ども!ひらまっちゃんです。

4月27日、つむぎ書房様より「調身ウォーク」が出版されます。よろしくお願いします!



以前は、「足根骨にやさしいウォーキング」と名乗っていたのですが、長くてもっさりしているので、瞑想の根本である調身・調息・調心の第一歩として「調身ウォーク」と改名いたしました。

ワタシが坊主ということもあり、「禅」という言葉を使うことも考えました。しかし、この調身ウォークのコンセプトとして「すべてのヒトが納得できる」事象から構成すべきと判断し、特定の方々だけの真実は極力排除することにいたしました。


そもそも、ワタシの整体施術の理念が、そこにあります。物理学的なモノは、地球上にある物体すべてに関わります。解剖学的なモノは、人間がカラダを持つ限り関わります。

たとえば禅や陰陽五行論、氣や丹田に関すること、内臓や頭蓋骨内部に関することは、それらを用いて施術するには、その世界観からの説明と納得が必要になります。真偽はともかく、施術者もクライアントもその世界観に没入して共振する必要があります。よくセミナーでも、「世界は陰陽五行によってなりたっており・・・」とか「ココとあそこの関連によって・・・」とサラッと進行することがありますが、いやちょっと待ってください。急にこじつけてくることもあるし、現代医学的なセミナーでも突然ぶっ込んでくる講師サマもいらっしゃいます。

そんな時ワタシは、その施術の理論的な破綻を感じてしまうのです。周りの方はそんなことには違和感を抱くことはないようです。よく観察すると、お付きの方などはその講師サマに心酔されている方が多いようで。

つまり、その講師の施術はそれを信じる方にとっては真実なので、何をやっても効果があるのです。これは整体においても同じことで、好みの先生にならどんな施術を受けても効果があるってヤツです。


ワタシは寺に生まれため「あやしい」というイメージがつきまとうのではないかと思い、以上のことを排除して、結果的に残った「物理学的」「解剖学的」なモノであれば誰にとっても真実である、ということになったのです。


このようなコンセプトでウォーキングやクツ、インソール関係、足根骨を勉強していくうちに、物理学的に解剖学的に深掘りしていった結果、どちらにも重大な「勘違い」が一般常識化していることに気付いたのです・・・。その勘違いしたままの常識に基づいて構築されたウォーキング理論が、「正しい」と言えるのでしょうか?

いち出版社に付き、いちウォーキング本のようにすでに出尽くした感があるウォーキング理論です。それでもワタシが今回出版できたのは、その勘違いを明確に指摘し、解釈し直すことを促しているからだと思っています。

はたして、その勘違いとは・・・?