3.11私は宮城県にいました。
あの日海沿いの町に営業に出ていた私は
数日避難所で会社の人達と生活をしました。


会社はすぐ動いてくれ避難場所の確保、
福島県で原発が爆発した際には
社用車で他県へ移動。
本当に安全対策の判断が早く
素晴らしい会社だと思いました。




夫は当時会社のただの先輩でしたが、
会社の集合場所に来ませんでした。


夫はどこに行ったかというと
地元福島でした。


会社に通帳と印鑑を取りに行くといい失踪。
会社の上司は激怒していて
私も基本上の言うことは絶対教育を
されてきたので、
あーーーーやっちゃったなと思っていました。


後に夫に福島に行って何をしてたの?
どうして危ない所に自らいったの?と
聞いてみました。


夫は福島原発が爆発しいても立っても
いられなくなり、
地元に戻り夫の母、姉、おばあちゃんを連れ
静岡の親戚の家に避難したそうです。


ガソリンを求めスタンド前は大渋滞。
交通麻痺してるなか帰るのも大変だったと
思います。


いま行かなきゃ後悔する!
自分が行かなきゃ家族は動かない!と
出た行動だそうです。


そして震災直後の真っ只中静岡で
家族を温泉旅行にも連れてったそうです。


そんな夫は少し落ち着いた3月下旬
私が避難していた東京にも来てくれ、

東京ですら食料や水が買い占めで
なくなる混乱状況のなか、
私をお台場の大江戸温泉に
連れてってくれました。


一緒に仙台に戻ってグチャグチャになった
部屋を片付けてくれ、
食料も分けてくれて
転勤で仙台を離れる時まで一緒に
いてくれました。


震災から2カ月後のGW。
東北はまだまだ復興とはいえず。
4月中も余震が続いていたので。

世間は自粛モードで
楽しい事はしてはいけないような雰囲気の中


彼は言いました。
まいちゃん旅行に行こっか。って。
私達は那須旅行を楽しみました。

震災にあって怖い思いをしたって
気持ちを忘れました、
きっと彼の家族もそうだったと思います。



いま思うと夫と結婚してよかったと思います。
彼は世間の常識や
会社のルールに囚われず、
常に自分が後悔しない!
どんな状況でも人生に楽しみを
見出せる人だなぁと。


人はつい容姿や肩書きだとか年収に
惹かれてしまいがちですが、

あの日地震がきて
町に当たり前にあった物や食品がなくなり
お金はただの紙のような価値になり、

どこの誰だとか着飾る余裕もなく、


恥ずかしい話ですが
そうなって初めて気付くことが
たくさんありました。


理想の相手がいない!
運命の人探ししてるあなた…
実は近くにいるかもしれないですよ。