アラカンの記事で何度か名前が出てきたトリプラ地方のコインです。トリプラは現在のインド東部ベンガル地方にある非常に小さな州で、15世紀からトリプラ王国として面白い銀貨(一部金貨)を発行しています。

 

元々イギリスのコレクターのものをかなり以前にタイの友人から譲り受けたもので、アラカンの記事を書くにあたって4枚だけですがコレクションの隅から出てきました。意外に興味深いコインですので、どんどん寄り道にそれていく感じですが、今回アラカン王国のついでに紹介します。

 

 

Dhanya Manikya王(在位1490-1526年)AR Tanka, 10.31g/22mm. 1513年頃(サカ暦1435年)発行 チッタゴン征服記念。Ref. RB73, KM48.

 

表:右向きのライオン。口の下に2ドット。下部にサカ暦1435。ライオン(又はトラ・ドウン(Dawon)と呼ばれる)はヒンズー教のシバ神の妻ドルガ(Durga)の乗り物(ドルガ=パールバティ)。ライオンは歴代王のコインに多用されていて、トリプラ王国の象徴であったと思われます。

 

裏:サンスクリット語(ベンガル文字)で、“Chattigram Vijayi Sri Sri Dhanya Manikya, Sri Kamala Devyau'' 日本語訳は「チッタゴンの勝利、ダンヤマニキィア王、カマラ王妃」。

 

チッタゴンは重要な貿易拠点の為、アラカン王国、ベンガルスルタン王国、ムガール帝国等との間の争奪の対象となっていました。今はバングラデシュ第二の都市で主要な港ではありますが、往時の面影はあまり無いのではないかと思います。一度だけチッタゴンに行った時には、特に特徴のある街だとは思いませんでしたが、現地の人が、昔エリザベス女王がチッタゴンを訪問して、「ここは美しい街で東洋のロンドンだ。」と言われたことを誇りにしていました。確かに古い大きな木のある並木道もあって英領時代は都市計画に基づいた美しい街並みがあったのかもしれませんが、返事に窮しました……。

 


Vijay Manikya王(在位1532-63年)1560年頃(サカ暦1482年)発行。AR Tanka, 10.22g/21mm。Ref. RB 118? /KM 67. (RB116-124といくつかバラエティーが存在するが未確定。)

 

表:ライオンとこぶ牛の上に乗るArdhanarishivara。下部にサカ暦1482。 Ardhanarishivaraとは人間性の中に男性と女性両方を併せ持つもので、ライオン側が四本の腕を持つシバ神の半身(男性)、こぶ牛側が10本の腕を持つドルガ神の半身(女性)を表現しています。男性は肉体的な強さ・穏やかな心・強い意志を表し、女性は発展・愛・保護を表し不可分であると考えられているそうです。男女平等を超越した面白い考え方ですね。

 

裏:サンスクリット語(ベンガル文字)で、“Lakshya Snayi Sri Sri Tripura Mahesh Vijay Manikya Deva Sri Lakshmi Rani Devyah”。「ラキ(Lakhi)川での沐浴。トリプラ王ビジェイマニキィア、王妃ラクシュミ」

 

ラキ川はブラマプトラ川の支流でダッカやソーナールガーオン(当時銀貨を沢山鋳造していたベンガルスルタン王国の東部主要都市)を流れており、王がベンガルスルタン王国東部まで進攻したことを記念して発行されたものです。

 

この王は在位年数が30年に及び強力な軍事力を有して現在のバングラデシュの東半分とインドアッサム地方の南部も含む最大の領域を支配しました。また、いろいろなデザイン・銘文のコインを発行していますが、コインの銘文から王妃は3人いたことが分かっています。

 

 

 

Ananta Manikya王(在位1563-67年) 1565年頃(サカ暦1486年)発行 AR Tanka 10.62g/22mm、Ref. RB128/KM73.

