今回から、ミャンマーのラカイン州に戻り、時代は15世紀以降のアラカン王国(1429年―1785年)のコインを紹介します。この王国のコインは文字が書いてあるだけの銀貨で、その文字も読むことはできませんので、コインのデザインとしては以下のようにあまり面白くないものです。
ペルシャ語・ベンガル語・アラカン語のトライリンガル銀貨
しかし、アラカン王国は一時期、アラカン地方だけではなく、西は、バングラデシュ東部・南部・インドのトリプラ(古代のサマタタ地方)、東はミャンマーの下ビルマ地方(現在のヤンゴンやペグー)に版図を広げ、ベンガル湾に覇を唱え、その首都ミャウウー(英語表記Maruk-U)は、現在でも西のパガンともいわれる壮大な遺跡が残っているほどの、歴史上有力な王国であったそうです。(インドアッサム地方でもアラカン語のコインが出土しており、一時期アッサム地方もアラカン王国の影響下になったという説もあります。)
また、それを支える軍事力はポルトガル人に加えて日本人の傭兵部隊がいたという事をどこかで読んだ記憶があり興味を持ちました。(ポルトガル傭兵がいたことは確実ですが、日本人傭兵についてはヨーロッパ人の記録で300人規模の日本人傭兵がいたとの記事をどこかで読んだのですが、今回出典が確認できないので、記載/記憶間違いだったのかもしれません。)
17世紀のアラカン王国(最大版図ではありません)
English: Map of Kingdom of Rakhine(PD)
出典:ウィキペディア(Attribution:Mramma)
File:Kingdom of Rakhine.jpg - Wikimedia Commons
更に初期の一部のコインは、ペルシャ語、ベンガル語、アラカン語の三カ国語表記であることが特徴で、国際性に富むものであることと、王を称賛するコイン上の文言に赤象とか白象という面白い表現があることが、興味をそそる点ではあります。
現在ではアジア最後のフロンティアの更にフロンティアともいえるようなラカイン地方がかつては東西交易で栄え、アジア各国やヨーロッパ諸国の船が寄港し、多言語の銀貨を発行していたというのはなかなか信じ難いですね。
17世紀のミャウウー
View of Mrauk-U in the XVII century: The first plan for the Portuguese settlement
出典:Mrauk-U, or Arrakan (city of Arrakan), in the first plan of the Portuguese settlement of Daingri-pet. In Wouter Schouten: Oost-Indische Voyagie, t.o. p. 148. 1676(PD)
ミャウウーの遺跡は昔一度観光で行く予定を立てたのですが、ラカイン地方が強烈なサイクロンの被害にあって観光どころではなくなったためキャンセルしてそれ以降チャンスがありません。雰囲気だけでもと以下の写真をウィキより拝借しました。現在のミャンマーの情勢を見るともう二度と行けなくなるかもしれません。観光などはどうでもいいですが、どれだけ被害が拡大するのか、内戦になるのか、独裁国家に逆戻りするのか非常に心配です。
HtaukKanThein Pagoda, MraukU
出典:ウィキペディア(PD)
File:HtaukKanThein MraukU.jpg - Wikimedia Commons
さて、今回は初期のコインを少しだけ紹介します。
Min Raza (1501-1513) AR tanka, 9.40g/25mm, ref. Mitchiner 242, Robinson 7.3, Phayre 30
(王名や発行時期には諸説あり)
ペルシャ語のコイン。現在のバングラデシュ南東部Ramu発行。王銘はモスレム名のSikandar(アレキサンダーの意味)。アラカン王国の主たる宗教は仏教ですが、バングラデシュはイスラム教徒住民が多い為、アラカン人の王もモスレム名を名乗り、コインもペルシャ語(又はアラビア語)で発行しています。元々、アラカン王国はベンガルスルタン王国の支援を受けて建国され、初期はベンガルスルタン王国の属国の地位にあったことが初期のコインのデザインに影響しているといわれています。
Ilias Shah?, AR tanka, Chittagong, 1523?
8.20g/30mm, ref. Mitchiner 243, Robinson 7.2, Phayre 29
表:クーフィー体(アラビア語の初期の字体)に似た古いペルシャ文字で、
「アッラーの他神なし、ムハンマドはアッラーの預言者なり、王国にアッラーのご加護あらんことを」
裏:未読
(大英博物館所蔵品と同じタイプ)
Ilias Shahが王のムスリム名。仏教以外の宗教に対しても非常に寛容であったことが伺えます。
Islam Shah (Naradobbati), AR tanka, 1597(BE959), 9.85g/26mm, ref. Mitchiner LW 320, Robinson 7.11?, Phayre 1?
表:上部はペルシャ語、下部はベンガル語(ナーガリ文字)
裏:アラカン語
ペルシャ語およびベンガル語の表記は誤りが多く、専門家でも完全な解読が困難との事。上記コインの説明はオークション情報ですが、カタログにドンピシャ該当なし。BEはビルマ暦。アラカン語の部分は通常王の即位年をビルマ暦に従ってアラカン文字で記す部分がトップに来るのですが、この個体ではビルマ暦の数字も私が見る限り明確に分かりません。(数字が認識できないとそもそもどこがトップか分かりません!)
トライリンガルタイプの銀貨は他の王の発行のものも含めていくつかありますが、いずれも入手が難しいコインで、私もこの個体しか持っていません。
(次回に続く)
参考資料:The Coins and Banknotes of Burma, M. Robinson & L.A.Shaw