしなかったという話をします。

 

このフランス人の男は、バクトリアの素晴らしいコインが少しずつ中央アジアから出土しているという事を知っていたため、どのようなものであったかの話を聞いた後、本物だと確信して、この乞食を追いかけます。

 

乞食はレザーケースから巨大な金貨を取り出し、5,000ポンド(現在の価値で、60万米ドル)を要求します。フランス人は、1,000ポンドの小切手を渡して、20分考えろと、20分後には800ポンド、更に20分後には500ポンドとなるぞと告げると、乞食は険しい表情を向けるも、1,000ポンドのチェックを手に取り、金貨を彼に渡したとの事。言い値の五分の一になったとはいえ、よくそのような大きな金額の小切手を突発的な買い物に切れたものだと感心します。

 

この金貨は大英博物館には行かず、フランスにわたりナポレオン三世の所有となり、現在はパリの国立図書館に収蔵されています。

 

 

普通のコインに戻ると:

 

①    エウクラティデスI世のテトラドラクマ銀貨(16.44g/29.9mm)

 

Eukratides I Megas. Circa 170-145 BC. AR Tetradrachm (29.9mm, 16.44 g, 12h). Diademed and draped bust right, wearing crested helmet adorned with bull's horn and ear / The Dioskouroi on horses rearing right, holding palms and spears; monogram to left. Bopearachchi 6W; HGC 12, 131, Mitchiner 1712 var.

 

表:トップの兜飾りとサイドに雄牛の角と耳の飾りのあるヘルメットを被った王の胸像。

裏:左手にヤシ、右手に槍をそれぞれ持つ馬上のディオスクロイ(ギリシャ神話上の双子の兄弟、カストルとポリュデウケス。)「ΒΑΣΙΛΕΩΣ ΜΕΓΑΛΟΥ/ ΕΥΚΡΑΤΙΔΟΥ」銘。右下にモノグラム(バルクミント)。

 

このテトラドラクマ銀貨(黒色になっていますが)も、グレコバクトリア王国を代表するコインです。

 

上記(参考)で紹介した巨大金貨とデザイン・銘は同じ。モノグラムとその位置が異なります。(金貨はメルブミント)

 

「ΜΕΓΑΛΟΥ」は「偉大な」という意味で、エウクラティデスI世治世の頂点の時期に発行されたもの。

 

 

 

因みに、エウクラティデスI世は4種類のテトラドラクマ銀貨を発行しています。参考までに並べてみます。

 

(参考)4種類のテトラドラクマ銀貨

 

 

㋑ 初期のテトラドラクマ銀貨

出典:Roma Numismatics Ltd > Auction XXIII lot 434

初期のテトラドラクマ銀貨で、表は、ヘルメットではなくディアデムを着けた王の胸像のものです。裏面のデザインは同じですが、銘に「ΜΕΓΑΛΟΥ」は含まれていません。

 

 

 

㋺ 最盛期のテトラドラクマ銀貨-1

出典:Roma Numismatics Ltd > Auction XXIII lot 432

上記①と同じ。ただし、裏面モノグラムの位置が右下。(こちらのタイプがより一般的。)

㋑、㋺共に現存数も多く、(資金があれば)容易に入手できます。

 

 

 

㋩ 最盛期のテトラドラクマ銀貨-2

出典:Roma Numismatics Ltd > Auction XXIII lot 426

投げ槍を構える王。このタイプは上記3種類の中では最も希少です。モノグラムはメルブミント。

 

㋩ Pedigree Issue

出典:Roma Numismatics Ltd > Auction XXIII, lot 425.

所謂ペディグリーコインですが、王位継承の正当性というより、自身の父母の肖像と名前を記しています。表「BAΣIΛEYΣ MEΓAΣ/ EYKPATIΔHΣ」、裏「HΛIOKΛEOYΣ/ KAI ΛAOΔIKHΣ」銘。ヘリオクレスが父親で、どのような人物かはわかっていませんが、母親のLaodiceはグレコバクトリア王国の初代王ディオドトスI世の娘ないしディオドトスII世の姉妹ではないかと言われています。少なくともLaodiceのディアデムは王室のスタイルであるので過去の王の血筋であるそうです。従って、本人も王室の血筋であると言いたいのだと思います。

 

このタイプは、上記4種の中では最も希少です。

 

 

 

②  エウクラティデスI世のバイリンガル銅貨

 