 

表:ガルーダに乗るシバ神。左右にサカ暦1486。

裏:サンスクリット語(ベンガル文字)で “Sri Sri Yutananta Manikya Deva” 「アナンタマニキィア王・王妃」上部に三日月、下部に星。

王妃の名前は記されずDevaのみ。

 

 

 

Yaso Manikya王(在位1600-18年) 1601年頃(サカ暦1522年)発行 AR Tanka 10.49g/23mm, Ref RB197/KM109 (裏面銘文にバラエティーがありRB195-201のいずれかだがRB197と思われる。)

 

表:ライオンに乗りフルートを吹き牧女(両側)と戯れるクリシュナ神。下部にサカ暦1522年。

 

裏:サンスクリット語(ベンガル文字)で”Sri Sri Yuta Yaso Manikya, Deva Sri Gaura Lakshimi Maha Devyau”「ヤソマニキィア王、ガウリ王妃、ラクシュミ王妃」

 

このコインでは、ガウリ王妃が一番目で、ラクシュミ王妃が二番目に記載されていますが、この王の一連のコインでは、最初はラクシュミ王妃のみ、その後ガウリ王妃が加わって二人となりますが、王妃二人の時はコインによって順位の入れ替わりがあります。最後は、ジャヤ王妃も加えて3人の名前が記載されますが娶った順番で記載されて順位の変動はありません。二人目を娶ったときに最初の妻との関係が悪化したのかもしれませんね。三人目の時はもめなかったようで順位の変動はありませんでした。どこの国でも大奥は大変だったのでしょうか(笑)。

 

この王は、ヴィシュヌ派ヒンズー教に傾倒します(彼の2代前まではシバ派)。コイン上のクリシュナ神はヴィシュヌ神の化身ですので、コイン上でもはっきり宗派を変更したことを示しています。クリシュナ神は生涯12,000人の妻を持ったと伝えられているので、王の私生活を幾分か反映したコインのモチーフという事も言えるかもしれません。

 

ヤソマニキィア王の即位時はアラカン王国の介入等で非常に不安定であったものの何とか18年弱治世を維持しますが、王は政治・行政や軍事には興味がなくトリプラ王国の力は弱体化します。ついに、1618年ムガール帝国の大軍に敗れ、王や王妃は捕虜となり王は最終的にはムガール帝国に幽閉されたまま死去し、1626年までの一時期ムガール帝国の一部となります。

 

1626年王国は復興し独立を維持します。英領インド時代も藩王国として一定の地位を維持し、戦後インド共和国建国時に合流して今日に至ります。都合500年程独自のコインを発行し続けたことになります。

 

 

トリプラ銀貨の特徴は、ヒンズー色の濃いデザインであることと、王名と共に王妃の名前がほぼすべてのコインに刻印されていることで、継続的に数百年にわたり王妃の名前を銘に含めるコインは世界でも例を見ないものです。王妃が政治又は宗教上重要な役割を演じていたと考えられます。

 

また、インドではヒンズー神の彫刻や絵画が各地で多数見られますが、コインにヒンズー神のモチーフを用いているものは意外に多くないので、インドの文化・宗教を直接感じることができるコインでもあります。

 

トリプラ王国は、小さいながらも、インド亜大陸で勢力を拡大していたイスラム勢力(ムガール帝国やベンガルスルタン王国等)に対抗したヒンズー王国であるという建国以来の成り立ちがコインのモチーフに反映されているとも考えられます。

 

更に、王名・王妃名・発行年・記念貨では歴史上の重要な出来事が、コインに明確に記載されているため、同国の歴史を知るうえで考古学上重要な資料と位置付けられています。バクトリア王国やインドグリークコイン上の王銘で、文献等で知られていない王の名が明らかになることと同じように、コインが重要な史料となっていることはコインコレクターとしては嬉しいことですね。

 

 

(参考)

 

トリプラ州の位置

ソース:ウィキペディア

File:IN-TR.svg - Wikimedia Commons

 

 

サカ暦は西暦78年から始まるインドの暦。(西暦78年3月がサカ暦の0年。概ねサカ暦に79を足すと西暦となる。)起源については諸説あるが、コインでは、西インドのウェスタンサトラップコインで使用されたのが最初となる。

 

 

出典・参考資料:

The Nicholas Rhodes Collection – Coins of Northeast India (Part 2), Spinx & Son, August 10, 2016.

Banglapedia

CoinArchives

ウィキペディア

RB:Rhodes, N.G., Bose, S.K., The Coinage of Tripura, Mira Bose, Library of Numismatic Studies, Kolkata, 2002

 

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