「汝自身を知れ」 | 開き直りのススメ

開き直りのススメ

マケドニアでの滞在記を中心に、開き直りの精神を語っていきます。

古代ギリシャ時代、文字は大理石の石板に刻み込まれた。


その一文字一文字が、振り下ろされた撃鉄によって、


真っ白な大理石に刻まれていく。


一つの文章を、石板に刻み込む作業は、


どれほど大変なことだったろうか。


そして、それはまた、間違うことの許されない作業で


(おそらく、それは陶芸家が気に入らない陶器を振り上げて地面に叩きつけるように)


だからこそ、刻まれるべき思想は、


この尊い労苦に見合うものかどうかの


厳しい目に晒されながら、


洗練されてきたに違いない。


そうして、伝承されたものの一つが、


神殿に捧げられた


「汝自身を知れ」


という言葉だ。


これに似た言葉に、


「天知る地知る我知る」


という言葉がある。


たとえ天を欺くことが出来ても、


地が知っている。


そして、たとえ地を欺いたとしても、


それを為した己が知っている。


つまり、


己に恥じない生き方をせよ、


という意味だ。


洋の東西を超え、


最後は我に行き着く。


自分が納得できる生き方ができるかどうか。


自分が納得できる仕事ができるかどうか。


その判断は、誰かに代わりにやってもらうことはできない。


それはまさに不可侵の神聖な領域であって、


古代ギリシャのデルフォイの神殿に掲げられるにふさわしいものであった。


今、我々は、鉄槌と鑿も捨て去り、鉛筆さえも捨て去った。


ただ、指で軽く触れるだけで編まれる思想は、


はたして神殿に捧げられるような価値を持ちうるのか?


鍵盤のように強く叩かれながら編まれる私のこの言葉も


その審判から逃れることは出来ない…。