不況の波は、ついに正規雇用の社員のリストラにまで及び始めた。常識的に考えれば、これからの生活がどうなってしまうのか?不安でたまらない心境に人々は追い込まれているのではないだろうか。
しかし、それでもその職に残る人というのは、余程その会社で重責を担っているか、会社に無くてはならない人か、運が強い人たち、ということになる。ということは、まさに、その職を“天職”とすべく、生まれてきた人たちだとも言える。
では、会社を追われ、転職を迫られている人たちは、一体どういう人たちなのか?
そこで、その人たちにとって、正真正銘の“天職”探しの旅が、始まったのだと受け止めてみてはどうだろうか?
“天職”なんて、余程ラッキーな人か、生活に余裕がある人が言う戯言だと思う人がいたら、その人はそもそも“天職”の意味を誤解している。
“天職”とは、天命を職業とする、ということに他ならない。
では、天命とは何か?
それは「天がその“人”を“一”番“叩”く」もの、という意味だ(出口光著『天命の暗号』)。
つまり、“天職”とは、天がその人を一番叩きのめすことを職業とする、ということに他ならないのである。
これでもか、これでもかと、次から次へと難題が起こり、嫌で嫌でたまらなくても、どうしてもやらされてしまうこと、やってしまうこと、それが本当の意味での“天職”なのである。
だから、100年に一度と言われる、この世界的な不況の中でも、リストラされずにその会社に残る人は、まさにそこが天によって、その人が一番叩かれる場所である、ということに他ならない。会社に残った人々も、生き残りを賭けて、叩かれていくに違いないのだ。
そうして“天職”を全うすることによって、自分も磨かれ、世の中に一番役立てることになる。
逆に、そこを去る運命にある人は、よりその人にふさわしい、真実、その人が務めなければならない、“天職”に就く時が来たのだ、ということを意味しているのではないだろうか。
農林水産業に、求人が殺到しているといのは、その現れの一つなのではないだろうか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090124-00000048-mai-bus_all
何かにあくせく追われて生きるよりも、自然を相手にして、自分を見つめ直し、自分らしい生き方を模索しようという表れなのではないだろうか?
会社でもし肩を叩かれたら、それは、天があなたを本当の場所へ行くように呼んでいるのかもしれない。
英語で、職業や天職のことを “calling”(コーリング) という。要は、“呼ばれるもの、呼ばれてするもの”という意味が込められている。
斉藤一人さんは、「仕事は自分が選ぶものじゃない、仕事があんたを選ぶんだ」とよく言われていた。
この大不況を機に、世界中の人々が、自分の“天命”に目覚め、“天職”に就き始めたら、それこそ100年に一度のことなのではないだろうか・・・。