典型的なバイリンガル銅貨を二つ紹介します。非常に現存数が多いタイプです。長方形ですが、デザインは銀貨とほとんど同じで、表のギリシャ語銘も同じです。裏面にカローシューティ文字銘「Maharajasa Evukratidasa」。モノグラムの種類も多く各地で発行されています。上のものはバクトリア、下はパキスタンのプシュカラバーティミントです。

 

 

Mitchiner-1731 8.37g/20.7 x 20.2mm (バルクミント・Chief Workshop)

 

 

Mitchiner-1732 var. 9.04g/23.0 x 21.6mm (プシュカラバーティミント・E Workshop)

Eukratides I Megas. Circa 170-145 BC. Æ (24x22mm, 9.05 g, 12h). Diademed, draped, and cuirassed bust right, wearing crested helmet adorned with bull's horn and ear / The Dioskouroi on horses rearing right, holding palms and spears; monogram to lower right. Bopearachchi 19M; HGC 12, 146. 

 

 

 

③   エウクラティデスII世のテトラドラクマ銀貨(16.04g/33.1mm)

 

Eukratides II Soter. Circa 145-140 BC. AR Tetradrachm (33.1mm, 16.04 g, 12h). Diademed and draped bust right within bead-and-reel border / Apollo standing left, holding arrow and bow set on ground; monogram to inner right. Bopearachchi 1Q; HGC 12, 161, Mitchiner 1696.

 

表:ディアデムを巻いた王の胸像

裏:地面に置いた弓矢を持つアポロ神立像。「BAΣIΛEΩΣ/ EYKPATIΔOY」銘。左下にモノグラム(アイ・ハヌム)。

 

 

エウクラティデスI世は、インド地域に遠征し、他のインドグリーク諸王(多分、デメトリオスII世他)を破り、凱旋する途中突然殺害されます。犯人は、彼の息子の、エウクラティデスII世又は、ヘリオクレスI世、又は、兄弟と思われるプラトー、又はデメトリオスII世と諸説あります。遺体は戦車に轢かれバラバラにされ放置されたと、ローマの歴史学家ユニアヌスは述べています。

 

エウクラティデスI世の後継者は、エウクラティデスII世(在位:紀元前145年―140年頃)、ヘリオクレスI世(在位:紀元前145年―130年頃)、プラトー(在位:紀元前145年―140年頃)と考えられています。

 

エウクラティデスI世の死後、グレコバクトリア王国は再び不安定な状態となり、北方からのスキタイ族・月氏や西方からのパルチアの侵攻に持ちこたえることはできず、バクトリア地方の大半を失うことになります。この時、バクトリアの主要都市アイ・ハヌム(アレクサンドリア・オン・ザ・オクサス)も徹底的に破壊されたようです。

 

尚、エウクラティデスI世の治世中にインド地域ではアポロドトスI世(在位:紀元前160年―155年頃?)が沢山のコインを発行しています。両王の関係ははっきりとは分かりませんが、MitchinerはエウクラティデスI世の副王としています。アポロドトスI世は殆どのコインがインド地域のもので、どちらかと言いうとインドグリーク王の印象が強いのですが、次回簡単に触れたいと思います。

 

王名の記されたコイン以外に殆ど史料がない為、固有名詞が沢山出てくる割には、相互の関係や王位継承の経緯等分からないため、すっきりしない記述になってしまいました。

 

 

(注)モノグラムについては、Mitchinerは各モノグラムを各地のミントに割り当てていますので、その資料に従っています。ただし、バクトリア地方のミントについては、Mitchinerは「バルク」のみの記載ですが、最近のオークションの資料では、ミントについては明確に記載していません。また、バクトリア地方の場合は、「バルク」より「アイ・ハヌム」の方が一般的です。多分、2000年以降の考古学や貨幣研究の結果、バクトリアのメインミントは「アイ・ハヌム」という結論になっているのではないかと思われます。従って、過去の記事も、今後の記事も、基本的にはモノグラムとミントについてはMitchinerの文献に従いますが、「バルク」は「アイ・ハヌム」に読み替えたほうが適切かもしれません。

 

(続く)

 

 

参考:Oriental Coins and Their Values, The Ancient & Classical World, 600 B.C. – A.D. 650, by Michael Mitchiner, 1978年

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Classical Numismatic Group, LLC 2022 Winter Review

 

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出典:UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)

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